時間をかけて作られたものは「芸術的」
お恥ずかしい話をしましょう。私はいまだにサグラダファミリアがなんなのかよくわかっていません。いえ、教会だろうということは知っています。それで、たしか何世紀もかけて作られているはずです。でも、外見がどんなふうなのか、内装がどんな感じなのか、ほとんど知らないのです(尖った塔がいくつかあったような気はします)。その一方で、サグラダファミリアは非常に歴史的価値の高い建築物だとは思っています。ろくに見たこともないのに、その建物の歴史的価値だけはわかる。なんなのでしょうかこれは。
長時間をかけて作られたものは短時間で作られたものより価値が高いとみなされる、という現象をイリノイ大学のクルーガー氏らが報告したのは、2004年のことでした※1。「努力=価値」現象と呼んでもいいかもしれません。
おそらく私は「こんなに長い間かけて、多くの人の努力のもとに作られているのだから、サグラダファミリアは価値が高いに違いない」と推測しているのでしょう。建物の価値は、見た目の美しさや造りの精巧さ、長持ちするかどうかや使い勝手、そんなふうな観点から評価されるべきだと思いながらも、価値とは無関係なはずの「建築にかかる時間」で、歴史的価値を評価してしまっているわけです。