読書法としての抜き書き
西欧の大学生や教養人にとってコピペは、実用性の高い修練の方法であった。実験や観察によって、書物からではなく自然から知識を得る科学的方法が広く実践される産業革命の時代が到来するまでは、知識の獲得はもっぱら読書を通じてなされた。17世紀のフランシス・ベーコンは「ある書物は味わうべきであり、ある書物は呑み込むべきであり、そして僅か一部の書物は咀嚼し消化すべきである」と述べた。読書の表現に食事の隠喩が頻繁に用いられた。要約することは、今でもダイジェスト digest (消化の意)だ。
最後のじっくり読み込む精読には、記憶術が援用されたりしたけれど、学生や初学者向けにもう一つの方法があった。すなわち原典を読みながらメモをとることだ。もちろんテキストの気になる箇所に下線を引くとか、余白部分に見出しをつける習慣はいまでも見られるが、特別にノートを用意し、主題ごとに個別の抜き書きを行なうことが多かった。例えば、モンテスキューは「歴史、地理、法律、政治、神話」などのジャンルを設けて抜き書きを作成した。この方法は16世紀までには学校で推奨されるようになっていた。つまりコピペを教師が勧めたのである。抜き書き帳は「主要論題集」(commonplace book)とも呼ばれた。得られた知識を整理する方法として、アルファベット順に論題あるいはジャンルを付し、系統的に整理をするように言われた。この使い道は各様だ。作家は創作のヒントを得ることもあったし、修辞技法として利用することもあった。法律家は演説の草稿に気の利いた引用が欲しい時に役立った。教会では司祭が説教の材料に使った。
聖職者だってコピペをする
現在でも朝礼の話題に悩む全国の校長先生のために「朝礼ネタ例文集」のサイトや書籍があるように、近代以降の司祭の説教の題材を論題別に集成したものが多く出版された。前夜にスピーチの構想で悩まなくても済むので「安眠の書」Dormi secure と呼ばれていた。フランシスコ・ラバタの『説教の仕方』(1614年)やヴァンサン・ウードリの『説教師の図書館』(1712年)など多くある。ウードリの説教集は話題別に項目を立て、聖書や教父あるいは神学者の言葉が引用、つまりコピペされていた。
ここで注目したいところは、コピペは一度で済まないということだ。コピー元ももっと古い年代の文献のコピーであることは往々にしてある。福音書のイエスの言行はよく引用されるが、そもそもイエス自身の言葉が旧約聖書の予言 の書のコピーのこともある。例えばマタイ福音書(15:8-9)「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。人間の戒めを教えとして教え、むなしくわたしをあがめている」。このイエスの言葉は表現こそ僅かに違えども、イザヤ書(29:13)のコピーである。他にも随所に散見する。
1.コピペは勉学の重要な方法である
2.読書法としての抜き書き
3.ニュートンは「アイディアを盗んだ」と告発された
4.接吻することは剽窃か?
5.コピペで大量の論文を投稿した科学者の行方
参考文献
『大唐西域記』玄奘 水谷真成訳(平凡社 1999年)
『人類の知的遺産〈12〉イエス・キリスト』荒井献(講談社 1979年)
『複製芸術論』多田道太郎(講談社 1985年)
『アリストテレス全集』アリストテレス 内山勝利、神崎繁、中 畑正志編(岩波書店 2013年)