私たちを司る時計遺伝子
体内に存在しながら色々な周期(1日、潮汐、季節など)のリズムを生み出しているシステムが体内時計である。1日の中で朝昼夕夜といった時刻に相当する時間軸の流れを認識するのに必要な システムはサーカディアンリズム(概日リズム)と呼ばれている。また、女性の性周期のように約28〜29日で変動する体内時計も、さらに繁殖期という言葉があるように季節で変動する体内時計もあるかもしれないが、これらの時計の分子メカニズムは不明な点が多い。ところで、受精から誕生、成長、老化、死までも一連の時間軸の流れであると考えると、これも体内時計の一つといえるかもしれない。ここでは、2017年のノーベル医学生理学賞の授与理由である「時計遺伝子の働きで作られる概日リズムのシステムの解明」について詳しく考えることにする。時計の仕組みの分子機構が明らかになっていること、生物界共通の普遍的な仕組みであることから、一般的に体内時計という言葉は概日時計と同義的に使う場合が多い。
ハエもマウスもヒトもよく似た時計を持っている
原核生物(地球誕生の初期に出現した生物で、細胞に核を持たない)のシアノバクテリアでも概日時計を持っている。ショウジョウバエもマウスもヒトもよく似た仕組み(似通った時計の道具)で約1日のリズムを産出し、地球の自転周期の24時間に対応している。つまり、我々が地球上で目にすることができる生物は、大腸菌などの細菌類を除いて明暗環境が変化する24時間周期に対応できた生物のみである。ここからは我々の身近な生物である哺乳動物について詳しく述べていくことにする。
胎生期の初期には24時間駆動型の体内時計システムはまだ機能しておらず、逆に周期が短い2時間周期の発生時計が機能し、朝夕など時刻に関係なく器官形成を行っている。ごく最近の研究で、胎生期の初期に無理に24時間周期の時計を発現させると発生・分化がうまくいかないことが報告された。同様に、iPS細胞やES細胞も発生の初期には24時間周期の体内時計は機能しておらず、細胞が増殖し機能分化が起こってくる時期になると24時間周期の時計が活躍できるようになる。以上をまとめると、発生初期は1日のリズムなど関係なく日夜器官形成を行う方が有利で、胎生期の後期で生まれる頃には地球の24時間周期に近い概日時計を用意した方が有利であるのかも知れない。
体内時計を駆使することで、飢餓を乗り越え、感染症から免れてきた
体内時計を持つことは生物のライフ(生活)に有利に働くのであろうか。地球上の生存競争に勝ち抜くためには、時間と空間の情報を如何に見極められるかは重要であり、例えばどの方向に何時に行くと花が満開で蜂蜜をいっぱい手に入れられるかを知ることでミツバチは生存競争に勝ち残れる。また、生殖に欠かせない排卵も体内時計の支配下にあるので、体内時計が不調の状態はこのリズムに異常が起こり妊娠率は低下する。実際、我々は時計遺伝子が異常なマウスを繁殖させ、子供を増やすのに苦労している。また、時計遺伝子 が異常なマウスは、授乳のリズムも乱れているので、赤ちゃんマウスの成長が遅いことも分かった。ところで、一生に一回のイベント(出来事)でも体内時計の支配下になっていることが分かっている。蝉の抜け殻などは早朝に見られることが多いが、この時刻に羽化し、その後の日光で羽を乾かし、飛びたつのに都合が良い時間配分になっている。実際ヒトも同じで、正常分娩は早朝に起こりやすい。昼行性生物であるにも関わらず夜遅くに羽化や分娩が起こると、昼行性生物では不利な夜間に夜行性の動物に襲われる危険性があるわけで、体内時計はこれを回避するための重要な役割を果たしていると言える。
時計遺伝子は、実際に実行する遺伝子に対して24時間周期の発現リズムを作ることで1日の仕事をさせる。例えば肝臓にはコレステロール合成に関係する遺伝子が発現しているが、このコレステロール合成の遺伝子は時計遺伝子が支配する実行系の遺伝子(これを、クロックコントロールジーン(CCG)と呼ぶ)として働き、夕方から夜にコレステロールを合成する。このようにして、CCGを調べたところ、約15%がCCG遺伝子であるので、全体として25,000個の遺伝子があるとすれば、3,000〜4,000個の遺伝子は体内時計の実行系遺伝子ということができる。
