岡村 毅

岡村 毅

ニューヨークのセントラルパークにて。1968年撮影。

(写真:佐藤秀明

語り継がれず消えてしまう、もうひとつの東京

あらゆるデータを蓄積し、それを駆使することで進むのがDXだとしたら、そのデータ(記録)からこぼれ落ちてしまう人々はこの先どうなるのだろう。公式なデータに表れない「排除された人々」の記録を紹介する。

Updated by Tsuyoshi Okamura on August, 1, 2022, 5:00 am JST

当事者が亡くなると消えてしまう、ホームレスたちの物語

精神科医である筆者は、どちらかといえば平凡な人間であるが、縁あって研究者としてホームレスの人の支援に10年以上関わっている。現場で実際にホームレスの人を支援している人たちは尊敬すべき人々である。彼らと友人となり、共に喜び、悲しみ、学び、発信してきたことで、精神科医として大きく成長させて頂いた。弱者のために生きる彼らこそが社会の希望であると思う。筆者の人生は、ホームレス支援に関わる前後では大きく変貌した(前はずいぶん退屈な人生だった)。ホームレスの世界を知ると、この世界は全く別の姿に見える。美しくかけがえのない世界だと私には見える。

ホームレスの世界の歴史は貧困と排除の「もうひとつの東京史」であるが、デジタルにはなっておらず、いや紙にすらなっておらず、人々の記憶の中にだけあり、おそらく当事者が亡くなってしまうと消えてしまうナラティブであろう。デジタルトランスフォーメーションの及ばない、外部世界という意味でも興味深いのではないか。

貧困と排除の東京史

下町にほど近い東京大学で指導医をしていた時、ある研修医が「ホームレスの人って理解不能だな。やつらは好きでああいう生活をしているのでしょうね」といったので、『いや実は私はホームレスの研究をしているのだよ』『君の認識は無知から来るものだよ』と伝え、説明したところ「はじめて聞いた話だ」とたいそう感謝された。その時のようにお話ししたい。

日本のホームレスの人の数をご存じだろうか?政府統計では5,000人程度である。50万人ともされる米国と比べても圧倒的に少ない。もっともこれは定義と数え方が違うからである。数え方に関していうと、我が国ではある1日に「あからさまに路上生活者に見える人」を数えている。あからさまにホームレスに見えてしまう人は、まず襲撃されるリスクがある。そして、風呂に入るために店に入ることもできない。よって多くのホームレスの人は、スーツを着ていたりして、数日に一回は入浴もしている。数えきれていないのだ。

南アフリカの浜辺
南アフリカのジェフリーズベイ。波打ち際で遊ぶ子ら。この頃はまだアパルトヘイトのなかにあった。1980年代撮影。

定義に関して言うと、諸外国では安定した住まいのない人(たとえばシェルターにいる人)もホームレスである。日本の「ホームレス」は、外国ではstreet homelessというカテゴリーであるが、実は米国でもsheltered homelessというカテゴリーの方が大きいのだ。日本ではこのシェルターのカテゴリーは、すっかり見落とされている。では日本で「路上生活者ではないが安定した住まいのない人」はどれくらいいるのか?残念ながら不明である。

東京の歴史を眺めてみよう。高度成長期に多くの若年労働者が東京に集まってきた。彼らのうちもっとも単純な肉体労働に従事する者は、かつて「山谷」と呼ばれた一帯の安宿に住み、毎日「手配師」に現場に運ばれ、東京の繁栄をささえた。なおすでに山谷という地名は、偏見を排するため公式には消えているが、本稿では歴史的事実として記載する。

実は山谷は吉原に近い。また山谷には泪橋(なみだばし)という交差点があり、「あしたのジョー」の舞台として知られている。この泪橋という地名から推察されるように、江戸時代には刑場が近くにあり、死罪になる人が家族と涙の今生の別れになることからその名がついた。山谷は、性と死にまつわる特殊な場所であり、高度成長期という熱い時代には貧困と排除が現前し、闘争がおこった。労働者を守りたい運動家、搾取する反社会的な人々、国家権力が三つ巴の関係になり、多くの人が殺された。この場所は巨大都市江戸・東京の死生にまつわる特殊な機能を担っていたのである。

