山﨑広子

山﨑広子

浅草寺を訪れていた外国人旅行者の女性たち。2019年ごろ撮影。

(写真:佐藤秀明

あなたが聞いているのは「言葉」ではなく「声」である

記録性・検索性に優れたテキストによるコミュニケーションは、情報伝達のメインでありつづけている。スマホが普及し、さらに大量のデータを扱えるようになった2010年代からは画像や動画によるやりとりも増えてきてはいるが、日常で取り扱うテキストの量は未だ膨大だ。しかし実はそこには重要な情報が欠落している。発信者の声である。声は、私達が想像する以上にたくさんの情報を含む。声を研究し続けてきた山﨑広子氏に、声が持つ力について紹介してもらう。

Updated by Hiroko Yamazaki on April, 12, 2022, 8:50 am JST

言葉よりも心を動かす「声」という音

私たちが日々、何気なく使っている声には凄まじい力がある。
こう言うと多くの人は「なんのこと?」と思うかもしれない。声は話すときに使うもの。それはあまりに日常的で、当たり前すぎて、言葉や話し方を考えることはあっても、「声そのもの」など意識することがないのが多くの人の実情だろう。
しかし、そんなふうに意識もせずに発している声、言葉を運んでいる声が、実は言葉でない何か、言葉以上の何かを伝えているとしたらどうだろうか。そして、それが言葉を凌駕して心の奥底を揺り動かし、判断すらも左右してしまうとしたら?

人の話を聞いていたときにこんな経験はないだろうか。
・順序立ててよどみなく話されているのに、内容が頭に入ってこない。
・正しいことを丁寧に話されているのに、なぜか反発を感じる。
・内容の濃い話を聞いたはずなのに、翌日になったらほとんど記憶に残っていない。
・たいしたことは話されていないのに、なぜか印象が強く残った。

逆に自分が話したときに、こんなふうに感じたことはないだろうか。
・一生懸命に話しているのに、相手は上の空。
・内容も話し方も吟味したのに、伝わっていなかった。
・うまく話せなかったのに、なぜか評価が高かった。

私たちは日々、人と接してはこういうことを繰り返しているので、なぜそうなったのか、などとはあまり考えず、たまたまそうだったのだろうと思っている。
しかし、人の感情や心が動くときには必ず理由があって、その大きな要因が、じつは「声」。正確に言うと「声」という音なのだ。

会話であれ、プレゼンテーションであれ、演説であれ、メモでも取らない限り、人はその内容を1割程度しか憶えていないといわれている。しかし、その話し手の印象は「声という音」によって無意識に脳に刷り込まれ、時間が経過しても影響力を保ち続ける。
もっと話していたいと思わせたり、逆にさっさと話が終わらないかなと感じさせたりするのも話の内容だけのことではなく、声によるもの、声に含まれる音の要素による影響が大きいのだ。

ゼレンスキー大統領が支持を集める理由

「声」という視点から歴史を眺めてみると、大きな節目には必ず優れた声の使い手がいたことがわかる。
たとえば古代エジプト、プトレマイオス朝最後の女王であったクレオパトラ7世――古代ローマ帝国の実力者たちを次々と虜にしたことから、美女の代名詞のようにいわれてきたが、じつは見事な美声の持ち主だったそうな。クレオパトラを知る史家プルタルコスは「容姿は、目をひくほど美しくはない。しかしその声は大変魅力的で、その声色を聞くだけで快楽であった」と書いている。

ジェットコースターに乗る女性
ジェットコースターを楽しむ女性たち。ロサンゼルス郊外の海岸沿いにはたくさんの遊園地があり、人々で賑わう。

第二次世界大戦で大きな影響力を持ったルーズベルト大統領、そしてアドルフ・ヒトラーは音声メディアであるラジオを駆使した。人を惹きつける弁舌に自信を持っていたヒトラーは、大会場での生演説では先駆的な音響効果を巧みに使い、声の効果を高めていた。

圧倒的に不利といわれた大統領選で劇的に逆転勝利したジョン・F・ケネディは、声に着目しヴォイストレーニングをした初めての大統領であったし、米ソの冷戦を終わらせ世界を核戦争の脅威から解き放ったのは、ゴルバチョフとレーガンという、ともに明朗な声の持ち主だった。

