井山弘幸

井山弘幸

ピエール=オーギュスト・ルノワール『海辺にて』Auguste Renoir|By the Seashore, 1883

(写真:メトロポリタン美術館 / The Metropolitan Museum

ニュートンは「アイディアを盗んだ」と告発された

過去2回、コピペには実は有用な面があることを解いてきた。実はコピペは歴史とともに負の面が現れてきたのである。ここからはコピペが「罪」になりだしたころのことを解説する。(シリーズ3/5)

Updated by Hiroyuki Iyama on January, 30, 2023, 4:40 am JST

大量のコピペができるだけで名声を得られた時代

写本の歴史や抜き書きの伝統のことを述べたけれど、これまで見た範囲では、書き写しや抜き書きが悪いことだと非難する声は聞こえてこない。いや、むしろ学者や教師はコピー行為を推奨さえしていたことが分かる。ではなぜ現代において「コピペは剽窃だ」という批判があるのか。今度は剽窃行為 plagiarism に焦点を当てて考えてみよう。

ルネサンス時代は中世と同様に、たとえ何か発見するとか、独創的な思想を言い立てることがなくとも、幅広い知識ゆえに名声を博することができた。ジョンソン博士の英語辞典における copy の第一の意味が A transcript from the archetype or original であったことを思い出そう。「原本や最初の記述からの書き写し」がコピーなのだ。だからルネサンス的教養人は豊富なコピー知識をもっていて、なおかつそれが非難の的にはならなかったのである。寧ろ尊敬されていた。この点に限れば、事情は現代でも変わりはない。博覧強記の巨人南方熊楠の膨大な著書のほとんどが古今東西のテキストの書き写しであることを思い出そう。このレヴェルになると、網羅的な書き写しを可能にする天賦の才に畏敬の念さえ感じる。

「アイディアを盗んだ」と告発されたニュートン

オリジナルの本来の意味は origin(第一のもの、原初)であることだが、17世紀になると、科学技術者や思想家が独自に考案すること、独創的であること、という新しい意味が生まれた。学者たちは何か斬新な知識をもたらすことを、ますます期待されるようになっていく。斬新 novel すなわち独創的 original となった。この背景の一つに、16世紀後半以降に急増した先取権争いや剽窃への非難があったのだ。フィリッポ・ブルネレスキは1421年に「天才の果実が他人に収穫されぬように」と船舶設計の新案の特許をとり、自分の知的財産を守った最初の人間であったと言われる。友人のタコッラ(Taccola)との会話のなかで、ブルネレスキはこう言った。「君の発明を大勢の人と共有してはいけないよ」。と言うのも、その発明を盗み、自分が発明したと言い張る競争者が出現するようになったからだ。15世紀の時点では先取権争いはまだ、さほど広まってはいなかったが、16世紀以降「剽窃」の告発が頻繁に起きるようになる。(1535年のタルターリアの場合は用心を怠り、三次方程式の一般解をカルダーノに盗まれ、後から非難した。一説によると、暗号化していたのに弟子が酔っぱらっている時に解読コードを聞き出されたらしい)。

例えばジョン・ディー(John Dee)はティコ・ブラーエとヨハネス・ケプラーから情報と着想を盗まれたと訴えられ、ディーは反対に自分の方が盗まれたとやり返した。オロフ・ルドベックとトマス・バルトリンはいずれも自分がリンパ系を最初に発見したと言い張った。ニュートンの支持者たちは、師の発明した微分法を盗んだとしてライプニッツに噛みついたが、その一方でニュートン本人が博学者のロバート・フック(Robert Hooke)から光の屈折現象と重力の逆自乗の法則の考えを盗んだとして告発されている。

万有引力の法則の発見について、ニュートンがフックに先を越されたことについては、中島秀人氏が『ロバート・フック ニュートンに消された男』で面白く論じている。ここで注目すべき点は「何が剽窃の対象となるか」である。ブルネレスキからニュートンに至る知識人が盗まれたと感じたのは「発想」つまりアイディアだ。修辞表現でも決まり文句でもない。書き記した文章をそっくりそのまま写されたと文句を言っているのではない。この点だけに絞っても、昨今の学生がレポート作成で行なうコピペは決して剽窃の非難の対象ではないことが分かる。

レオナルド・ダ・ヴィンチは草稿を鏡文字で書いた

自分の先取特権あるいは独創性を守るために、一部の自然哲学者は発見したものを、語句転綴(アナグラム)を使い暗号化して公表することもあった。この時代に好まれた工夫だ。例えば、ガリレオが新しい自製の望遠鏡で惑星の土星が異なる三つの天体から構成されていることを見いだしたとき、SMAISMRMILMEPOETALEUMIBUNENUGTTAUIRAS 
と言う謎めいた言葉でその発見を伝えた。これを並べ替えると
altissimum planetam tergeminum observavi 
(私は、最も遠い惑星が三重星になっていることを観測した)になる。

ここまで凝ったものではないが、レオナルド・ダ・ヴィンチは多くの創意と発想が詰まった草稿を鏡文字で書き、鏡に映すことを思いつかないと読めないように工夫した。1774年にラヴォワジエは酸素の発見を記した論文に日付をつけて封印し、アカデミーの書類棚に保管した。この逸話の面白い点は酸素の単離に必要な酸化水銀の情報を、彼はもう一人の酸素の発見者プリーストリから得ていたことだ。つまり剽窃を恐れるラヴォワジエ自身が、英国のライヴァルの発見を剽窃していたのだ。まあその後、フランス革命で徴税請負の仕事の不正が理由でギロチンにかけられ命を落としたので、気の毒ではあるけれども。

1.コピペは勉学の重要な方法である
2.読書法としての抜き書き
3.ニュートンは「アイディアを盗んだ」と告発された
4.接吻することは剽窃か?
5.コピペで大量の論文を投稿した科学者の行方

参考文献
知識の社会史 知と情報はいかにして商品化したか』ピーター・バーク 井山弘幸、城戸淳訳(新曜社 2004年)
『博識家論』ピーター・バーク 井山弘幸訳(左右社 2023年刊行予定)
ロバート・フック ニュートンに消された男』中島秀人(朝日新聞出版 1996年)