排泄物は本当に不衛生なだけのもの?
今回は、真のSDGsを理解するためにアリの社会にダイブしてみよう。
まずはSDGsの6番目の目標「安全な水とトイレを世界中に」に関連する内容をみてみよう。
あまり知られていないことだが、アリは固形の糞はしない。 多くの昆虫は固形の糞をするが、アリは液状の糞(つまりオシッコのようなもの)をするだけで、固形の物質を排出することはない。
そうなってくると、気になるのがアリのトイレ事情だ。これまでほとんどの研究者が注意を払っていなかったテーマに取り組んだのがドイツのCzaczkesらの研究グループだ。彼らはトビイロケアリというアリを食紅で色付けした食料で飼育した。3週間後、石膏でできた人工の巣を観察したところ、巣の片隅に色のついた部分ができあがっていた。アリのトイレの発見だ。
これは2015年にPLOS ONEに発表されたもので、読んだ当時かなり驚いた記憶がある。
驚いた点は次の二点。
(1)巣の外にはトイレがなかったこと。もしかするとアリたちは巣の外で液状糞をするのではないかと考えていたが、外にはトイレがないことに驚いた。
(2)ゴミ捨て場とトイレの場所が異なっていたこと。アリにとって糞は不衛生なものという認識はないかもしれないということに驚いた。
この論文では、巣の中にゴミとは別にトイレがあることの意味に関しては不明だ、とされているが、実はある程度のヒントを僕は掴んでいる。それは菌を育てるアリたちにある。彼女らは菌を育てる時に頻繁に液状の糞を菌園に施肥している。菌食アリの社会には決まったトイレはなく、排泄物も完全に循環するようになっているのだ。見事というしかない。
身体に「浄化装置」があれば持続可能な社会は実現しやすくなる
人間社会でも、僕が子どもの頃までは「肥溜め」がいくつかあって、人々はそこから畑に施肥していたものだが(まだ45年くらいしか経っていないが、現代からは想像もつかない世界になってしまった。若い読者は肥溜めをおそらくは知らないだろう)、当時の農家の方々の記録などを読むと、それが嫌で嫌で仕方なかったという記述が多い。そういうものは長続きしない。衛生上の問題もあり、現代社会では肥溜めを見ることは全くなくなり、人糞を施肥するなど、とんでもないことと認識されているだろう。人間の排泄物は単なる厄介者に成り下がってしまっているのだ。持続可能な社会というのは人間にとっては達成がなかなか難しいものだ。
ではなぜアリの液状糞は衛生的で栄養にも富んでいるのだろうか?同じような液状糞のみを出すアブラムシなどは、そもそも貧栄養の植物の樹液のみを食料源としており、それを共生バクテリアが分解することで栄養分として利用し、残りも「甘露」としてアリに分け与えている。これなら直感的にも理解しやすい。つまり、もともと衛生的な樹液だからこそ、糞も衛生的である。しかしながら、アリの食料源は多様で、種によっては腐肉などを主な食料にする種もいる。その糞が衛生的なのだから、アリの体内にはより効果的な浄化装置が備わっているのだろう。
まだ明確な研究はないが、これまでの知見からアリの口器には特殊なポケットがあり、そこには抗生物質を分泌するバクテリアが共生していることが分かっている。入口からすでに浄化装置があるのだ。体内にも共生バクテリアは存在していることから、そのような微生物の分解能によってアリは衛生的な糞を排泄することができているのだろう。
なかなか人間には真似できないことである。
アリも理解している「衛生」環境管理の重要性
アリの社会のゴミ捨ても非常に示唆に富んでいる。食べかすや巣材が古くなると、働きアリたちは巣の中のあまりアリたちが近寄らない場所か、巣の外で、かつエネルギーを節約できる距離のところにゴミ捨て場を作る。アリの中でも最も立派なゴミ捨て場を作るのがハキリアリだ。ハキリアリは巣から数メートル離れた場所に、下の写真のようなゴミ捨て場を作る。逆Uの字に飛び出しているのは木の根で、そこにアリたちが古くなったキノコ畑の断片をもっているのが分かる。右側の薄茶色い円錐形のものが10年以上積み重なったゴミ捨て場である。このゴミ捨て場には、様々な微生物や節足動物が住み着いており、さながら「ゴミ捨て場の小宇宙」を形成している。
1993年に初めてパナマに行ってこの写真を撮った時、あまり事情を知らなかった僕はこのゴミ捨て場に寝そべりながらアリの 写真を撮影し、帰国後40カ所以上をダニに噛まれ、2カ月後にそれが全て化膿し、40℃以上の熱が出て死にかけた経験を持つ。ハキリアリたちはここが「不衛生」な場所であることを理解し、木の根からポトっとゴミを廃棄している。賢い。オレ、賢くない。
