福島真人

福島真人

(写真:Ground Picture / shutterstock

精神医療を観る―不祥事の構造―

2023年2月に放送された「ルポ 死亡退院」が話題となった。八王子市の滝山病院では「死亡退院」が異様に多いことを追求したNHKのドキュメンタリー番組である。番組では患者への虐待行為がフォーカスされていた。1983年の宇都宮病院や2020年の神出病院での出来事など、精神病棟では衝撃的な不祥事が起きることがある。なぜこのようなことが起きるのか。そこにはどんなシステムがあるのか。STSの専門家・福島真人氏が著す。

Updated by Masato Fukushima on March, 31, 2023, 5:00 am JST

精神病院で見た「分散認知」の原形。医師が現地の不動産事情に異様に詳しい

もう今から20年以上前のことになるが、当時現場の学習課程という問題を研究していた縁で、精神看護系の人々と知り合いになるチャンスがあり、精神看護の現場を直接観察する機会を得た。隔週で東京都下の私立精神病院の病棟を訪問したが、その地域ではそれなりに歴史がある病院である。訪問当初は古い小学校の校舎のようなたたずまいで、患者たちは八畳一間の畳敷きの部屋に一緒に寝起きしていた。数年たつとだいぶ「近代化」が進み、総ベッド式に変わったので、病院という雰囲気が強まったが。とはいえ都心からかなり離れたところでもあり、低山に囲まれたのどかな環境であった。

ここで学んだことは多かったが、現場学習のみならず、日本の精神医療の歴史や海外との制度面での比較などもかなり勉強した。特に大戦を挟んだアメリカ精神医療制度の大変革と、それに係わった膨大な量の社会科学的研究は興味深く、中にはかなりの量の民族誌的調査もあった。そこには後の科学技術社会学(STS)、特にラボラトリー研究の先駆となるような研究も存在していた。その学説史的な意味が分かるようになったのは、だいぶ後になってSTSに本格的に参入した時である。

さて、上述した病院では精神看護の周辺で多くの知見を得たが、例えばチーム医療、つまり医師、看護師、作業療法士、そしてソーシャルワーカーといった多職種の人々がお互い協力しあって患者に対応している様子が興味深かった。例えば病棟の日常生活においては、作業療法の役割は大きく、また患者の社会復帰に関するソーシャルワーカーの奮戦ぶりも印象的であった。実際、分業といってもお互いの職分が微妙にオーバーラップしている面もあり、社会復帰に熱心な医師が、現地の不動産事情に異様に詳しいといった様子も興味深いものであった。後にハッチンス(E.Hutchins)という認知人類学者の「分散認知」という言い方が業界の一部で流行ったが、その原形のような話である。

激しい症状を呈した患者がすっきりした顔で退院していく一方で

患者の状態にも色々あり、症状が激しく大声を出して暴れたりする患者を見聞する機会もあったが、彼らは一時的に閉鎖病棟という、ドアに鍵がかかる病棟に入り、そこで治療を受ける。それとは別により症状の安定した患者用の開放病棟もあり、そこでは患者は自由に出入りができる。一見すると閉鎖病棟の患者の方が重症で、開放病棟の患者がより症状が軽いように見えるが、スタッフに話を聞くと必ずしもそうでもないらしい。実際私自身が見聞したケースでも、入院時に興奮し職員数名が取り押さえなければならないぐらい大暴れしていた青年が、3ヶ月もすると完全に復調し、すっきりした顔で退院していった。他方、開放病棟の患者たちが大暴れした例はあまり知らないが、症状がある意味固定していて、なかなか退院に結びつかないというのが当時のスタッフの悩みの種であった。

実際、入院が長期化し、そこでの環境に慣れすぎると、そこから外へ出て仕事をするのもなかなか難しいらしい。当時、患者の退院を積極的に推進していた別の病院でも、一度退院した患者が行くところがなく、再度病院に戻ってしまうというケースが少なくないと聞いた。病院と社会を結ぶ中間施設が発達しているカナダの医療システムから学ぼうというので、現地から専門家を呼んで講演会を開催していた。

この問題の解決が困難なのは、入院の長期化により患者の高齢化が進み、病院自体が介護施設のようになって来るという面があるからである。そうなると、新規の患者の受け入れが難しくなる。この件について中井久夫が、ダムとその底にたまる土砂という比喩でその状況を説明しているが、実際使える病床の確保は、こうした病院経営にとって最重要課題の一つである。

ベッドが埋まったとき、どのように入院先を確保するのか

この問題は、救命救急センターのような場所でも切実で、搬入される患者数が予測できないため、一時期に急激に患者数が増えると、救命センターのベッドだけでは足りず、他の一般病棟にお願いして病床を開けてもらうといった苦労もあった。そのため救急センターのトップは、周辺の諸部局と常に良い関係を保つ必要があり、そうした部局間関係に結構神経を使っていたのが印象に残っている。

