人口問題は本当か?
近年、日本社会の将来をめぐる話として、老齢化と人口減少という話を聞かない日は少ない。実際、話は本邦でのあまり芳しくない未来に止まらず、西洋諸国や、東アジアの近隣諸国でも事態は深刻だという。他方、今後活躍が期待される諸国は逆に、その経済の成長が人口の増大傾向と密接に係わるという話らしい。
こうした話を聞くたびに、その論調に対しある種の感慨(そこには疑問の念もある)を覚えるのは、4半世紀以上前に経験したアジアの村落での体験があるからである。80年代半ば、インドネシア・ジャワの農村で2年間ほどフィールド調査を行ったが、その時期のインドネシアには、現在見るような経済的な活気や、世界の舞台で活動する、Ruang Rupaのようなアーティスト集団といった話はまだその姿を現していなかった。戦後、スカルノ体制末期の政治的混乱を収めるという大義名分によって、いわゆる「新体制」(Orde Baru)がスハルトによって築かれた時期である。スカルノ時代の放埒な政治活動とその悲惨な結末への反省からか、政治活動は大きく制限され、国の方針も経済を含めた「開発」(pembagunan)に大きく重点が置かれていた。
政策に批判的な導師も「家族計画」を語った
実際、ジャワ島ですら村落レベルでは電気がまだ通っておらず、室内の明かりは、いわゆる空気圧縮型のランタンか、あるいは大河ドラマに出てきそうな灯油を使っている家もあった。後者だと室内がまるで西洋絵画のド・ラ・トゥール(G.de La Tour、 科学論ではない)の絵のような、闇と光の対比が鮮烈という印象になることもあった。大河ドラマでの夜のシーンがすべて明るすぎるのは、製作者にこうした闇の経験がないからかもしれない。滞在していた家は、村では富裕な層に属しており、街にバッテリーを運んで充電し、そこにテレビをつないでいた。ただし、当時の番組はインドネシア国営放送(TVRI)一択で、しかも村ではテレビを持つ家そのものが少なかった。
そうした村落の日常だったが、時に賑やかになることもある。筆者が寝起きしていた村落は、政治的には穏健な保守系イスラーム組織の牙城の一つで、どちらかというと歌舞音曲の類は抑制される傾向もあった。そんな中、村中にランタンが並び、ちょうど夜祭の様な雰囲気になる機会があった。その一つがコル(khol)と呼ばれたイスラーム導師による野外講和会である。講和会といっても、堅苦しい説法というよりは、面白可笑しく、子供でも楽しめるような能弁でイスラームの教えを語るという感じの内容であった。近隣にはこうした人気の導師が数名いて、そうした人が来るとなると住人は浮足だっていた。
他方、彼らが所属する組織は当時公的に作られた野党の一つに属しており、基本的にはスハルト体制に批判的な意見を持つものも少なくなかった。そうした政府批判をやれば村民には受けただろうが、政府側も反政府的発言がないか、常にモニターしていたという。中には過激な導師もいて、警察沙汰になりかけたという話を聞いたこともある。とはいえ政府の政策に協力する話も盛り込むのがこうした講話会の常であった。その代表例が、いわゆるKB(インドネシア語でいうとカーベー)、つまり「家族計画」(Keluarga Berencana)の話である。
人口爆発を危惧し、村の行事内でも繰り返し語られた
当時は、このままでいくと世界的に人口は爆発し、全球的な危機に陥りかねないという、1972年に発表されたローマクラブの「成長の限界」論に代表される警告が言わば常識であった。未だ発展がおぼつかない当時 のインドネシアのような国では、野放図に人口が増えることへの警戒が強かった。ちょうど中国の一人っ子政策同様、そうした人口増加を抑制するための政策がこの「家族計画」である。要するに子供は二人、それ以上つくるなという話を、手を変え品を変え、面白おかしく説いて聞かせるのが、政府側から見た導師たちの役目であった。
これはどちらかというとイスラーム厳守の集団(いわゆるサントリ)の話だが、もう少し名目的なムスリムの集団だと、こうした宣伝の主役はワヤンと呼ばれる影絵芝居などになる。こちらはインドの「マハーバーラタ」という巨大叙事詩に基づいた演目で、登場人物はインド由来だが、名前はジャワ読みになったりする。主役のパンダワ五兄弟がプンドウォと呼ばれたり、もとの話での一妻多夫制風の家族構成をジャワ本来の一夫一婦制的慣習に読み替えたりしている。巨大スクリーンの前でジャワ独自の影絵人形をダランという人形使いが一人で操る。全てのその動作や全ての会話は彼が即興で作り上げる のである。バックにはガムラン楽団が伴奏する、総合的な芸術である。
特に婚礼の際などはワヤンを夜通し上演するのが通例で、夜があけたとき、最後まで見ていたのが演者以外は私一人だった時もある。9時間近い上演時間の中、ちょうど真夜中あたりで必ず登場するのがゴロゴロ(gara-gara)というシーンである。これはプンドウォ五兄弟に付き従っているスマール(Semar)とその息子たちという従者達が演じる、一種の掛け合い漫才である。スマールは背が曲がり、顔も体付きも男性か女性か判然としない不思議な存在だが、その不肖の息子たちと珍妙なやり取りをするのがこのシーンの醍醐味である。これをみるために、ワヤンを見ている村民も多かった。
ここでも当時しばしば登場したのが、前述した「家族計画」の話である。この略称であるカーベーという言い方がジャワ語では「全部、全て」(kabèh)という言葉に聞こえるので、それを模した地口を連発していたような気がするが、正直あまり覚えていない。しかし当時村民が最も楽しみにしていた娯楽の中ですら、家族計画の話は、必須の政府広報だったのである。
人口増加は危ない、という空気はどこへ行った?
