高水裕一

高水裕一

バリ島の伝統舞踊。観光者向けのレストランでダンスが披露された。

(写真:佐藤秀明

信仰から生まれた、現代科学の駆動力

DXの駆動力はデータであり、その記録や解読には数学の力が不可欠だ。数学は、常に人類の文明とともにあった。数学はなぜどのように発展し、人類に何をもたらしてきたのか。スティーブン・ホーキング氏に師事した物理学者が紹介する。

Updated by Yuichi Takamizu on July, 28, 2022, 5:00 am JST

シュメール人の予熱で続いている現代の数学

今回は「文明」をテーマに、人類はこれまで計算機とどのように向き合ってきたのか、そして未来ではどうなっていくのかについて考えてみたい。
もっとも古い文明は、紀元前およそ3500年前頃のメソポタミア文明だと教科書で習う。しかし実は、何を持って文明と定義するかによって見方が変わってくる。たとえば、抽象的概念を持ち、言葉や言語を持ち、お互いにコミュニケーションを取って集団で生活することを文明と定義するのであれば、文明勃興はさらに古い紀元前1万年前まで遡るといわれている。現在の中東トルコ付近にこの年代の文明の痕跡が見つかっている。ギョベクリ・テペと呼ばれる新石器時代の遺跡だ。彼らはすでに宗教的儀式もおこなっていたようで、魂や先祖の供養といった概念もあったと考えられている。

メソポタミア文明は現在のクウェートあたりに興った文明であり、ティグリス川およびユーフラテス川という巨大な2つの川の中間地点、比較的肥沃な土地を中心に栄えた。この文明は、主に「シュメール人」という謎の民族によってもたらされた。彼らはメソポタミア文明を根本から築いたあと、突如として歴史の舞台から姿を消す。民族あるいは人種の系統的にいったいどこから来たのか、そしてどこへいってしまったのかは現在でも不明であり、謎は深まるばかりだ。彼らこそが地球に飛来した宇宙人だった、などという説を唱える人までいる。シュメール人は、それくらい人類の文明に決定的な影響を与えたミステリアスな存在だといえよう。

パキスタンのペシャワール
祈りを捧げる人々。パキスタンのペシャワールにて撮影。

シュメール人がどう決定的かというと、暦や数学に関するほとんどが約5000年前の彼らの時期に作られており、現在もそれを踏襲しているにすぎないからだ。いわば、シュメール人文明の予熱で今もやっているようなものなのである。たとえば、60進法もシュメール人の発案だ。円を360度に分割して1度を定義したことは、地球が太陽のまわりを公転する日数と深く関係する。1年が365日であることも、観測で彼らが突き止めた天体の真実である。この2つの数値を近いと見て、5日をある意味切り捨てて、円を360分割しようと考えたわけだ。60は6をかけると360になり、60が公約数になっている。また、1年が12か月であることもシュメール人は知っており、12でも割れる数として60や360を重要視して使っていた。これに伴い、1時間を60分、1分を60秒として、時間の階層的な単位を決めたのも彼らだ。また、1週間を7日にしたのもシュメール人だといわれている。

シュメール人は優れた天体観測技術を持っていた。たとえば、極めて小さくて見にくい水星や土星などを見つけている。これで見えている天体は7つとなり、1週間を7日とした。ただし、月曜、火曜といった英語(Mon、Tues)は北欧神話の神々の名前が元になっているので、結果的にはいろいろな地域がコラボレーションして、現在にその形を残している。ちなみに、フライデー(金曜)の由来はフレアという神から来ているので、正式にはフレアデーがいいのかもしれない。
ちなみに1日が24時間という数字の起源にはいくつかあり、代表的なものは、シュメール人の頃からという説と、もっと後のエジプト文明の頃という説だ。しかし実はシュメール人の文明は中東にとどまらず、ペルシア半島を越えてエジプトにも入って混ざっていたようで、どこかで繋がりがあるのかもしれない。

ひとまとまりがわかりやすい楔形文字

シュメール人の文字にも触れておきたい。彼らは、楔形文字という記号に近い文字を用いていた。石などにくさびで印をつけるように文字を刻んでいたのである。この手の言語は、右利き想定の場合、右から彫っていくのが作業的に自然なので、右から左に読み進むものが多い。
なお、エジプトでも文字は基本的に右から左に書く。ただ、楔形文字のような記号的なものとは異なり、動物や手足といった絵柄をベースにした文字であった。このような文字を象形文字という。
私たち日本人が用いている漢字も、象形文字の一種だ。漢字の発祥は中国である。まったく中国語を知らない日本人でも、発音はわからなくても漢字の形を見れば、なんとなくではあるが言いたいことが推察できる。これは、まさに絵としての文字の力である。一方で、インドでは地域によって無数の言語があり、形は大きく異なっているが、音ではつながっている。形でつながる中国、音でつながるインド。実に不思議だ。

楔形文字は、古代のローマ数字のように、5や6といったある数のまとまりになると、ぱっと一目でわかるようにできている。
「まとまり」とはどういうことかをローマ数字の例で説明すると、1から4までは棒が一本ずつ増えていき、5でVの文字に変換される。なお、このひとかたまりは、人間の片手の指の数でまとまる「片手」という意味にもなっている。

