問われているのは能力なのか意図なのか。「やろうと思えばできたんです!」がマズい理由
昔のことですが、友人から「上司の気持ちがまったく理解できないので、心理学的に説明してほしい」と相談されたことがあります。詳しく聞いてみたところ、「なんでこんな簡単なことができないんだ!どんな勉強をしてきたんだ!」と叱責されたので、「違うんです、やろうと思えばできました!」と弁解したところ、なぜか逆にとても怒られた、とのことでした。
……そりゃ、そんなこと言ったらこっぴどく怒られるだろうなぁ、と思いました。幸いにも当時私にはこの件に関連する知識があったので、彼に丁寧に説明して差し上げました。
「君は、上司の叱責を自分の『能力』へのものだと思ったんでしょう? だから『やろうと思えばできた』と言えば『ああこいつにはこの仕事の遂行能力があるんだ』と安心して、納得してくれると思ったんだね。でもね、上司は、あなたのやる気、専門的にいうと『意図』を問題にしているわけ。だから『やろうと思えばできた』なんて言ったら、『やる気がなかったんです!』と強調したことになる。たぶん、君の言ったのとは反対に『やる気はあったんですが……僕の力不足です』とでも言ったほうが、ずっと印象は良かったと思うよ」
彼は目からウロコを落とし、「『どんな勉強してきたんだ』って言ってたのに、能力の話じゃなかったの!? 俺、上司にケンカ売ったことになってる??」と絶望していましたが、それはともかく「能力があればできた」と「意図があればできた」は、全く別物だということがおわかりかと思います。
「信用」という言葉で違う内容を表している
なぜ彼の問題がすぐに理解でき説明できたかというと、北海道大学の故・山岸氏が書いた『信頼の構造』※1という本を読んでいたからなのでした。山岸氏は著書の中で他人を信用するときに、「能力」を信用するのと「意図」を信用するのは違うということを指摘しています。たとえば、あの弁護士は信用できるというとき「腕がいい」つまり能力を信用できるのか、「嘘をついてお金を巻き上げたりしない」つまり意図を信用できるのかは、違う「信用」の話をしているというのですね。
私たちは同じ「信用」という言葉で違った内容を表しています。ということで、ここから先はわかりやすく、能力への信用を「有能だという信用」、意図への信用を「いい人だという信用」と言い換えましょう。