さて、2000年代も四半世紀近く過ぎ、インドネシアはインドなどと並んで人口構成が若く、総再生産率も2を超え、将来の希望に満ちた国だという紹介を最近よく耳にすることになった。再生産率が2どころか1さえ下回っている東アジア諸国に比べ、実に前途洋々だというわけである。「家族計画」では子供は多くて2人とあれほど繰り返していた筈だが、現状は明らかにそれを上回っている。当時の目線でいえば、中国のように一人っ子政策を曲がりなりにも継続した国家に比べ、こちらのKBは失敗したということになる。実際は、この施策を強要していたスハルト体制は1998年に瓦解し、それと共に「家族計画」も消え失せたらしい。
しかし、考えてみると皮肉なものである。当時この「家族計画」という考え方を聞いて、私自身がそれほど違和感を感じなかったのは、人口増大による地球の危機という話が、インドネシアの独壇場では無かったからである。その起源の一つはいうまでもなく前述したローマクラブの「成長の限界」という話であり、そこにはこのまま人口が増大すると地球環境は危ないという強いメッセージがあった。こうした主張とそれがもたらす「空気」はかなり長いこと世間を覆っていた気がする。小学校低学年時だと思うが、クラスの教師がその日に起きた、多くの死者がでた事故について報告した時に、生徒の間から期せずして「これで人口が減る」という歓声が挙がったという妙な記憶がある。人口増加は危ない、という大キャンペーンは長いこと我々世代の無意識に染み込んでいたのは間違いない。
だがいつのまにかそうした空気は一転し、人々は人口減少を不安視し、それによる経済の活力喪失を嘆くこととなった。私は人口政策の専門家ではないため、そうした主張の変更がどういう過程で起きたかはよく知らない。しかし当時の観察から感じたのは、今や人口増大の機運を持続出来ると称賛されるインドネシアですら、話はそう単純ではなさそうだという点である。手元に統計的資料はないが、当時調査した農村では、子供が3人以上という世帯もそれほど珍しく無かったという記憶がある。特にイスラームに忠実な家庭では、その教えに忠実たろうとしたことは想像がつく。
高学歴志向になると、金はいくらあっても足りない
とはいえ、現在からの回顧的視点で言うと、当時から既に、人口が単純に増加するわけでもなさそうだ、という徴候もあった。一つは教育水準の漸進的向上である。当時、義務教育は小学校までで、村内では中学以上の教育を求めると、町に出たり、イスラーム系の寄宿塾であるプサントレンに通ったりするという感じであった。しかし村内でも極少数、大学あるいはそれに準ずるイスラーム系の教育機関に進学するものもいた。ただしそのためには、村の平均所得からいえばかなりの資金がいる。私が寄宿していた家も教育熱心な家系であったが、家主自身は資金が続かず大学を中退しており、家の長男の進学に関しても、その資金の捻出に頭を抱えていた。
四半世紀以上たった先日、インドネシアでは有数の工科大学の講師をする若き友人は、夫婦共稼ぎで収入も磐石の筈だが、最近生まれた第二子を以て、これ以上子供は作らないという。インドネシアの再生産率2.4という会話の中で出てきた話だが、これでは現在の平均をクリアするのも難しい。人口の増大は経済成長に益するのは間違いなさそうだが、そうした社会の富裕化は、高学歴志向を生み、金がいくらあっても足りない。40年前の農村なら、子供はそこら辺で遊んでおり、必要に応じて親の農作業等を手伝っていた。しかしそうした農村ですら、当時から若い女性達は、長時間赤道直下の炎天下で働くことを善しとせず、工場やオフィスでの 事務仕事を好んでいた。実際近隣に出来た、この地域では有数の煙草工場では、多くの若い女性が働いていたが、聞くと日陰で働けるので、こちらの方がいいという。
世界的に展開される大キャンペーンの危うさ
以上の話には教訓がある。一つは、今という時代の潮流において楽観視されている対象も、そう美味しい話だけではなさそうだという疑問である。現在人口増の国々も、いづれ教育水準は上がり、人はより高い学歴を希求し、それに応じてそれ相応のコストに直面する。それを支える家族の構造が無傷で終わることもあるまい。多分国内でも収入はかなり高いところにいそうな若き友人が、「2人が限界」という話をする時、既にここには先進国の現状に(まだ部分的にだが)近接している新興国家の姿の断片が垣間見える気がする。
もう一つは、どんな内容でもそうだが、世界的に展開されるような大キャンペーンには、どこか危ういところがあるという点である。当時の人口爆発への危機感という常識からいえば、現状の人口減少は、まさに問題が解決されたことの証だったはずである。他方、現在言われる人口減少の諸問題、例えば労働力や人口構成のいびつさ、といった副作用について、当時の論者たちは何か考えていたのであろうか。同様に、現在地球温暖化からダイバーシティに至る様々なキャンペーンが半ばグローバルに展開されている。こうしたキャンペーンに対して、言わば「遥かなる視点」(