終わりがよければ全体の評価が良くなる?
終わりよければすべてよし、という言葉を聞いたことがありますか? シェイクスピアの戯曲のタイトルですので、知っている方も多いでしょう。そして実際に、人間はたとえ苦痛が大きくても、終わりが良かった方の選択肢をもう一度選ぼうとするのだ、という結果を報告したのは、その研究が発表された9年後にノーベル経済学賞を受賞することになるカーネマン氏らでした。
カリフォルニア大学のカーネマン氏らは、参加者に、手を冷水(14度の水)に60秒間つけてもらいました。冷水なので、この作業は参加者にとってけっこう辛いようです。続いて、参加者は反対の手を、先ほどと同じく60秒間14度の冷水につけました。ひとつだけ違う点は、60秒経ったら、水温がだんだんと上がっていき、30秒かけて最終的には15度(さっきより温いけどまだ冷水)になるように設定されていたことです。14度を60秒か、そのあと15度を30秒プラスするか。あなたならどちらを選びますか?
理論的に言えば、全体の苦痛が少ないのは14度を60秒の方ですから、そちらを選ぶのが正しそうに思えます。しかし参加者の大多数は15度30秒をプラスする方を選んでいたのでした※1。苦痛全体の量や苦痛継続時間の長さではなく、「終わり」時点での快適度が重要だ、というのがカーネマン氏の結論です。
この現象は、心理学では、ピークエンド効果として知られています(正確には、上で紹介したのはエンド効果だけですが)。終わりがよければ全体の評価も良くなるという結果から、「顧客には最後にいい経験をしてもらうようにしなさい」というアドバイス付きで、ビジネス書などでも紹介されることの多い研究の一つです。
損をする人はいい人?
ところが終わりがよければなんでもいいかというと、他人を評価するときにはまたちょっと話が違ってくるようです。いいことをした人に何かいいことが起こると、それが偶然によるものだったとしても、なぜかちょっと「いい人さ」が割り引かれてしまうという研究が、たくさん報告されています。
たとえば、アメフト選手とのディナーが賞品になっているくじを買ったとします。値段は1万円としましょう。1万円でくじを引く権利と記念品のヘルメットがもらえる条件(つまり、慈善的な意図のないくじの場合)では、選手とのディナーが当たっても当たらなくても、買った人への親切さの評価は変わりませんでした。これはそんなに驚きのない結果ですね。
ところが1万円を払うとくじを引く権利とともに、払った金額が慈善活動への寄付になる条件の場合には結果が代わりました。慈善活動のための寄付なので前者より も親切さの評価は高いのですが、くじの結果によって親切さの評価に違いが出ていたのです。選手とのディナーが当たった人は、外れた人よりも、なぜか親切さの評価が低くなってしまっていました※2。くじに当たるかどうかは完全にランダムなのに、くじの当落で寄付をした人の親切さの評価が変わるというのは、不思議な現象です。
研究を実施したオーバーン大学のリン=ヒーリー氏らは、人は「いいことをする人は損をする」という信念を持っており(英語には “Nice guys finish last.” つまり「いい奴はビリになる」という表現があります)、逆に「損をした人はいい人だ」とも考えるのだろうと主張しています。
報酬は「いい気分」だけ受け取ろう
ちなみに、善行の結果手に入れたものが金銭的利益だと、物をもらったときよりも、その善行は本当の親切心によるものではなかったのだと思われることも示されています。どういうことか。まずは下のような場面を想像してください。
純粋に困っている人を助けようとして献血に来た人が、献血の手続きがすべて終わったあとに、400円相当のコップか現金400円のどちらかをギフトとして持ち帰ることができると伝えられました。さて、どちらを選ぶ人が、心からの親切心で献血したと言えるでしょうか?
献血をした人は本当に知らなかったのです。ただ純粋な親切心で献血に来たというのに、そして勝手にギフトを選ばされたというのに、コップよりも現金を選んだ瞬間に、あーあ、献血は真の親切心からの行動じゃなかったんだねぇと思われてしまうのでした※3。なんともひどい話ですよね。
この研究では、アメフト選手とのディナーと同じく、ただコップを手に入れるだけでも、なにももらわないよりは真の親切心が割り引いて評価されてしまうことが示されています。ではどこまでならOKなのかを検討したのがイエール大学のカールソン氏らです。
カールソン氏は、献血をしたあとにギフトカードを受け取ることになった(物質的利益)、あるいは、献血をしたことで友人たちから褒められた(社会的利益)、という状況でも、なにも利益がなかった場合に比べて、いい人だと思われる程度が低くなることを示しています※3。ダメなのです。お金や物をもらっても、褒められても。
唯一評価が下がらなかったのが、献血によっていい気分になった(感情的利益)場合でした。いいことしたあとの「いい気分」は、いい人評価に影響しないようです。ただし、最初からいい気分になるのが目的で献血した場合は、いい人評価は下がります。いい人評価は厳しいのです。
いいことをしたせいで悪い目に遭ったら?
