「生活習慣病」リスクの高いインド
2022年に中国を抜き、人口が世界一となったインド。経済成長、中間層の拡大が進み、人々の生活レベルや食事は日々豊かになっている。
一方で、インドは「糖尿病大国」とも言われている。糖尿病患者の数は、世界で2番目に多いが(7,420万人)、実はその半数以上(53.1%)が、糖尿病と診断されていないといわれている。※1
インドで生活していると、砂糖を大量に使ったお菓子や、砂糖たっぷりのチャイ(紅茶)やコーヒー、油で揚げた軽食など、油や塩気の多い食事を摂ることが多い。都市部で生活していると、運動不足にもなりがちである。都市部の公共交通機関の多くは開発途中で、日々の移動は、自家用車やUberなどの利用が多く、自分の足で歩く機会は少ない。
最近はアッパーミドルクラス~富裕層を中心に、健康意識が高まっており、糖分や油分を控える食事を選んだり、ジムでの運動、ヨガを日常的に行ったりして、健康的な生活を心がけている人も増えているが、糖尿病などの生活習慣病の予防、早期発見は喫緊の課題である。
また、ガンなどの病気の早期発見や治療も重要課題である。インドではがん罹患者の5年生存率が約3割(日本は約7割)しかない。この生存率を向上させるためには、定期検診による早期発見と治療が重要である。インドを含む新興国では、がん検診サービスを提供する施設が少ない上に、健診をする文化も定着していない。
ストレスの多い病院での体験。予防医療の浸透はこれから
インドでは、日本ほど「予防医療」はそれほど浸透していない印象を受ける。「病気になってから」通院するのが一般的で、インドの労働法は従業員の健康診断受診を義務付けていない。会社の福利厚生にも健康診断は含まれておらず、各個人の意志で健診を受けるのが一般的である。
アッパーミドルクラス~富裕層を中心に、健康診断を受信する動きは広まりつつあるが、「健康診断」といえば、基本的な項目(血圧、BMI、心電図など)の確認が一般的で、日本の病院で受けるようなガン検査も含めた「健康診断」「人間ドック」は、あまり浸透していない。
また、インドでの健康診断には、様々な課題がある。
インドでは、最新の医療機器、優秀な医師がいるような大規模な民間病院でさえも、健康診断に丸一日かかるケースも多く、診断結果を受け取るまでに数時間待たされることもある。多くの科を回り、各科の窓口で毎回問い合わせをすることもある。「病院」での体験は「ストレスの多い」ものである。健康診断を受けるなら、かかりつけ医のいる近所のクリニックで、簡易検査(血圧、体重、心電図、問診など)だけを受けて、健診を済ませてしまう人も多い。ただ、これではガンや生活習慣病の早期発見には繋がりにくい。
そんなインドで「予防医療」の浸透に貢献するため、最新の健診センターを開設したのが、日本の富士フイルム社である。
※1 国際糖尿病連合(IDF)による。世界で最も糖尿病患者が多いのは中国(約1億4,090万人)
富士フイルムが開設した健診センター「NURA」
富士フイルムは、2021年2月、インド南部の都市、バンガロールに健康診断センター「NURA(ニューラ)」を開設した。翌年2022年にはグルガオン(首都デリー近郊の都市)、ムンバイにも拠点を開設し、現在インドに3拠点を構える。健診患者は中間層や富裕層が中心で、主に口コミで評判が広がり、受診者は3拠点で述べ1万人を超えるという。
インドにおける「NURA」の強みは、最新の医療機器とAIを組み合わせた最先端の技術を用いていること、そして健康診断がたったの2時間で完了できることである。
健康診断が普及している日本よりも効率的。高額だが、幅広い層の人が訪れるように
NURAの健康診断は「事前予約制」で、バンガロールの拠点では、1日に約30人が受診できる。
1回あたりの費用は、拠点によって違い、15,000~20,000ルピー(約24,000~32,000円)である。インド現地の病院が提供する一般的な健康診断と比べると高額ではあるが、中所得層~富裕層まで、幅広い層の人が利用しているという。
検査項目は、血圧測定、心電図、聴力、視力といった定番の項目に加え、肺や内臓の状態を調べるCTスキャン、骨密度を測定するDEXA、口腔がん、大腸がん、内臓脂肪、皮下脂肪を調べる体組成の検査などが受けられる。女性の健診メニューには、乳がんを検査するマンモグラフィー検査や、子宮頸がんの検査も含まれている。各検査には、富士フイルム社の細心の医療機器が使われている。これらの機器の多くは、日本から移送したそうだ。
グルガオンの健診センターでは、慢性閉塞性肺疾患や心筋梗塞のリスクを早期に発見するための生活習慣病の検査も実施されている。
健診の最後には、医師による検査結果の説明がある。デスク上のスクリーンで、当日撮影したX線画像やCTスキャンの画像などを見ながら、診断結果の説明を受けられる。
一連の検査から検査結果の説明までは2時間で完了する。
診断には、同社が開発する最先端の技術が使われている。例えば、AIによる画像解析技術を用いた医師の診断補助、AIや画像データの集約システムなどには、富士フイルム社が開発した独自技術が使われている。
診断結果レポートは、当日中に受診時に登録したメールアドレスに送信され、スマートフォンやPCでダウンロード できる。数日後には、レポート冊子が自宅住所に郵送される。健診結果は、受診者毎にNURAのデータベースで管理され、受診者は毎年健診を受ける度にデータを比較することができる。