他方、単科の私立精神病院では、埋まった病床を開ける機会は、患者の退院以外では、他の病院が長期療養患者を引き取ってくれるというケースがあった。該当する患者を急遽転院させるというので、慌ただしく選別を行う場面に出くわしたことがある。筆者が通っていた病院も東京中心からかなり外れた場所にあるが、更に奥の方にもいくつかの私立病院があった。病棟調査当時、東京周辺の精神病院の地理的分布図を作ってみたことがあるが、都心よりも遠方の都下に多くの病院が同心円上に広がっていたのは興味深かった。現在では比較的都心に近い病院も、その初期はかなり周辺部と感じられた場所にあり、ちょうどかつての「武蔵野」と呼ばれる地域が、今では都心に近い地域を含むという話に似ている。都心そのものが拡大したために、こうした周辺部の病院も段々と中心に近づいたのである。

「棺桶退院」の問題とコロナ禍での政府の対応の遅さは同根の問題

当時スタッフとの雑談で出てきた話として、こうした遠隔地の病院では、患者は死ぬまで病院で過ごすことがあり、それを業界の隠語で「棺桶退院」と呼んでいた。殆ど20年以上たって、この隠語を思い出すきっかけになったのは、「死亡退院」というタイトルのドキュメンタリーをテレビで見た時である。これは患者への虐待で死亡事故を起こした八王子の滝山病院事件に関するものである。精神医療絡みの不祥事は、調査当時にもあり、90年代に起きた関西の大和川病院事件であるが、更にその10年前には宇都宮病院事件が有名であった。前者は民放のドキュメンタリーにもなっており、そのビデオは今だに保存してある。

こうした不祥事に関しては、しばしば監督機関としての国は何をやっているのか、という批判が噴出するが、しかしここには日本固有の状況もある。それはちょうどコロナ禍での政府の対応の遅さに対する批判と同根の問題である。つまり日本の医療システムにおいては、私立の医療機関が非常に多いという事実である。

精神医療に限ってみても、欧米先進国の伝統的精神病院は、その大半が国または州の管轄下に置かれており、戦中戦後にかけて精神病院の機能不全問題が噴出した際に、行政のトップダウンの号令によって、大規模な改革が行われたり、極端な場合は、米国のように、巨大な州立病院を一気に解体してしまうという荒療法も可能であった。他方本邦では、特に1964年のライシャワー事件以来、むしろ私立精神病院が大量に建てられ、こうした病院が現在にいたる日本の精神医療の社会的景観をつくってきたのである。

これに似たような状況は、近年我々が散々目にすることになった、コロナ禍における法的手段の限界という話である。欧州のように、公立病院が中心であれば、国の政策としてあれこれと命令が出せるが、日本の場合、政府が直接管轄する国立/公立病院数が限られており、私立病院に対しては、いわば協力要請という形でしか対応できない。普通何事においても国の規制がうるさく、ゴルバチョフ(M.Gorbatchev)が「最も成功した社会主義国」と評した本邦は、医療に関しては、比較的自由主義的な側面をもち、それが網羅的な健康保険システムと複雑に絡み合っている。英国のNHSにおける近年の機能不全と、米国の市場中心主義的な医療制度の限界のいわば中間に位置し、よいバランスをとった制度という評価をえる場合もある仕組みだが、その陰の部分として現れてくるのが、こうした精神病院における不祥事なのである。

不祥事の源が発生しやすい環境は、行き場のない患者を受け入れてくれる場所でもある

実際、こうした私立病院の限界は現場目線からいってもかなり重い問題を残していた。例えば当時殺人歴のある患者を病棟で預かっていたが、易怒的で強い妄想状態にあり、スタッフは対応に苦慮していた。スタッフ間の話し合い時では、「やはりこうした患者の扱いは私立病院では無理で、設備の整った公立病院で行うべきだ」、という意見も繰り返し表明されていたが、結局そのような形で、公立病院に転院されていた。

こうした私立病院依存という体制の別の限界は、まさにこの棺桶退院という隠語に象徴されるようなシステムのゆがみである。先程のダムの比喩ではないが、保存できる水量を維持するために、より条件が緩い病院がそうした患者を請け負い、結果としてこうした隠語が示すような状況が常態化することになる。条件が緩い分、その実情に監査の目が行き届かなくなり、繰り返される不祥事の源にもなっていく。ただし、20年前の民放ドキュメンタリーで印象に残ったのは匿名の患者家族の言葉であった。「そうやってあんたらは正義を盾に病院を潰すが、この病院はどんな条件でも患者を受け入れてくれていた。そういうのがなくなってしまったら我々家族は一体どこに引き受けてもらえばいいのか」。問題の根はかなり深いのである。

参照文献
暗黙知の解剖―認知と社会のインターフェイス』 福島真人(金子書房 2001年)
学習の生態学―実験、リスク、高信頼性』福島真人(筑摩書房 2022年)
アサイラム—施設被収容者の日常世界』E・ゴッフマン(誠信書房 1984年)
中井久夫著作集―精神医学の経験』中井久夫(岩崎学術出版社 1984/1991年)
『東京の私立精神病院史』東京精神病院協会編(牧野出版 1978年)
Edwin Hutchins(1995)Cognition in the Wild, MIT Press.
Masato Fukushima, (2020) Before Laboratory Life: Perry, Sullivan and the missed encounter between psychoanalysis and STS​, BioSocieties15(2):271–293.

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