デジタル漫画を制作するに至った詳しい経緯
2020年11月に荒尾市・荒尾シティプラン(シティモールの運営会社)・紀伊國屋書店の3者で「荒尾市立図書館の質の向上とあらおシティモールの活性化に関する連携協定」を締結した際、紀伊國屋書店には施設内への書店出店の検討及び図書館の移転整備について市への助言を行ってもらうことになりました。
デジタル漫画を制作するという案は、こうしたなかで紀伊国屋書店から提案されたものでした。
紀伊國屋書店の当時の担当者によると、デジタルライブラリーの中身について検討する中、小学館から提案のあったメニューの中に「オリジナル学習漫画」があり、「単に市販のコンテンツを導入するだけではない、付加価値の高そうな取組として印象に残った」ことがきっかけだったそうです。
紀伊國屋書店に初めて生家施設を見学してもらったのは2021年3月でした。この段階では、「新図書館に郷土の歴史について紹介するコーナーが設けられることに伴っての視察」というだけでしたが、「宮崎兄弟の生家施設と異なり、図書館は多くの人が出入りする、そこで宮崎兄弟はじめ、本市の文化財について知ってもらうきっかけが出来る、というのは喜ばしいことで、紀伊國屋書店にもぜひ知ってもらえれば」という気持ちでご案内しました。(新図書館には、「郷土の部屋」というスペースがあり、そこでは荒尾市の古代から現代までの年表とともに、これまで展示されていなかった荒尾市内の文化財が展示されています。)
この視察後に、紀伊國屋書店から「宮崎兄弟の漫画化に興味は無いか」とのお話を思いがけず頂きました。資料館の案内の中で、宮崎兄弟のストーリーはもちろん、「宮崎滔天が書いた『三十三年之夢』という1冊の本が辛亥革命成功への途を拓いたという部分が図書館に相応しい」という印象を持っていただいたそうです。が、結果的に紙の書籍としての制作は経費面から実現が厳しく断念せざるをえませんでした。
ところが話は急展開。4月下旬、図書館整備に伴い今度は小学館が来荒され、宮崎兄弟の生家施設を視察。そして視察後の打合せの席で「宮崎兄弟をデジタル漫画に」との説明があったのです。この間に新図書館整備全体の概算費用の積算があっており、目途がついたことでゴーサインが出たのでした。
その後は、一気に現実の話として制作スケジュールの話等が進んでいきました。実はその半年ほど前に、何とか宮崎兄弟をプロの漫画家に描いてもらいたいという気持ちから、無謀なのは百も承知で、某超有名漫画家に公式ウェブサイトからアプローチしたことがありました。至極当然の結果ながら、「現時点で決まっている仕事でスケジュールに余裕がなく、お受けできない」と事務所から丁重なお返事をいただいていたのですが、そうした経緯もあり、私にとって宮崎兄弟の漫画化(そして将来的にはドラマ化)というのは夢物語ではありながら、彼らの歴史的功績・現代的価値を考えればいつか成し遂げたい目標となっていました。それが、まさか新図書館構想の中での紀伊國屋書店との出会い、小学館からのご提案、そして宮崎兄弟の生家施設視察が重なり合って、デジタル漫画制作という地点までたどり着くとは。紀伊國屋書店が提案してくださったとき、そして小学館がその話のために同じ席に着いてくださったとき、感動の気持ちが抑えきれませんでした。この場を借りて関係者の皆様に改めて感謝申し上げたいと思います。
たくさんのプロフェッショナルに助けられた 漫画制作
デジタル漫画制作が決まってから、小学館の編集部も交え、どなたに作画を依頼するかの話に及んだのですが、小学館からご提案いただいた中に木村直巳先生のお名前がありました。木村先生については、個人的に「監察医朝顔」の漫画を読んでいたため、どのような絵になるかイメージが出来、ぜひお願いしたいと思いました。この木村先生との出会いがまた「宮崎兄弟物語」に命を吹き込むことに繋がったと強く感じています。
しかし、漫画制作も順調に進んだわけではありませんでした。折しも新型コロナウイルスの感染拡大により首都圏との往来が難しい状況にあり、メールのみでのやりとりが続きました。ストーリーについては、小学館の佐々木翔氏に書いていただけることになったのですが、これもWeb会議とメールで基本文献をお伝えし、それに基づいて、180頁という限られた紙幅に宮崎兄弟の活動のエッセンスを落とし込むべくストーリーを書いてもらう、歴史検証をする(漫画ということもあり多少の脚色や省略があるのはもちろんとして)、また書き直す…という作業を何度もやり取りさせていただきました。木村先生とは各キャラクターのイメージを起こしていただくといったやり取りのみで、Web会議で一度お顔を拝見したものの、直接宮崎兄弟についてお話しする機会はなかなか来ず、お会いするのが待ち遠しかったのを覚えています。
木村先生に実際にお会いしたのは、承諾のお返事をいただいてから半年近く経っての2021年10月のこと。ようやく感染状況が落ち着き、木村先生はじめ小学館のみなさまが取材のため来荒されました。直接木村先生とお話をさせていただくなかで、先生が引き受けてくださった理由やこれまでの活動を聞いた私は、おこがましくも、宮崎兄弟がめざした「四民平等無我自由、万国共和の極楽を、この世に作りたてなんと」に通じるものを感じました。木村先生は、宮崎滔天や八郎についてすでに御存知であり興味を持っていらっしゃったとのこと、これまで先生個人の活動でもアジア圏の漫画家の方とのイベントをされたりと、漫画を通じて世界の人々と繋がるということを意識的に取り組んでいらっしゃったことを聞き、とても平易な感想ですが、「すごい先生だ!」と思いました。
取材後に一緒に食事をさせていただいたのですが、ふとその時、自分の隣に憧れたプロの漫画家の先生、反対隣には共にストーリーを考えてくださるライターさん、そして、向かいには子供の頃から身近にあった書籍や漫画を製作されている小学館の方、編集部の方がいらっしゃることを認識し、しかもその人たちが宮崎兄弟の漫画を制作するという一つのことに向かって語り合ってくださっているということが有難く、感動しました。
こう して、色々な方のご協力を得てデジタル漫画は完成しました。難解な時代背景を踏まえながら、宮崎兄弟を生き生きと描いてくださった木村先生には本当に感謝してもしきれません。限られた紙幅にストーリーを詰めてくださった木村氏、分かりやすく年表や人物紹介を作成してくださった小学館編集部、そしてこのきっかけをくださった小学館様、紀伊國屋書店様に深く謝意を表します。