路上生活者というカテゴリーの終焉

さて高度成長期が終わり、建築現場も機械化が進み、彼らは徐々に仕事を失っていった。1990年代に入りバブルが崩壊した後、都市部では路上生活者が急増し一気に社会問題となった。彼らはまさに「普通の人間は結婚して家庭をもち安定した住まいにいるものだ」という伝統的価値観に回収できない流民であり、当時の日本社会は激しく彼らを排除した。彼らこそが、私たちが「ホームレス」と聞くとイメージするものである。2002年にはホームレス自立支援法ができ、これによってはじめてホームレスの人の統計がとられ始めた。彼らを排除するのではなく、まずは住まいを提供すれば安定する、ということが徐々に浸透しはじめ、都なども様々な事業を実施するようになった。これは諸外国でいう「ハウジングファースト」と似ている。2008年の国際金融危機(いわゆるリーマンショック)以降は様々な理由で働くことのできない稼働層の生活保護受給は増加している。こうしたこともあり、我が国のホームレス(路上生活者)の人の公式な数は減少を続けている。

現在では、かつての「路上生活者」はすっかり数が減り、街でも見かけることは減った。この点は行政を公平に評価するべきである。一方で、問題は潜行し、「仮住まいはあるが、社会とのつながりはなく、経済的にも、そして人間関係的にも貧しい人々」「不安定居住者」「諸外国で言うホームレスの人」がいまも東京にいる、それも不可視化されていることを、忘れてはならない。

ホームレス支援における野生の思考

筆者は東京都で主に活動するホームレス支援団体NPO法人自立支援センターふるさとの会(以下ふるさとの会)と共同研究をしている。彼らとは、ホームレスの人は、自殺のリスクが高いことウェルビーイングが低いこと精神疾患の人が多いこと認知機能が低い人が多いことなどを発信してきた。

吉野川の潜水橋
暮れゆく日と吉野川の潜水橋。2010年撮影。

ホームレスの人には、誤解を恐れずに言えば支援することが難しい人もいる。そのような人々に寄り添うことを使命としてきたふるさとの会は、ケア専門家や哲学者を勉強会に招き、西洋哲学のなかでも現象学を補助線として独自の支援論を構築してきた。それは野生の思考であったが、期せずして現在の精神医学の最前線の思考にも匹敵する、極めてレベルの高い支援哲学であった。このことは人を支援する構造が世界共通であることを示している。支援の方法を以下ダイジェストで紹介したい。

1)問題行動を抑制しない
ふるさとの会の被支援者の中には、人を信頼したりされたりした経験がない人も多い。いわば支援を受ける基盤が欠如しており、これに手当てすることを「ケア前ケア」と呼んでいる。そして、望ましくない行為がみられたとき、「問題行動」として一方的に判断するのではなく、一旦判断を置いておき(これを現場では西洋哲学の用語を援用してエポケーἐποχή と呼ぶ)むしろ当事者を理解しようとする。些細なきっかけで飲酒し、酔って帰ってきてはくだを巻く当事者に対して、そこまで追い込まれている理由は何だろうかと考えることが支援の始まりである。多くは,幼少期より不安定な家庭で、虐待を受け他人を信頼できずに大人になりそして老年期を迎えてしまった、などの苦悩が語られる。彼らは「問題行動」を支援のきっかけにしているのだ。

2)皆で「なぜだろう」と考える
このような事例があった。高齢の被対象者がトイレットペーパーを自室に収集してしまうので喧嘩などのトラブルになっていた。そこでスタッフや他の方も一緒になってなぜだろうと考えたところ、生活歴を踏まえて作図用紙と間違えているのではないかという仮説が出された。そして、作図用紙を買ってきたところ、本人は機嫌がよくなり皆笑顔になった。周囲の人も怒らなくなった。この過程で、たとえばトイレットペーパーをトイレに置かずに各人が持っていけばいいだけの話だという合理的配慮も提案された。つまり、「収集」や「易怒性」といった一面的症状ではなく、その人を一人の「人」として尊重し、その人自身の視点や立場を尊重して行うパーソン・センタード・ケアが自生していたのだ。

