素晴らしい技術があっても照らし合わせるデータがなければ解析はできない
結論から言えば、メタバーコーディング解析を行うためには、より「正確な学名」(※)に紐づいたDNA情報が必要なのである。どういうことか、順を追って説明しよう。メタバーコーディング技術の開発においては、まずはプライマーと呼ばれる小さなDNAの断片を開発する。誤解を恐れずに言えば、これは特定の生物のDNAだけを引き寄せる(実際には検出可能なレベルまで「増幅する」という表現が正しい)磁石のようなものである。解析技術が向上したとはいえ、一度に解読できるDNAの量には限界がある。そのため、そのまま環境中のDNAを解析すると、例えば魚のような大型の生物が放つ大量のDNA配列ばかりが得られることになりかねない。
プライマーの一つの役割は、そのような環境中の有象無象のDNAの中から、一度に解析できる「ちょうどよい」量の生物のDNA量を選別することだ。甲殻類の研究であれば甲殻類用のプライマーを、魚類であれば魚類用のプライマーを開発することがメタバーコーディング 解析の第一歩である。
このプライマーの開発の成功の可否には、まだ運が絡む部分が大きいらしい。理論的にはうまくいくはずだとしても、実際には他の生物が大量に採れてしまうという話も聞く。そのあたりが実験の醍醐味でもあるのだが、やはり成功の母にはなるべく会いたくないものだ。
一次情報がない限り、環境DNA解析は全く意味が無い
さてそれでは、仮に素晴らしいウニ用のプライマーが作れて、環境DNAから、その海域に生息するウニのDNAをバッチリ増幅することができたとする。では、これで解析は成功かと言われれば、答えはNOである。なぜならこの時点で私達が得たのは、PCの画面上に並ぶDNAのATGCの塩基配列のみである。当然この状態から、ウニの種類は判別できない。この文字の羅列を意味のあるものにするために、「DNA-正確な学名」という対応が必要なのである。
具体的な例を挙げてみよう。ある海岸で水を採り、ウニ用のメタバーコーディングプライマーを使ってDNAを解析してみたところ、”AAAAA”, “GGGGG”という2つの配列が得られたとする。この状態で分かるのは「おそらく2種類のウニのDNA配列が得られた」ということである。そしてこの海域のウニを実際に採集し、仮にムラサキウニ、アカウニ、バフンウニが採れたとする。そしてこの3種類のウニのDNA配列を、上記のプライマーを使って解読してみたところ、それぞれ”AAAAA”, “GGGGG”, “TTTTT”であったとする。この結果を比べることで初めて、「この海域に実際に生息する3種類のウニのうち、ムラサキウニ(”AAAAA”)とアカウニ(”GGGGG”)のDNAが検出できたが、バフンウニ(”TTTTT”)のDNAは検出できなかった」ということが言えるのである。
ここでの「ムラサキウニ(Heliocidaris crassispina)⇔”AAAAA”」という、正確に同定された学名と紐づけられたDNA情報、これこそがプライマーによって増幅されたDNAに「命」を与える最重要情報といえるのである(田中・大作・幸塚,2019)。つまり、一次情報の精度は、環境DNA解析の結果の解釈に大きく影響を及ぼすのだ。
前稿で、インターネット上には、”Ophiuroidea sp.”(クモヒトデの一種)と銘打たれた配列が存在する、と述べた。もしクモヒトデ用のプライマーで得られた環境DNA配列を比較した時に、このOphiuroidea sp.が混じっていたとすれば、それは往々にして「ノイズ」となる。
最近、筆者はクモヒトデ類の環境DNAメタバーコーディングプライマーを開発した論文を発表した(Okanishi et al. 2023)。日本では3例目の海産動物の例であるが、これが為せたのは、私自身がクモヒトデ類の「DNA-正確な学名」という対応を付けた一次情報データベースを自ら作成できたからである。しかしそれでも、海水中から”Ophiuroidea sp.”という種は検出された。これは海外の研究者がINSDに残したデータであるが、例えばこれが海外では手に入りやすく、日本では手に入りにくい種であった場合は、何度メタバーコーディング解析を行っても、この種が検出結果の候補に挙がるのを食い止めることはできない。