佐藤秀明

佐藤秀明

メキシコ・オアハカ州にある世界で最も太い樹。街の名前をとって「トゥーレの木」と呼ばれる。糸杉の一種で樹齢は2000年を超えると考えられている。幹周は42メートルにもなる。

神秘の瞬間は、用意があるものにだけ訪れる

アインシュタインの名言に「私たちが体験しうる最も美しいものは、神秘である。これが真の科学や芸術の源であり、感動を知らない者は、もはや驚きと畏敬の念に包まれて立ち止まることもできない、死んだも同然の存在なのだ」というものがある。
The most beautiful thing we can experience is the mysterious. It is the source of all true art and science. He to whom the emotion is a stranger, who can no longer pause to wonder and stand wrapped in awe, is as good as dead; his eyes are closed.

科学哲学者の村上陽一郎氏もシャルガフの言葉を用いて同様のことを語った。

Updated by Hideaki Sato on January, 24, 2022, 0:00 pm JST
マルケサス諸島の海で、馬に入って遊ぶ人
2000年代撮影。マルケサスの島の朝。佐藤氏が島を探索中、ふと道を曲がったら訪れた光景。若い男性が馬に乗って遊んでいた。この島は開かれた場所が少なく道路がつくれないため、馬は重要な交通手段である。

Modern Timesに写真を提供している写真家・佐藤秀明氏は旅のなかで、数え切れないほどの神秘にふれてきた。

マルケサスの娘
マルケサスのヒバ・オア島の女の子。日頃からこのような草冠で着飾っている。
マルケサスの女性たち
昼下がりに談笑するタヒチの人々。独特ののどかさにゴーギャンは惹かれたのかもしれない。

「奇跡の瞬間は確かにある。それは予期しないタイミングで訪れるから、その瞬間にシャッターが切れるよう準備しておかなければならない。しかし、それと同じくらい重要なことは予め知識を仕入れておくことである。カメラを持っていても、その場所がどのような奇跡を起こしうる場所なのかを知っていなくては、神秘の瞬間を捉えることはできない」

例えば、タヒチ・マルケサス諸島での一枚。朝靄のなかで、半裸の男性が馬に乗って海で遊んでいる。佐藤氏はこの写真を島を探索していたときに撮った。道を曲がった瞬間に、目に飛び込んできた光景だという。

「このシーンに対する予備知識は、ここが海中から突き出した若い島だということ。そのためまだサンゴ礁が発生しておらず、小さなビーチの周りは断崖絶壁。どことなくまだ人には知られていない物事が秘められているような、ミステリアスなものを感じていた」

そしてなんといってもここはこの地を愛して死んだゴーギャンが眠る島だ。快活な明るさではなく、どこかねっとりと湿度のある美しさを求めていたからこそ、奇跡の瞬間にそれらの要素をすべてチューニングし、撮影条件を揃えられたに違いない。

サマルカンドのマドラサの屋根
ウズベキスタン・サマルカンドのメドレセ(神学校)。サマルカンドブルーと呼ばれる艶やかで深みのある青は中国の陶磁器の技術とペルシャの顔料が合わさって誕生した。
メドレセの内部
サマルカンドのメドレセの内部。天井近くは平面ではなく、無数の窪みによる装飾がなされている。
ガンダーラ
現在のパキスタン北西部に存在した古都・ガンダーラの遺跡群。1世紀から5世紀のクシャーナ朝で最盛期を迎えた。その後、さまざまな民族の侵入により支配者が変わり、寺院は破壊されていった。撮影した2005年は周辺にビン・ラディンが潜伏の噂があった。撮影時は真夏で気温は50℃にも達した。
北極の日の出
北極、2月の朝。日毎に日照時間が長くなるころ。とはいえ、一日に数時間オレンジの光が指すだけ。気温はマイナス60℃。普通のカメラでは撮影ができないため、ニコンが特別なカメラを貸し出してくれた。佐藤氏の前には植村直己が使っていたものである。

佐藤氏はまた神秘へ向かう人々の姿をも捉えている。チベットでは、聖地・カイラス山へ詣でる人々の姿を多数撮影した。五体投地と呼ばれる姿で祈りを捧げる姿を見て、夢中になってシャッター切ったという。

「シャッターを切る瞬間に考えていることはない。ただ夢中なだけだ。奇跡の瞬間を収めることに必死なんだよ」

五体投地
両手・両膝・額の五体を地面につけて祈りながら進む五体投地。這って進むのではなく、立つ動きと跪く動き、手足を投げ出す動きを繰り返す。五体投地は最も丁寧な参拝の仕方で、歩くことが禁じられているわけではない。
チベットの巡礼
チベットの母娘。母親が手にしているのは数珠。唱えた念仏の回数を数えるのに役立つ。
カイラス山
聖地・カイラス山。信仰の山であるため旅行者の登頂許可が降りず正式な登山記録はない。2001年にスペインの登山家が登頂許可を得たという報道が出たが、中国外務省は否定している。早朝、佐藤氏がキャンプを抜けて見に行くと朝日が神々しく照らしていた。佐藤氏は何かに惹きつけられるように山へ近づいたという。
チベットの家族
ベースキャンプの付近にいた家族。顔がきれいなので、巡礼を終えて少し身体をきれいにしたのかもしれない。とはいえ、チベットの人々にはあまり水で身体を洗う習慣はない。荷物を運んでいる動物はヤク。
聖地・カイラス山を詣でるチベットの家族
聖地・カイラス山を詣でるチベットの家族。子どもを連れて山道を歩く人もいる。標高6656mのカイラス山はチベット仏教徒、ボン教、ヒンドゥー教徒たちの聖地だ。

おそらく、神秘には2種類ある。ひとつは人類全体がまだ知らない知識の向こうにあるもの、量子力学の果て、死の真実、時間とはなにかといったようなもの。そしてもうひとつは、個人がそのときどきの瞬間でしか感じ得ない驚きの瞬間に生じるものである。そしてそれはただの運任せではなく、入念な準備の先に生じる。
神秘への出会いを喜ぶとき、デジタル化された社会は案外優しい。その感動を時空間を超えた相手と分かち合い、さらに新しい発見への道筋を与えてくれるからだ。