窓は信仰のために設計された

シュメール人は数学、天文だけにとどまらず、化学、建築、芸術などあらゆる面で、これまでの素朴な文明のレベルを超えた、洗練された形式を見出している。そんなシュメール文明の象徴が「ジッグラト」という砂でできた神殿である。ジッグラトは、エジプトの階段ピラミッドにも似た幾何学で構成された見た目をしており、宗教施設として使われていた。当時開かれていたウル王朝の人々はさまざまな神を信仰していたようで、太陽の神ウトゥや、月の神ナンナなどが有名だ。
人類の文明を見ると、土地によって名前は違えども、神々への信仰と宇宙観といったものは必ずセットで登場する。

高度な文明を持ったシュメール人は、突如歴史の表舞台から姿を消す。そして地球上では、各地でさまざまな文明が興り始める。紀元前3000年頃にはナイル川沿いにエジプト文明が興り、その少しあとにインドのインダス川沿いにインダス文明、さらに少し時間が経った紀元前2100年頃に、中国の長江沿いに中国文明の国、夏ができた。
着目すべきは、どれもその土地ごとの神々がいて、それが天体の運行と関係した宇宙観を持っているという点である。ほとんどが多神教であることも特徴的だ。
たとえばエジプトでは、天球と同じように女神ヌートが全天を覆い、身体から星々がぶらさがっているとされていた。現代の価値観で見ると女性を軽視しているような印象を受けるかもしれないが、それは時代と私たちの考え方の変化を反映している。
さて、女性の身体全体に覆われたこの世界では、太陽が時間ごとに扉を開けて登場する。これはシュマシュという太陽神であり、エジプトで使われていたヒエラティック(神官文字)ではSの文字として、太陽の丸に蛇が沿う王冠として描かれている。読み方もシンというようで、日本語の神=シンと響きが同じで覚えやすい。

�広がるサハラ砂漠とチュニジアの村
広がるサハラ砂漠とチュニジアの村。1990年撮影。

ギリシャ文字には、その後シグマΣとして、またこの文字を90度回転させた、W(オメガ)の文字にも太陽神の痕跡が残る。この文字がギリシャの最後の文字であるのは興味深い。聖書にも「わたしはアルファであり、 オメガである」とあるように、この文字が神秘性を持っているのも納得だ。

エジプトでは紀元前2500年頃ギザで3大ピラミッドが建造され、古王国時代が花開いた。斜めの直線上にならんだ3つの山のデザインコンセプトは、星座であるオリオン座の3つ星にちなんでいるといわれている。狩人オリオンの腰にあたる星だ。
また、ピラミッド内部の窓からは、当時のエジプトで最重要視された星座たちが特定の時期に、特定の方角に見えるように作られていた。つまり、信仰のために窓が設計されたということだ。

自然への畏怖と計算の発達

神々と宇宙観が同一であるということの裏には、人類の自然への畏怖があるのではないかと思う。肥沃な三角地帯で育った文明は、常に川の氾濫と隣り合わせだった。月や太陽の運行と川の氾濫との関係を見出すことについて、当時の人々はそれこそ人生をかけて真剣に取り組んでいたことだろう。川の氾濫が「暦」として、正確に毎年いつ起こるのかを予言することが、文明における中心的な計算すべき課題であったといえる。

いわゆる中東の古代文明をオリエント文明と総称するが、シュメール人から始まった文化や知識は、古代バビロニア王朝に引き継がれていく。やがて、オリエント文明に1人の偉人が登場する。その名はアレクサンドロス3世、通称アレキサンダー大王である。生まれはマケドニア国という小国だが、圧倒的軍事侵攻によりヨーロッパを席巻、神に導かれるように東へ東へと侵攻を続け、バビロニアを首都としたアレキサンダー王国を築く。東の端はなんとインドあたりまで伸びており、彼がいかに圧倒的な力を持った統治者であったかがうかがえる。そんな彼も非常に信仰心の厚い人物だった。信仰していた神は火星の神、ターレスである。ターレスは闘いの神であり、アレキサンダー大王は、出陣前は必ず赤く光る星に頭を垂れていたという。

紀元前2000年頃に作られたとされるイギリスの巨大石群神殿ストーンヘンジも、暦を計算するための巨大なカレンダーとして利用されていた。特筆すべきは日食の予想だ。かなり高度な天文学の知識が必要だが、彼らはほぼ18.4年ごとに日食が起こることを突き止めていた。ストーンヘンジには、円形に配置された中に、馬蹄型に置かれたブルー石というものがある。この石の数は、ちょうど19個になっており、この日食周期を表現しているといわれている。そんなものは偶然ではないかと疑いたくなったら、一番外側の円周にある石の数を眺めてみてほしい。月の周期29. 5日を完璧に再現するために、29個の石のあとに、きっちり半分になっている奇妙な石がある。ストーンヘンジの設計者は、驚くほど正確な観測と計算をする天文学者だったようだ。
ピラミッドやストーンヘンジは計算機とは呼べないにしても、石を幾何学的に並べて天体の動きなどを計算していたことを考えると、当時の材料で作った巨大なコンピュータといえるかもしれない。

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