折りしもロシアのウクライナ侵攻により、毎日のように戦況が報道され、ウクライナのゼレンスキー大統領の声が世界に発信されている。ゼレンスキー大統領がウクライナ国内のみならず世界的にも大きな支持を集めているのは、侵攻の是非といった問題だけでなく、彼の演説の効果も大きいだろう。ゼレンスキー氏はもともとコメディアンで俳優。声で人を惹きつけてきたプロである。

ここで私がおこなった実験を紹介する。
声の特徴が異なるA・Bの二人に同じ言葉を同じ調子で話してもらい、被験者にはそれを聞いた印象を回答してもらった。
その結果、Aに対しては、90%超の人が「信頼できそう、こういう人が上司なら嬉しい、友人になりたい」などの好印象を持った。一方、Bは「褒められているのにイラッとする、友達になりたくない」などと散々な評価だった。

これが意味することは、人は声だけで、その人物に対して、かなり明確に「好ましい・好ましくない」というイメージを持つということだ。さらに面白いことに、被験者には否定的な内容と肯定的な内容を聞いてもらったが、Aは否定的なことを言っても「好ましい」印象を与えていたことがわかった。

なぜAとBにこれほど差が出たのかはのちに述べるが、まずAは「否定的な内容を言っても好ましい印象を与えた」ところに注目してほしい。これこそが、声が言葉を凌駕して心を動かしてしまうことの証明である。

本能に訴える声を使えば、洗脳すら容易い

そもそも、声はなぜ言葉よりも心を動かしてしまうのか。
人の話を聞くときには、まず話されている内容を理解しようとする。耳に届いた声は、内耳で周波数ごとに電気信号に変換され、大脳新皮質にある聴覚野で音として組み直され、言語野で意味を理解する。つまり言葉は理性領域で処理されるということになる。

しかし声という音自体は、言語野に届く前に脳深部にある脳幹や間脳や旧皮質を通る。それらは発生系統としては進化のごく初期の段階でできた部位だ。この部分は理性領域ではなく、本能領域。つまり生命維持活動の中枢であり、自律神経機能を司り、危険を察知したり快・不快を判断したり感情を生み出したりするところだ。

最新の研究では、音は上記の部位だけでなく脳のほぼ全領域に影響することがわかっており、脳のほとんどの活動は音によって刺激を受けるとされている。
つまり私たちが話しているとき、言葉を理解するという理性領域での働きの陰で、声は本能領域にも作用しているのである。そして私たちは多くの場合、声を意識しない。言葉を聞きとり意味を理解することに意識の多くが割かれてしまうからだ。声の音は知らず知らずのうちに、人の本能を刺激してなんらかの判断やイメージを生じさせ、それを無意識領域に刻み込む。人の行動の多くが無意識領域に支配されていることは周知の通りである。声という音の力を使えば、じつのところ洗脳など簡単にできてしまうのだ。

「自分の声が嫌い」が及ぼす影響

さて、それほどに大きな力を持つ声であるが、私たちはその力を存分に使えているとはいえない。
私が約10年かけて日本人1万4千人ほどに実施した調査によると、その84%が自分の声を嫌っていることがわかった。
人は声によって「無意識裡に」心を動かされ、判断や行動を決定していく。自分の声もまた、人に対して作用しているのだが、その声を8割もの人が嫌っているとは!
同時におこなった調査では、自分の声を嫌う人は自己肯定意識が低いという結果も得られた。

ここで非常に重要なことがある。それは、声は他人にだけ作用するものではないということだ。
なぜなら人が一生を通してもっともたくさん聴く音は、自分の声であるからだ。
自分の声は、空気を伝わって自分の耳に入る。同時に、おもに頭蓋骨を通じて身体の中からも脳に届く。つまり空気伝導と骨伝導の両方で自分の脳に届き、当然ながら作用を及ぼし続けているのである。
先述したように、声の音は脳のほぼ全域を駆け巡って反応を引き起こしている。その声が嫌いであれば、話すたびに脳はストレスホルモンを産生して、それが身体を巡っているということになる。

もうひとつ興味深い調査結果がある。自分の声が嫌いと答えた人は、その人本来の声でなく、ほとんどが作り声で話していた。作り声といっても作為的に作っている人は稀で、それは社会や学校や家庭など生活環境の中で適応するために、無意識に「作られた」声であった。
声は生まれてから耳に入ってきた環境音と、自分の価値観や思いをフィードバックして脳で作られるものだ。声のもとの音、つまり声帯原音の発生源はもちろん声帯だし、その原音を共鳴によって声にするのは声道といわれる共鳴腔だ。しかしその声帯も共鳴腔も制御しているのは、脳である。