CCG系の遺伝子の中にはエネルギー代謝や免疫系に関連する遺伝子が多数含まれていた。このことは体内時計を駆使して、飢餓を乗り越え、感染などから免れることを意味し、これらのCCG遺伝子の存在はヒトを含む生物がライフ(生活)を営む上で重要な戦略であろう。
肝臓や肺、腸の平滑筋や骨格筋も時計を持つ
哺乳 動物は、魚類、爬虫類、鳥類などと異なり、脳の視交叉上核と呼ばれる場所に体内時計を有している。ここの神経核を壊すと、覚醒・睡眠のリズムや、活動リズムや体温リズムなど1日周期のリズムが全てなくなることから、この神経核が生体のリズム現象の中心であると考えられている。しかしながら哺乳動物で時計遺伝子が見つかり、遺伝子の発現パターンを調べると、もちろん視交叉上核の時計遺伝子発現リズムは朝・昼・夜と大きく変動していたが、肝臓や肺などの臓器でも大きく変動していた。これらの結果は末梢臓器にも体内時計の仕組みがあることを示しており、そこで現在では、視交叉上核の体内時計を主時計、大脳皮質や海馬などの視交叉上核以外の脳にある体内時計を脳時計、末梢の肝臓や肺や腎臓、腸の平滑筋、あるいは骨格筋などにある体内時計を末梢時計と呼ぶことにした。
血漿アルブミンというのは血液の浸透圧を保つために重要保つに重要なタンパク質であるが、これは肝臓でのみ作られる。アルブミンを作る遺伝子の働きは体内時計の影響を受けるために、1日の中で特定の時間にのみアルブミンを作っていることになる。また、排尿を考えると腎臓の働きが活発な昼間は排尿行動が盛んであるが、夜間は少ないことから腎臓に体内時計の仕組みが仕組があることは容易に想像できる。すなわち、末梢臓器の働きに時間情報を与え、効率よく臓器の働きを手助けするのが末梢時計の役割であると認識されている。時計遺伝子の発現リズムの振幅を調べると臓器ごとに異なり、肝臓は振幅が大きい臓器で、精巣は小さい臓器であり、精巣は日内リズムに捕らわれずに一日中機能し ているようである。また末梢臓器のリズム発現ピークの位相を調べると少しずつ異なる。生理学的な意味は分からないが、マウスで肝臓と腎臓のPer2リズムの位相を調べると、腎臓の方がピーク時刻は少し早く来る。肺がんでは肝臓でも時計機構に異常が起こることや、骨格筋の時計遺伝子の異常が睡眠に影響を及ぼすこと、腸内細菌叢の変化で肝臓や骨格筋の時計遺伝子発現が変化するなど、恐らく末梢臓器の間には臓器連関があり、この臓器間のリズム位相が大きく異なったりすると不健康になると思われる。マウスでは、肝臓、膵臓、骨格筋など臓器特異的に時計遺伝子の働きを低下させることが可能であり、それぞれの臓器の時計の役割解明が進んでいる。
不調の原因の一つは、臓器間の時間軸がずれること
視交叉上核は視神経が交叉した直上にある神経核という意味であり、視床下部と呼ばれる脳領域内にある。視床下部は本能行動(摂食、生殖、体温、自律神経など)に関連する働きをしている場所である。視交叉上核は視床下部の自律神経の中枢にも時刻情報を与え、昼間は交感神経が、夜は副交感神経が活躍するようにしている。また、視交叉上核は脳下垂体という場所にもつながっているので、下垂体ホルモンのACTHをリズム性に放出し、副腎皮質ステロイドホルモン分泌を朝に高値にし、その結果、血糖上昇を起こす。視交叉上核は頭蓋骨内にある松果体にも強く結びつき、松果体から睡眠誘発ホルモンであるメラトニンという物質を夜間に多く分泌させ、その結果睡眠を誘導する。
ヒトの末梢組織では、すなわち皮膚細胞や皮下脂肪細胞、毛根細胞などを直接取り出し、時計遺伝子発現リズムを観察することができるが、視交叉上核は小さすぎて、PET、MRIといった装置でも見ることはできない。そこで、視交叉上核の時計機能を測定する時は、前述したメラトニン分泌の日内リズムを測定することで間接的に判断する。ところで視交叉上核をマウスから取り出し、培養すると、1週間や1カ月くらい平気で時計遺伝子発現リズムを観察することができる一方で、肝臓などの末梢臓器の時計遺伝子発現リズムは1週間以内になくなっている。この時、肝臓の細胞が死んだのではなく、それぞれの細胞のリズム発現の位相がずれてしまい、見かけ上全体としてリズムがなくなったように見える。つまり、視交叉上核は歩調取りが強いため「能動発振:恒常的に24時間を刻む仕組み」に対して、末梢は歩調取りが弱いために「受動発振:24時間リズムが減衰する仕組み」となる。主時計と末梢時計の関係は、視交叉上核がオーケストラの指揮者で、末梢の臓器の各楽器に対して演奏する順番の指示をする仕組みである。したがって、指揮者とそれぞれの楽器の音量や順番がくずれるとオーケストラのハーモニーが取れていない状態が起こる。このように臓器間の時間軸の調節が不調になることが、病気の原因の一つであると考えられている。
