ニワトリが家畜になった「瞬間」は存在しない
2023年の1月、ラオスの村で奇妙な光景を目にした。「繋がれているオスのニワトリ」だ。あらゆる家畜が放し飼いのこの国では、出荷時にカゴや袋に生きたまま入れられることはあっても、紐に繋がれたまま餌や水を与えられているニワトリを見たのは初めてだった。
「なぜこんな飼い方をしているのか」と尋ねると、「これは声のいいオスで、これを山に持っていくと、野生のチキンが寄ってくる。そこを銃でうつのだ」という。ラオ語で「カイ・トーッ」と呼ばれるこのオス鶏は狩猟を効率化する「おとり」だったのである。「野生のチキン」について調べてみると、ラオスとタイにはニワトリのご先祖であるキジ科の野鳥、セキショクヤケイが今も生きているらしい。
この話をTwitter(現X)で呟くと、フォロワーから書籍を紹介された。遠藤秀紀氏による著書『ニワトリ 愛を独り占めにした鳥』(光文社 2010年)だ。この著者も1996年にラオスを訪れ、セキショクヤケイを捕獲しており、そこに囮猟の記述もあった。
「卵が先か、ニワトリが先か」の慣用句となっているニワトリは、少なくとも9000年前に家畜化の痕跡が確認できる、最古の家畜の一つだ。その祖先はセキショクヤケイというキジ科の野鳥で、第一回の水牛と同様、家畜化前の野生の個体群をラオスで見ることができる。
この慣用句が示すように、物事の原因と結果をはっきり判別することはむずかしい。ニワトリに限らず、ほとんどの家畜は数千年以上の時間をかけ、野生の生息地を中心に徐々に進んだプロセスの「結果」であり、何らかの決定的な「動機」があるとは考えられないものが多い。ニワトリも「ある日突然、セキショクヤケイ の卵から完璧なニワトリが生まれる」ような決定的瞬間は存在しないのだ。
現代の食用ニワトリは、在来家畜とは全く異なる生活をさせられている
また、わたしたちの身近な食料になっている、現代の工業的なニワトリ生産と、在来家畜としてのニワトリ、そして野生のセキショクヤケイは、それぞれかけ離れていることにも注意が必要だ。先の書籍によると工業的生産における産卵用のニワトリは年間290個もの卵を産み、700日で命を終え、廃棄される。肉用のブロイラー方式は3kgまでの急激な体重増加を50日で達成し、そして食肉加工される。
セキショクヤケイは、性格は臆病で、森林に住み、主に昆虫や硬い木の実などを食べる。体重はオスで900g、メスなら600g、産卵は繁殖期に年間わずか10個、そして寿命は15年。およそ血縁とは思えないほど、全く異なる生活をしている。
鑑賞鶏である尾長鶏のオスの寿命は10年ほどであることを考えると、品種改良の結果、生活が変化したというだけでなく、現代の食用ニワトリは人間によって全く異なる生活を「させられている」と言えそうだ。
野生種・セキショクヤケイを食べてみたい
書籍を読み進めるうち、ラオスにいるうちにセキショクヤケイを食べたいと思った。日々の活動は忙しく、とても山に狩猟に行く時間は取れない。村に行くたびに通っている、たまにリスやヤマアラシ、ヘビやカメが売られている朝市ならば売っている時があるかもしれない。
しかし、もし売っていたと しても、自分はニワトリとセキショクヤケイを見分けられるだろうか。ここで私の次の目標が決まった。「市場でセキショクヤケイが売られていた時のために、見分けられる目を養おう」と。
まずは村にいるニワトリの観察だ。ラオスのニワトリもセキショクヤケイの遺伝子を受け継いでいるため、一部であればその表現型を見ることができる。在来家畜であった数千年の間、セキショクヤケイとニワトリは相互に交雑し、遺伝子を交換していたそうだ。
オスの「赤笹」と呼ばれる形質は、日本では地鶏などにもみられ、首周りの鮮やかなオレンジの羽が特徴的だ。本来はセキショクヤケイの形質なのだが、あまりに多くのニワトリに受け継がれているため、これだけでは決め手にならない。
「白い耳朶(じだ)」も特徴の一つだ。「みみたぶ」とは呼ばないそうだ。
このニワトリ、これも囮猟に使うようだが、頭の横にある肉質のヒダが白っぽい。これはセキショクヤケイの形質の一つで、村のニワトリには白耳朶がよく観察できた。しかしゴツゴツとした脚と、太く短いケヅメから、これだけではセキショクヤケイとは呼べない。
「闘鶏」の体型はわかりやすい。大きく胸を張り、トサカが瘤のようになって、背伸びをするように背が高い。賭け事としての闘鶏もまた、家畜化の一つの原動力だったとのこと。話はそれるが、ラオスには闘鶏だけでなくカブトムシ相撲もある。残念ながらカブトムシ相撲の現場には遭遇しなかったが、不運な脱走カブトムシが、ヒモを引っ掛けて電線にぶら下がっているのをみたことがある。彼がもし勝ち残ったら、強いカブトムシとして子孫が家畜化されたかもしれない。
セキショクヤケイはおいしいのか?
