収集から有益な何かを得るためには人為的な操作を加えねばならない
ニュートンが子供の頃 を回顧して語った有名な言葉がある。
私は海辺で戯れる少年のようであった。ときおり、普通のものよりすべすべの小石を見つけ小綺麗な貝殻を拾っては悦に入っていた。真理の大海は、何もかも発見されざるまま、眼前に広がっているというのに。
――I was like a boy playing on the sea-shore, and diverting myself now and then finding a smoother pebble or a prettier shell than ordinary, whilst the great ocean of truth lay all undiscovered before me.
小石拾いに夢中になる少年だったニュートンは、後に『自然哲学の数学的原理』を著し天体の運行を支配する法則の存在を公表することになるのだが、後年、錬金術に没頭したことが知られている。最後の魔術師と呼ばれたこともあるし、贋金づくりに手を染めたとの噂もある。集められた鉱物の内奥に潜む「真理」を得るためには、鉱物を坩堝に入れ炉にかけて溶融、あるいは水銀とアマルガムを混成し、蒸留を用いて分離・分析する必要がある。収集したもの自体は真理を内部に隠していて、手を加えなければ何も語ってくれない。収集から有益な何かを得るためには人為的な操作を加えねばならない。レヴィ=ストロースの言葉を借りれば、浜辺の小石は「生のまま」の情報であり、それを「調理する」ことで知識へと変換しなければ役に立たない。
ニュートンはどう も万有引力だけでは、(天体の世界はともかくとして)物質の世界の多様な現象を説明できないと考えていて、凝集(引力)と分離(斥力)の原理を見つけるために錬金術に惹かれていったとも言える。だが残念なことに炉の火力をいくらあげてもミクロの世界の真理に至ることはなかったろう。18世紀には多くの自然哲学者が選択的親和力の真理をもとめ追随したが、見果てぬニュートンの夢に終わった。
物質の収集がさまざまな元素の発見へと導かれるためには、人類はもう百年待って、電気分解という強力な分析手段を得る必要があった。元素の探究と単離、収集が怒濤のごとく始まるのは産業革命以降の時代である。