安岡宏和

安岡宏和

(写真:Media Lens King / shutterstock

実は膠着していない、人と生物の関係を「動的に把握する」

農耕や畜産などを通し、人は他の生物を支配しているように見えるかもしれない。しかし、人と生物の関係はただ一方的なものだけに限らないのだ。関係性を「動的」に把握することで、オルタナティブな生き方が見えてくるかもしれない。

Updated by Hirokazu Yasuoka on October, 20, 2023, 5:00 am JST

「貴族化」は栽培種と野生種のハイブリッド化を基盤とする実践である

種イモや種茎など、クローンによる繁殖だと同一の遺伝子をもつ個体がコピーされるだけなので、遺伝的変異の生じる機会が限定される。一方、種子繁殖では必然的に遺伝子が組みかえられるので、変異が生じやすい。したがって、根栽作物のふだんの栽培ではすでに無用になっている種子繁殖力は、ドメスティケーションや品種創出のプロセスにおいて重要な役割を担いうるし、じっさいに担ってきたと考えられる。

シロギニアヤムについていえば、畑にある個体でも種子繁殖が可能ではある。しかし、種イモから育てるほうがはるかに容易であるためか、農民たちが種子を畑に植えつけることはない。そのかわりに「育種実験」を畑外の休閑地や周囲の森林にアウトソーシングしているのである。そこから有望な個体をピックアップするのが「貴族化」だということになる。

このように「貴族化」を位置づけるならば、畑における農民とシロギニアヤムの関係は、周辺の森林に展開しているより大きな関係の一部であることがわかる。農民たちの実践は、シロギニアヤム(Dioscorea rotundata)だけでなく、その近縁野生種(Dioscorea praehensilisDioscorea abyssinica)を包括した、ハイブリッド可能な複数種からなるメタ個体群との関係のもとでなされているのである。その実践は、栽培種と野生種の種子繁殖をとおしたハイブリッドに基盤をおいており、同時に、それらのハイブリッドを促進している。つまり「貴族化」の実践は、メタ個体群レベルにおいて、栽培種と野生種の種分化を妨げることに貢献してきたことになる。

「野生化する主体」は特定の生物への依存から逃れようとする

それでは、シロギニアヤムの栽培種と野生種においてハイブリッドの可能性があること、また、その前提としてシロギニアヤムが種子繁殖力を保持していることは、シロギニアヤムにとってはどのような意味があるのだろうか。

そこで着目したいのが種子散布である。ヤマノイモ属の種子には翼がついており、風にのって飛ぶことができる。畑に植えられているシロギニアヤムは少ないながらも種子をつけるし、二次林で再生して野生種とハイブリッドをつくり、その種子を散布することもできる。その一部は「貴族化」をとおして栽培個体群に再導入されるが、大部分は種子繁殖をくりかえしながら周辺の森林に拡散していくだろう。そうして新しい生息地に定着できることもあれば、失敗して枯れてしまうこともあるだろう。成功するにせよ失敗するにせよ、新たな土地に種子を散布することは、人間への依存から逃れて多種多様な生物たちとの連関を構築していく、ということである。それはまさに、野生化する主体としての行為だといえる。

ここまでの議論をとおして浮き彫りになってくるのは、ドメスティケーションに関する多くの論考は、もっぱらドメスティケート主体の行為に焦点をあてており、野生化する主体の行為を看過してきたということである。それは私自身によるバカとヤマノイモの関係についての研究でも同様であった。バカたちは、収穫したヤマノイモを料理するとき、イモの小片をキャンプ内外に捨てる。そこからヤマノイモが再生し、生長して種子をつけ、キャンプ跡にヤマノイモの群生パッチが形成される。このような「移住」をとおしてヤマノイモの分布が拡大してきたのであれば、バカとヤマノイモの関係は、野生と栽培のあいだに位置づけられることになる。前々回論じたように、この事実は「ありのままの自然」のなかで生きる「純粋な狩猟採集民」という幻想を捨てるうえで重要な意味をもっていた。

しかし、ここでの議論をふまえるならば、ヤマノイモの、野生化する主体としての行為を軽視してはならないだろう。バカはヤマノイモの分布拡大に関与しているとはいえ、ヤマノイモはその生存と再生産をバカに依存しているわけではない。キャンプ跡で再生したヤマノイモは生長して種子を散布し、その種子はキャンプ跡や周辺の開けた場所で発芽して、定着する可能性がある。つまり、現在のヤマノイモの分布は、バカの利用にともなう中距離(数キロから数十キロメートル)の「移住」だけでなく、種子繁殖をとおした短距離(数十〜数百メートル)の散布をとおして形成されてきたはずである。バカたちは、あくまでヤマノイモが野生化する主体であることを前提として、それを採集してきたのである。