3)安心と誇り
ふるさとの会では、ホームレス状態の方を共同居住で受け入れ、穏やかな環境を提供してきた。ある方は、部屋に通された後、窓から逃げ出そうとした。ドアには鍵はかかっておらず玄関から難なく歩いて出られるというのに……。彼はそのような環境で人生を歩んできたのである。スタッフや同じ境遇の方々との信頼関係を醸成し、まずは自分には居場所があるのだという「安心」を得てもらう。そして、できれば共同体の中で役割を獲得してもらう。ある方は、周囲に威嚇しまくっていたが、なんとスタッフは車いすの人の世話をするという役割をお願いした。するとどうだろうか、威嚇していた彼は、優しくお世話を始めたのだ。彼だって、威嚇しまくるような自己表現は本当はしたくなかったのであり、役割を創出したスタッフの技量には驚くほかはない。これは失われていた「誇り」を取り戻すことに他ならない。法人では元利用者の方で、今では働いている方も多数おられる。

ふるさとの会の支援哲学についてはすでに論文の形で社会発信しており、また事業内容についてはホームページがあるので参照して頂きたい。 

新しい「ホームレス」の出現

これまでのホームレスの人とは、貧しい境遇に生まれ、肉体労働に従事し、路上、安宿、ときに刑務所、ときに病院などを行ったり来たりしていた人々が多かった。しかし近年、山谷では新たな「ホームレス」が出現している。すなわち長年安定した仕事や住まいがあった人が離婚、失職、精神疾患を契機に高齢期にはじめてホームレスになるのである。これは先進国でfirst time homelessness in later lifeとして新たな課題となっている。

われわれも、高齢者でふるさとの会の支援に至った人の半数以上が、いまや「高齢期にはじめて」のホームレスであったことを報告している。彼らは高齢でもあり、路上生活はしない。アパートなどでひっそり暮らしていたが徐々に認知機能が低下し、ゴミ出しやご近所トラブルなどがみられ、契約更新の際に断わられる、あるいは取り壊しの際に新たなアパートが見つけられない、などで家を失い、行政に保護されてふるさとの会にやってくるのだ。

貧困と排除と闘うものたち

さてホームレス研究をしていると、世界は残酷だと感じることもある。人間は不平等であり、多くは悲惨な境遇で生まれ、ひどい目にあって山谷にやってくる。ところが、山谷では彼らを助けようとする人々がいて、世界の美しさを感じる。山谷の外で残酷さを、山谷の中で美しさをみる、なんという逆説だろうか。

山谷には、困っている人におにぎり配りをし、そして寄り添うお坊さんの団体(ひとさじの会)もある。また、山谷の外に目を転じると、池袋でホームレス支援を先導する森川すいめい医師や、北九州の牧師である奥田知志師など、社会の良心と言うべき人々がいる。また名古屋でもホームレスの人のために研究をする西尾先生らのグループも知られている。私の活動などは大したものではなく、私の見方も一面的かもしれないが、今回は、正史ではなく、もう一つの東京史を記述した。デジタルトランスフォーメーションの中で消えてしまうナラティブが、この原稿によって多少なりともアーカイブされることを希望している。

参考文献
Okamura T, Ito K, Morikawa S, Awata S. Suicidal behavior among homeless people in Japan. Soc Psychiatry Psychiatr Epidemiol 49; 573-82: 2014
Ito K, Morikawa S, Okamura T, Shimokado K, Awata S. Factors associated with mental well-being of homeless people in Japan. Psychiatry Clin Neurosci 68; 145-153: 2014
Okamura T, Takeshima T, Tachimori H, Takiwaki K, Matoba Y, Awata S. Characteristics of individuals with mental illness in Tokyo homeless shelters. Psychiatric Services 66; 1290-1295: 2015
Okamura T, Awata S, Ito K, Takiwaki K, Matoba Y, Niikawa H, Tachimori H, Takeshima T. Elderly men in Tokyo homeless shelters who are suspected of having cognitive impairment. Psychogeriatrics 17: 206-207; 2017
「生きづらさ」を支える本』的場由木、佐藤幹夫(言視舎 2014年)
岡村毅、的場由木: ホームレス支援における当事者中心の支援論 精神療法 2016; 6: 818-823
Okamura T, Matoba Y, Sato M, Mizuta M, Awata S. Characteristics of older people who experience homelessness for the first time in later life in Tokyo, Japan: A descriptive study. J Social Distress & Homelessness