さて、いいことをした後に、そのせいでたまたまいいことが起こったときには真の親切心が割り引かれてしまうのだとしたら、いいことをした後にそのせいでたまたま悪いことが起こった場合にはどうなるのでしょうか。道端で泣いていた子どもを交番まで連れて行ったとして、なんの問題もなく助けられた人と、途中で転んで怪我をした人では、どちらがいい人ですか?
こうした場合、不運に見舞われた人の方が道徳的な人だと思われることを、ニューヨーク大学のシャンバーグ氏らが示しています※4。公園に木を植えたり公園を清掃したりというボランティアに8時間参加していたジェフという青年が、最後の木を植え終わった直後にハチに刺されたとします。この場合、ジェフが同じ条件でボランティアに参加していたけれどもハチには刺されなかった場合よりも、ボランティア活動は道徳的だったと評価されます。
ハチに刺されるかどうかなんて偶然なのに、ボランティア活動への評価が変わるなんて、おかしな話ですよね。まあでも、もしかしたら。ハチに刺されるほど危険な任務だったからこそ、道徳的な評価が高くなっただけかもしれません。ということで、シャンバーグ氏は、ボランティアをしていた本人は知らなかったけど、たまたまコンサートの機会を逃していたという状況設定で次の研究を行いました。
今回のジェフは、大の音楽ファンで、お気に入りのバンドのコンサートに一度も行ったことがないという設定でした。ジェフの地元でコンサートが行われる予定だけれど、完売してしまってジェフはチケットが買えませんでした。ところがコンサートの夜に、同僚の一人がジェフの職場にきて、余ったチケットをジェフに渡そうとしたのです。しかしジェフは恵まれない青少年のバスケットボールのコーチをするというボランティア活動のためにすでに帰った後だったので、チケットは他の人に渡ってしまったのでした。
この時点ですでにジェフはいいことをしたせいで不運な目に遭っていますので、当然道徳性は高く評価されると考えられます。面白いのはここからで、ジェフ自身は自分が見逃したということすら知らないそのコンサートが、「観客にとって最高のパフォーマンスで、バンドとの距 離も近く、会場も素晴らしかった」という場合には、つまり、ジェフの偶然逃したものが知らない間に大きいものになっていた場合には、コンサートが最悪の出来だった場合に比べ、ジェフの道徳性が高く評価されていたのです。
いいことをしたせいで悪いことが起こると、それが偶然でも、なんなら本人は自分が不運に見舞われていたことすら知らなくても、ああいい人だなぁと思われるようです。どうやらこの効果の背景には、ジェフへの共感や同情の気持ちがあるらしいことを、シャンバーグ氏は示しています。「可哀想だからいい人」ということですね。理屈としては変なのです。変なのですが、わかってしまう。不思議ですね。
ということで、この連載もこの記事で最後になりました。最後に面白い記事を書けば(ピークエンド効果によって)ポジティブな印象を残すことができるはずですが、いかがだったでしょうか。
それはそうと、全然、本当に、まったく関係ないのですが、この記事を書いた直後に本棚から落ちてきたファイルで頭を打ちました。記事を書くのは善行なのかという問題はありますが、これで私も少しは道徳的に見られると期待しましょう。またいつかどこかで再びお会いするのを楽しみに。ではではさようなら。
参考文献
※1. Kahneman、 D.、 Fredrickson、 B. L.、 Schreiber、 C. A. & Redelmeier、 D. A. When more pain is preferred to less: Adding a better end. Psychol. Sci. 4、 401–405 (1993).
※2. Lin-Healy、 F. & Small、 D. A. Nice guys finish last and guys in last are nice: The clash between doing well and doing good. Soc. Psychol. Personal. Sci. 4、 692–698 (2013).
※3. Carlson、 R. W. & Zaki、 J. Good deeds gone bad: Lay theories of altruism and selfishness. J. Exp. Soc. Psychol. 75、 36–40 (2018).
※4. Schaumberg、 R. L. & Mullen、 E. From incidental harms to moral elevation: The positive effect of experiencing unintentional、 uncontrollable、 and unavoidable harms on perceived moral character. J. Exp. Soc. Psychol. 73、 86–96 (2017).