夜中のスクリーンタイムは体内時計を遅れた状態に固定
24時間よりずれた状態の体内時計の位相を前進させ、あるいは後退させて24時間周期に合った状態の時計を作り出す仕組みを同調(リセット)という。毎日の明暗刺激はまさに同調刺激になり、体内時計は24時間周期のリズムを示すことから、この状態は概日リズムと呼ばずに日内リズムと呼ぶ。ヒトのように24時間周期より長い周期の生物は毎日の朝の光刺激で位相を前進させることにより24時間に合わせている。一方で、夜の遅い光は体内時計の位相を後退させることが知られている。つまり、夜遅く寝る直前までスマートフォンやタブレットを長時間見ていると(スクリーンタイムが長いという)、主時計の体内時計は遅れた状態で固定される。また、夜の光照射は睡眠物質であるメラトニンの分泌を低下させるので、夜間の光は覚醒と夜型化に拍車をかける。
同調スピードという言葉があり、自分の体内時計を外部の社会の明暗時間に合わせる時に、例えば日本から欧州へ旅行して体内時計を後退して合わせる場合と、日本からアメリカに旅行して体内時計を前進させて合わせる場合には、皆さんも経験するように、アメリカ行きの前進には時間がかかり時差ボケがひどいことが分かっている。このような現象が日本に居ながら起こる場合がある。週末の金曜日や土曜日に夜更かしし(スクリーンタイムで後退)、土曜日や日曜日の朝に起きてこないと、体内時計は前進できない状態になる。また後述するように週末に 夜食を摂ったり、土日の朝食をスキップすると、週末の体内時計は益々後退したままになる。月曜日の朝の光と朝食で一気に自分の体内時計を前進させようとしても先に述べたように前進には時間がかかるので、週の中ほどの木曜日あたりで、やっと追いつくと思われるが、週末の生活でまた遅れてしまうことになる。これは、時差が2〜3時間の所に毎週小旅行に出かけているようなものであり、社会の時間と自分の体内時計が合わないので、これを社会的時差があるといい、この時差のために不調であれば、社会的時差ボケがあるという。
社会的時差は肥満、うつ病、学業成績不振と関連が深い
社会的時差と朝型と夜型を簡易に調べる方法があるので以下に述べる。次の日に用事や学校・仕事がない日の前日の就寝時刻と、当日の起床時刻を書いてみる。次に就寝時刻と起床時刻の真ん中の時刻を計算する。例として、1時に就寝、9時に起床だとすれば、5時になる。この値が2時以下だと(朝型)、2〜3時だと(やや朝型)、3〜4時だと(中間型)、5〜6時だと(やや夜型)、6時以上だと(夜型)となる。また、次の日に用事や学校・仕事がある日の前日の就寝時刻と、当日の起床時刻を書いてみる。次に就寝時刻と起床時刻の真ん中の時刻を計算する。例として、22時に就寝、6時に起床だとすれば、3時になる。用事がない日の真ん中の時刻の5時から、用事がある日の3時を引くと2時間になる。この2時間を社会的時差が2時間あるといい、1時間以内が理想である。社会的時差が大きいと時差ボケ状態となり、肥満、 うつ病、学業成績不振等と関連が深いと言われている。
リセットのカギは、光、食、運動、温度
マウスの実験で、明暗条件下で飼育していると普通マウスは夜行性なので暗期が始まると餌を食べ始める。ところが明暗周期はそのままにして、食事の時間だけを8時間前進させ、明期の真ん中に食事時間を設定すると、肝臓のPer1遺伝子発現リズムは夜間から昼間に8時間前進した位相で固定されるが、視交叉上核のPer1遺伝子発現リズムに変化はない。つまり、無理な明期の食事時間の同調刺激で、肝臓の時計が夜のピーク時刻から昼のピーク時刻に移動し、視交叉上核とは真反対になる。体内時計の位相を動かす外界の刺激を同調因子と呼ぶ。主時計は光が最も強い同調因子となる一方で、末梢時計は食事、運動、温度変化などが同調因子になることが知られている。朝食や朝から昼の運動が末梢時計を前進させ、夜食や夜の運動が体内時計を後退させる。同調刺激になりうる物質として、副腎皮質ステロイドホルモン、コーヒー、水溶性食物繊維、ある種の機能性食品成分なども知られている。