これらの衛生管理に関する持続的な仕組みはSDGsのゴール3「すべての人に健康と福祉を」、ゴール11「住み続けられるまちづくりを」、ゴール12「つくる責任、使う責任」に関連している。1億年以上にわたってこのような持続的な発展を続けているアリたちから見たら、人間のデジタルトランスフォーメーションなんて戯言にしか見えていないに違いない。
アリに学べば、もっとエコな生殖医療が実現するかもしれない
SDGs関連では、ゴール9の「産業と技術革新の基盤をつくろう」にもアリの社会は関連してくる。女王アリのお腹の中には精子を貯蔵する袋があり、交尾後すぐに死んでしまうオスの分身として精子は女王の寿命が尽きるまで(最長20年も)、常温で眠り続けることができる。このメカニズムが解明されれば、精子保存に費やされる膨大な電力が不要になるだけではなく、生鮮食品の保存に冷蔵庫が不要になり、一大エネルギー革命が起こせる。そうなればゴール7の「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」も達成可能になる。現時点でそのメカニズムは不明である、とされてきた。
しかしながら、なんと先週のプレスリリースで甲南大学の後藤彩子博士の研究グループがキイロシリアゲアリとハヤシケアリの女王アリを用いて、精子を貯める袋の中が無酸素状態であることを突き止めたのだ!
これはすごい発見だ。さらに、精子を常温で、かつ無酸素状態で長期間保存する時に働くであろう遺伝子も複数発見された。特に抗酸化酵素、抗菌タンパクをコードする遺伝子が含まれていたことは興味深い。さらに、袋の中からだけ見つかった遺伝子も12個あるそうで、この遺伝子に様々な未知の機能があるかもしれないのだ。なんとも夢のある話ではないですか!このような基礎研究を積み重ねることこそが本当の意味での常識のトランスフォーメーションを生み出し、社会を変革していくことになるのだ。
カイコが作った糸をアリに紡がせる。虫たちを使ったイノベーションで省エネルギーな産業が実現するかもしれない
僕らの研究チームの話もしよう。九州大学農学部の大学院生である池永照美さんがある時、僕に突拍子もない研究テーマを持ち込んできた。九大はカイコの研究が盛んである。世界でも九大にしかいない系統のカイコを多数保有しており、 今後さまざまな産業に応用されていくことは間違いない。池永さんはその中でも「平面吐糸」するよう誘導したカイコによって作られた絹糸のシートを使って新たな生地を作れないかと模索していた。彼女は、僕に「ツムギアリでこのシートを紡いでもらうことはできないか?」と言ってきたのだ。なかなかなアイデアである。残念ながら、そのアイデアを聞いたのが新型コロナウイルス感染拡大の直前で、ツムギアリの生息するオーストラリアや東南アジアには行くことが困難な状況になってしまった。
そこで知恵を絞り、日本国内にいる巣を紡ぐアリで挑戦してみることにした。それは沖縄に生息するクロトゲアリというアリだ。このアリも幼虫が出す糸を使って葉を紡いで巣を作る習性を持つ。2020年9月、新型コロナウイルス感染が一時収まっている間隙を縫って沖縄本島にサンプリングに行き、クロトゲアリを採集し、池永さんが用意した絹糸平面シートを配置した模型に放してみた。結果は、表紙の写真のように見事にシートを紡いでくれたのだ。まだ、小さな模型ではあるが、ゼロエネルギーで服を勝手にカイコとアリが作ってくれる可能性を示せただけでも大きな一歩といえる(しかし、なぜ模型がガイコツなのかは不明である)。
カイコは、約6000年前に中国で野生のクワコというガを家畜化することで生まれた。どのような品種改良がなされたのかは現段階で不明であり、謎の多い昆虫だが、ミツバチとほぼ同時期に家畜化された貴重な昆虫である。
僕らの研究は次の6000年後 の人間社会に向けて、人間と共生してくれる第3番目の昆虫を見つけ出すことになると期待している。2030年までの開発目標などという目先の利益を追求するのではなく、大学での研究とはそれくらいのタイムスパンで未来の人間社会に向けての「ギフト」を送ろうと懸命に研究を重ねている場所なのだ。どうです、面白そうでしょう?
参照リンク
・Nest Etiquette—Where Ants Go When Nature Calls(PLOS ONE)
・女王アリ精子貯蔵器官内のほぼ無酸素環境が、精子の静止と生死に関わる~女王アリが 10 年以上もの間、精子を常温で貯蔵できるメカニズムの一端を解明~(甲南大学)