全ての事象が西洋先進国を経由するわけではない
さて、話はインドネシア滞在時に戻る。当時書店に立ち寄った際に印象に残ったのは、日本では殆どお目にかかったことがないような著作が多く翻訳されて本棚に並んでいたという点である。特に面白かったのは、エジプトの改革派イスラーム系知識人の著作であり、現地でも改革派系のムスリムが熱心に読んでいた。その時思ったのは、我々の世界理解はどうしても西洋(もっといえば西ヨーロッパ、あるいは更に限定して英米圏)を中心とした知的流通のシステムに絡めとられていて、こうしたメインストリームの構造から漏れるつながりは実に見えにくいという点である。このインドネシアの事例は、イスラーム圏内部での横のつながりだが、近年よくSouth to Southという言い方で指摘されるのはまさにこういう事態である。全ての事象が西洋先進国を経由し、そこで世界が循環するという訳ではなく、それこそグローバル・サウスがその内部で共闘するといったニュ アンスなのだろう。
神智学は形式上西洋発ではあるが、インド思想との遭遇によって独自の主張を完成した。それは一方では、熱帯下ジャワの古老によって自らのクバティナン信仰の中核思想として身体化され、他方では、北欧の西洋抽象絵画の真の先駆者の一人に膨大な量の作品を造られている。多分彼女の膨大な霊的抽象画をこのクバティナン集団に見せたら、その霊的な含意に多いに関心を示していたことであろう。この話は、テクノロジーを媒介にして、我々がグローバルに交流するといった議論に対して、微妙に異議を唱えるものであるともいえる。世界には表面的に分かりやすいつながり以外にも、我々が想像もしなかった、不思議で局所的なつながりが多数ある。アフ・クリントの忘れられた傑作を観るうちに、40年前のジャワの古老の熱弁を思い出したのである。
参照リンク
『ジャワの宗教と社会―スハルト体制下インドネシアの民族誌的メモワール』福島真人(ひつじ書房 2002年)
『神智学とアジア― 西からきた〈東洋〉』吉永進一,、岡本佳子、莊千慧編(青弓社 2022年)
Christine Burgin et al (eds) (2018) Hilma Af Klint: Notes and Methods, University of Chicago Press.
Richard Gombrich, Gananath Obeyesekere (1988) Buddhism transformed : religious change in Sri Lanka, Princeton University Press.