日本の健康診断は一般的には診断結果レポートは郵送で、しかも結果が出るまでには数週間かかることも少なくない。すでに健康診断が普及している日本と比べても、インドで展開されているNURAは非常に利便性が高いといえる。
日本式の効率的かつ丁寧なサービスを導入し、受診者のストレスを大幅に減らした
筆者は知人の紹介で2022年9月に、バンガロールにある「NURA」の健診センター内部を訪問見学させてもらい、2023年2月には、実際に健康診断を体験した。受診したのは女性向けコースで印象に残ったことは3点ある。
①待ち時間ゼロのオペレーションデザイン
NURAでの健康診断において、インドの他の病院で受けた健康診断と圧倒的に異なるのが、一貫したスムーズな体験であった。
NURAでは、検査の開始から最後まで、専門の担当者が空いている検査から順に案内してくれて、各検査の間の待ち時間は長くても5分で非常にスムー ズであった。約10種類ある検査項目は決して少なくないが、一連の検査がたった2時間以内で終わる。
上述したように、インドの大型病院では常時混雑していて、一般的な外来診療も、健康診断でも、長時間待たされることは覚悟しなければならない。日本のそれと比べると、病院のオペレーションは非効率であることは多く、自分の順番が流されないよう窓口に常に問い合わせることも多く、健康診断以外の部分でストレスを抱える人も多い。
NURAでは、受診者枠を1日30人に限定し、受診者一人ひとりが、待ち時間なくスムーズな体験ができるように配慮したオペレーションがデザインされている。※2
②受診者を「Guest(ゲスト)」と呼び、快適な体験を提供
NURAでは、健康診断の受診者を「Patient(患者)」ではなく「Guest(ゲスト)」と呼んでいるのが印象的だった。また受診者一人ひとりに対し、案内をするコーディネーターや検査技師一人ひとりが、受診者に寄り添った丁寧な対応をしていた。
インド人の受診者に特別に配慮したと思われるサービスもあった。
例えば、乳がんを検査する「マンモグラフィー検査」や「子宮頸がん検査」では、インドでは(日本と比べると)浸透度が低い。そしてこれらの検査では、女性にとって体部のデリケートな部分に、検査技師の手や検査機器が直接触れるため、女性の受診者は怖さや抵抗感を感じることも多い。NURAではそうした女性の受診者に配慮して、タブレット上で説明動画を見せながら、女性の検査技師が丁寧に説明していた。初めて検査を受ける受診者がリラックスできるよう、最大限の配慮がされていることを感じた。
①②ともに、日本式の効率的かつ丁寧なサービスを、インドで実施している印象を受けた。高度な検査技術のみならず、受診者が快適な体験を受けられるよう、検査技師、案内の担当者など、全てのスタッフが徹底したトレーニングを受けているのだそうだ。
③最先端の医療技術
受診者にとっては見えにくい部分ではあるが、各検査には、ハードウェア、ソフトウェア両面で最先端の医療技術が使われている。健診センターでは、X線画像診断装置をはじめとする富士フイルムの自社ブランド機器だけでなく、世界各国のスタートアップが開発した最先端の機械も導入されている。また診断やデータ管理には同社のAI技術が使われ、医師の診断支援などを行っている。
NURAがインドで展開する健診サービス事業は、経済産業省が推進する「インド太平洋地域サプライチェーン強靭化事業」に採択されている。ブロックチェーン技術を用いたデータ連携基盤を構築し、NURAの3拠点で得られた健診データは、AI技術を用いて分析し受診者へのフィードバックなどに活用する仕組みを実証していく※3。
充実した検査項目、検査にかかる時間、全体的な満足度を考えると、NURAは決して法外に高い価格ではない。「予防医療」がまだ一般的ではないインドだが、新型コロナにも影響を受けた中間層、富裕層の健康意識の高まりから、質の高い健康診断へのニーズは今後高まっていくだろう。また生活習慣病やガンの早期発見、治療につながれば、インドの人々の生活をより良いものにする。富士フイルム社のNURAは、こうしたニーズをいち早く見出し、インドの社会課題解決に貢献する、日系企業のパイオニア的存在といえるだろう。
※2、※3 ムンバイの新拠点では、受診者がスマートフォンでいつでも診断結果を確認できる仕組みや、QRコード付きリストバンドでそれぞれの受診者の検査進捗を管理し各検査の待ち時間を短縮するフローを導入するなど、高品質でより円滑な健診サービスが提供される。(富士フイルム ニュースリリースより)
参考文献
インドにがん検診を中心とした健診センター「NURA(ニューラ)」2拠点を新たに開設 | 富士フイルム [日本]
【富士フイルム】が目指す”唯一無二”の医療バリューチェーンづくり | 財界オンライン
インドに健康診断を。予防医療への貢献をめざす日本企業の最前線
富士フイルム インドにAIを活用した健診センター「NURA」を新たに開設
NURA | 公式
Fujifilm to build global health screening services chain from India| FORTUNE India
Asia DX Companies that Solve Social Issues in Asia (2)| 経済産業省
Fujifilm inaugurates health screening centre in Mumbai| Financial Express.com