Modern Timesに写真を提供している写真家・佐藤秀明氏は旅のなかで、数え切れないほどの神秘にふれてきた。
「奇跡の瞬間は確かにある。それは予期しないタイミングで訪れるから、その瞬間にシャッターが切れるよう準備しておかなければならない。しかし、それと同じくらい重要なことは予め知識を仕入れておくことである。カメラを持っていても、その場所がどのような奇跡を起こしうる場所なのかを知っていなくては、神秘の瞬間を捉えることはできない」
例えば、タヒチ・マルケサス諸島での一枚。朝靄のなかで、半裸の男性が馬に乗って海で遊んでいる。佐藤氏はこの写真を島を探索していたときに撮った。道を曲がった瞬間に、目に飛び込んできた光景だという。
「このシーンに対する予備知識は、ここが海中から突き出した若い島だということ。そのためまだサンゴ礁が発生しておらず、小さなビーチの周りは断崖絶壁。どことなくまだ人には知られていない物事が秘められているような、ミステリアスなものを感じていた」
そしてなんといってもここはこの地を愛して死んだゴーギャンが眠る島だ。快活な明るさではなく、どこかねっとりと湿度のある美しさを求めていたからこそ、奇跡の瞬間にそれらの要素をすべてチューニングし、撮影条件を揃えられたに違いない。
佐藤氏はまた神秘へ向かう人々の姿をも捉えている。チベットでは、聖地・カイラス山へ詣でる人々の姿を多数撮影した。五体投地と呼ばれる姿で祈りを捧げる姿を見て、夢中になってシャッター切ったという。
「シャッターを切る瞬間に考えていることはない。ただ夢中なだけだ。奇跡の瞬間を収めることに必死なんだよ」
おそらく、神秘には2種類ある。ひとつは人類全体がまだ知らない知識の向こうにあるもの、量子力学の果て、死の真実、時間とはなにかといったようなもの。そしてもうひとつは、個人がそのときどきの瞬間でしか感じ得ない驚きの瞬間に生じるものである。そしてそれはただの運任せではなく、入念な準備の先に生じる。
神秘への出会いを喜ぶとき、デジタル化された社会は案外優しい。その感動を時空間を超えた相手と分かち合い、さらに新しい発見への道筋を与えてくれるからだ。