民族的・文化的に違っても現代史は共有するバルト三国
話に入る前にバルト三国の概要・歴史について確認しておきたい。バルト三国はバルト海東南地域にあり、北からエストニア・ラトビア・リトアニアの三国が存在する。これら三国は一般的に「バルト三国」と呼ばれるが、民族的・文化的には差異が大きい。
たとえば言語面ではエストニア語はフィンランド語と同じくフィン=ウゴル語族バルト・フィン語派に属するが、ラトビア語とリトアニア語はインド=ヨーロッパ語族バルト語派に属する。宗教もエストニアとラトビアではプロテスタントのルター派が主流だが、リトアニアとラトビア一部地域ではカトリックが優位である。
一方、ここ約100年間の歴史は類似点が多い。第一次世界大戦後、バルト三国はロシア帝国から独立。民主主義国家としてスタートしたが、1920年代~30年代には他の東欧諸国と同じく権威主義体制になる。バルト三国の運命を決定づけたのが、1939年にヒトラーとスターリンの間で結ばれた独ソ不可侵条約であった。これには秘密議定書が付属し、エストニア・ラトビアはソ連の利益圏、リトアニアはドイツの利益圏に入ることが明記されていた。後にリトアニアもソ連の利益圏に入ることになる。ソ連は秘密議定書に基づき、1940年にバルト三国を併合した。三国が再び独立を回復したのは1991年のことである。
民主主義政府を「ブルジョワ政府」と規定し、エストニアは自発的な意思でソ連に加入したと説明
バルト三国の歴史を確認したことを踏まえて、手元にあるソ連時代に出版されたエストニアの首都タリンの英語ガイドブックを読んでみたい。このガイドブックはオールカラー写真で構成され、冒頭ではエストニアの歴史を紹介。西側諸国の人々を意識した構成になっているが、その内容はソ連に都合のいいことばかりが書かれている。
ガイドブックでは第一次世界大戦後の独立時代の民主主義政府を「ブルジョワ政府」と規定し、共産党員をはじめとする労働者が弾圧されたと述べている。1940年のソ連併合に関しては4万人もの労働者が首都タリンで示威行動を行い、1934年に成立した権威主義体制「ファシスト的権威主義体制」を自主的に崩壊に追い込んだと指摘。人々の自発的な意思でソ連に加入し、ナチス=ドイツの占領はあったものの、ソ連の一共和国として大いに発展しているという内容だ。なおソ連は長らく秘密議定書の存在を否定したため、このガイドブックには併合を認めた秘密議定書の記述はない。このあたりはモルダビア共和国(現モルドバ共和国)のソ連時代のガイドブックを見ても、歴史の紹介文の基本的構成は似通っている。
当然ながら、ソ連時代のバルト三国の学校においては上記のソ連史観が教えられ、独立時代のことは完全に否定された。歴史に見直しが行われたのは1985年のゴルバチョフ書記長によるペレストロイカ以降である。