キリストは美声だった

とどのつまり声の力とは何かということをまとめると、次の二つになる。
・言葉に関係なく声そのもので人の心を揺り動かす。
・声を発している本人に、プラスのフィードバックを引き起こし、心身ともに健康にする。

声の力を知れば誰もが、それを手に入れて使ってみたいと思うだろう。声の力は誰にでもある。誰もが唯一無二の宝のような声を持っている。それは心身の恒常性(健康に保とうとする働き)に適った声であり、声を出すことで無上の幸福感と、地に足のついた感覚を得ることができるものだ。その声を私は「オーセンティック・ヴォイス」と呼んでいる(オーセンティックは真実の、本物のという意味)。

レコード
北海道の礼文島で見つけたレコード。地元に関連する歌が並んでいた。

オーセンティック・ヴォイスを見いだした人は、その本人でさえ信じられないような変容を遂げるものだ。今までに私が目撃してきた例をいくつか紹介する。
・学級崩壊に悩んでいた教師が声を変えたことで、クラスがピタリと落ち着き評判になった。
・鬱病で休学していた大学生が、声を変えたことで完治。薬も不要となって復学した。
・職場で虐められていたが、声が変わるにつれて周りの人が優しくなって虐めもなくなった。
・老人介護施設で職員の声が変わったら、暴力を振るう老人が落ち着いてくれるようになった、など。

余談だが、大きく成長した世界宗教の始祖は間違いなく声の力を使っていただろう。たとえばイエス・キリスト。聖書にはキリストが非常によい声をしていただろうと思われる記述がいくつもある。
また、普通の男性であったムハンマドがイスラム教の開祖となった経緯にも声は大きく関わっている。聖人と呼ばれた人々も、修行の過程を調べてみると、声の変化が起こる条件がそろった瞬間があった。そこで大きな変容を遂げたことが推測されるのだ。

声には膨大な情報量が詰め込まれている

さて話を戻して、ここで先ほど紹介したAとBの二人の声の印象実験を思い出していただきたい。
何を言っても好印象だったAは、じつはオーセンティック・ヴォイスの使い手であった。だから否定的なことを言っても相手にいやな気持ちを抱かせず、好ましくすら思われたのである。これこそが声の力だと、実験に参加した皆が深く頷いたのだった。

私たち人間は言葉を持つ生き物だ。モノや行動を言葉という記号で表し、その記号を伝えることで合理的に認識を共有している。しかし記号というのは便利な反面、多くのものを取りこぼしている。言葉という記号では表せないもの――感情や、そこにいたるまでの経緯や、話し手の身体と心の在りようなど――が、声には否応なく表れてしまうものなのだ。そして私たちが人と話しているとき、話を聞いているときに心を動かされる大きな要因は、記号ではなく、生き物としての声が包含する、本能領域を刺激する情報なのである。
私たちは、それを意識と無意識の両方でしっかりと受け取っている。

AIによる合成音声がどこでも聞かれるようになった。合成音声は言葉こそ明瞭に伝えてくれるが、その声に生きた情報は含まれていない。人間の声に含まれる膨大な情報は、その人の身体の要素と人生すべてを含む、いわば生きている証だ。美しい調べに乗った声や、訓練され整えられた声だけがよい声というわけではない。ひとりひとりの生まれた時からの経験、見てきたこと聴いてきた音を背負った個性豊かな声に、心は動かされるのだ。オーセンティック・ヴォイスはその人の個性を、心身がもっとも良き状態で表現する声である。その複雑さ、その美しさに、私はいまも感動し続けている。


声の力を再発見するオンラインイベントを開催

5月17日(火)20時より、声が持つ本当の力を知るためのオンラインイベントを開催します。

山﨑広子氏にModern Times編集長の大川祥子が話を聞き、実際に実験をしながら声が持つ力を探っていきます。自分の声の力を知りたい方、声に対してお悩みがある方、声を使ってよりよい仕事をしたいとお考えの方はぜひご参加ください。時間の許す限り、質問も受け付けます。ぜひ奮ってご参加ください

参加費:無料 (事前のメルマガ登録が必要です。5月16日までにメルマガにご登録いただき、配信されるメールに記載されているフォームよりお申し込みください。フォームからのお申し込みは5月17日19時に締め切らせていただきます。)