話を戻そう。9000年以上前、数ある狩猟対象の一つでしかない、年間10個ほどしか卵を産まず、臆病で、そして縄張り意識の高い野鳥、セキショクヤケイをなぜか、飼い始めた人物がいた。
このイノベイターは、その数千年後、産業用の高効率なニワトリを生み出す未来を見通していたとは、到底思えない。
ではその人物はなぜ、そんな奇行に走ったのか。それを知るために、セキショクヤケイを食べてみたい。もしかしたら、とんでもなくおいしいのかもしれない。セキショクヤケイにきいてみよう。
「その日」は4ヶ月後にやってきた。
2023年5月、郡の行政職員との会議をするため前泊した朝、いつものように早起きして、宿から徒歩10分ほどの朝市に5時半についた。村の朝市は、農家が農作業をする前に売り買いに来ることから、日の出前4時頃にスタートし、7時にはもう閉店ガラガラだ。とくに昆虫などの野生食材は流通品に比べて入荷が安定しないことから、すぐに売り切れてしまう。
ブースを見て回ると、おかしな売られ方をしているニワトリに目が止まった。なんと、死んでいるのだ。
コールドチェーンや冷蔵庫が普及していないラオスで、ニワトリはふつう生きたまま運ばれる。カゴや袋、脚を縛った状態で朝市でも売られていたが、死んでいることはまずなかった。
これはおかしい、とよく見ると、更に違和感のある形質が目に入った。この蹴爪の鋭さがわかるだろうか。オスのすねから串が飛び出したかのような、細くて鋭い蹴爪が生えている。拡大してみよう。
「セキショクヤケイだ!」と興奮し、売り子の女性に「これは野生のニワトリか?」とたずねると、そうだという。これは買って食べるしかない。会議が始まる8時になる前に、近所の商店で発泡スチロールの箱と氷を買い、氷詰めにしてその日の会議が終わるのをソワソワしながら待った。
その日の夜、片道3時間未舗装の道路を通り、村から街にある家に帰った。いそいそと解剖の準備を始める。白い耳たぶをもち、蹴爪の形質だけを受け継いだだけの、ニワトリかもしれない。セキショクヤケイかどうか、内部の様子も観察しておこう。
嗉嚢(そのう)には、アリがみっちり詰まっていた。砂嚢にはアリとそれをすりつぶす、角が取れた丸い石も入っている。
持ち帰るときに氷水で濡れてしまったため、体重は不確かだが、羽をむしると1036g、そのうち胸肉 は194g、ささみは50gと、ニワトリに比べると飛翔の筋肉が大きいことも特徴と一致するし、アリだけを食べていたことから、少なくとも飼育されていた鳥ではないことも判明した。肉からは弾丸の一部も取れた。つまり狩猟によって捕獲されたものだ。
体重、白い耳朶、飛翔筋、蹴爪、狩猟、売り場の様子、すべての証拠が揃った。おそらくここまでチェックすれば、この鳥をセキショクヤケイと呼んで差し支えないだろう。
では食べてみよう。塩だけで下味をつけ、シンプルに串焼きにしてみる。ラオスの屋台で売られているニワトリの焼き鳥にしか見えないが、これは野鳥なのだから、じっくり念入りに火を通す。お腹を壊しても仕方ないが、味見をしないといけない。
これがセキショクヤケイか。こんな野鳥を家畜化したということは、とんでもなくおいしいのだろうか。それが家畜化を決意したイノベイターの動機だろうか。
硬い。すごく固くて噛み切れない。血抜きをしていないので血の匂いも強く、おせじにも「鶏肉としておいしい」とはいえない。以前に自分でさばいて食べた、卵を産まなくなった老鶏や、研究室の先輩が拾ってきた、ロードキルのキジの味を思い出した。
つまりわたしたちが食べてきた「ニワトリの味」は、あくまでブロイラー方 式の味で、この野鳥は、とりたてて特徴のない、年を取った、ふつうのキジ科の味であった。
簡単には理解しがたい、異文化の料理ロジック
ふと、ラオス料理が目に浮かぶ。細切れにした肉をハーブやスパイスで和えた「ラープ」は、食材やハーブ、唐辛子、魚醤(パデーク)のクセや胆汁の苦みなど、強烈な味が口の中でぶつかりあい、そしてなぜか調和する、日本人にはよくわからない設計の料理だ。
写真は水牛のラープだが、この料理が生まれた背景を考えてみよう。かつて労働家畜として飼育され、戦力外になった老いた水牛は、肉用になった現代よりもずっと硬いだろうし、今回のような硬いセキショクヤケイも細切れにしたラープだったらニワトリよりずっと歯ごたえが楽しく、血の風味やクセがスパイスやハーブと調和して美味しかっただろう。シンプルに比較したいあまり、調理方法を間違えてしまったようだ。
自分の頭の中で判断していると考えがちな「おいしさ」ですら、その土地の文化や文脈による、ということを身に沁みて理解した。味覚神経を刺激する、という単純なメカニズムだけでなく、食材のクセ同士を戦わせるような料理のロジックは、短期間の観光ではなかなか順応できないだろう。
わたしも6年間のラオス生活で、ようやく舌が彼らの唐辛子に慣れてきたようで、いつもは日本人用に特別に、唐辛子を減らしたラープを作ってもらっていたのだが、バランスが悪い、と感じられるようになった。しかしラオスのノーマルのラープを食べた翌日、消化管はまだまだ日本のようで、半日後には下ってしまった。
残念ながら私の味覚と食経験では、セキショクヤケイからはありふれたキジ科の野鳥の味しか感じることができず、家畜化を決断したイノベイターの気持ちを追体験することはできなかった。ラオス料理のロジックからすると、今のブロイラーは歯ごたえも匂いも薄く、物足りなくなってしまったのかもしれない。もっと食べ比べたかったが、その後、市場でセキショクヤケイを見つけることは叶わなかった。
野生のニワトリと養殖のコオロギ
さて、セキショクヤケイが売られていた、あの売り場の写真がもう一枚ある。
右上にセキショクヤケイのメスが見切れているが、右下にはポリ袋にパックされた、1kgのヨーロッパイエコオロギと、左下には小分けにしたコオロギが売られている。タイ産と思われる、すこしひんやりした解凍コオロギと、狩猟セキショクヤケイが、おなじ女性によって売られていたのだ。
日本で出会うニワトリは確実に養殖だろうし、コオロ ギはたいてい野生のものだろう。ここラオスで、まったく逆転した光景が見られた。なぜこの女性は野生のセキショクヤケイと養殖のコオロギを売るのか。
つまり日本で当たり前だと思っている「合理性」は、絶対的なものではなく、自然、社会、文化的背景によって、ときに逆転するのだ。
第3回では、このラオスにやってきたタイ産コオロギは、いかにして家畜化、地域特産品化、産業化したのか、タイでの「コオロギ家畜化」の25年にわたる地道な開発の歴史を紹介しつつ、日本の受け止め方、コオロギ騒動、そしてコオロギの後に続くかもしれない、未来の食用家畜昆虫たちを紹介していこう。