大谷翔平選手の代理人の収入は4億円を超える……?
おそらく現在の日本で野球選手として一番有名な大谷翔平選手の2023年の年俸は、43億4,000万円だといわれる。私などには信じられないほど巨額であるが、これだけの年俸をもらうために、代理人を雇っている。代理人は、年俸の5-10%を手にするといわれるので、もし大谷翔平選手の代理人が10%の手数料をもらっているとすれば、4億円を超える収入を手にしていることになる。
スポーツ界で、代理人がいかに大きな役割を果たしているのかが、ここから理解できよう。
代理人が手にする「手数料」とは、 ‘commission’の和訳である。私がヨーロッパ経済史を研究しはじめた30数年前に、さまざまな論文で‘commission’という用語が使用されていた。当時は、この語の意味がよくわからなかった。’commission’が実体経済を見ていくうえで、欠かせない概念であると認識したのは、数年前のことであった。
私はこれまでの連載でも、コミッションの重要性を主張してきた。ここでは、現代経済だけではなく、歴史的に見てもコミッションがなぜきわめて大切なのかを、さらに深く掘り下げたい。
商売の規模拡大のためには欠かせなかった「委託代理商」
委託代理商’commission agent’という言葉がある。Cambridge英語辞書には、「企業の製品(products)を販売し、商品代金の一部を受け取る人」とある。しかし、これは正確な説明ではないような気がする。 それは、企業の「製品」を販売するとはかぎらないからである。
たとえば、ポルトガルでとれた塩の販売のためドイツで委託代理商を雇ったとしよう。この場合、企業が製造したものを販売するということではない。むしろ委託代理商とは、商人と商人を「つなぐ人」であると考えた方が良い。
おそらく委託代理商の誕生は、ヨーロッパの商業形態の変遷と大きく関係している。それは、遠隔地商業に従事する商人の活動形態が、「遍歴商人」から定住商人へと変化したことと大きく関連しているように思われる。
11-12世紀頃の北ヨーロッパで活躍していたハンザ同盟の商人は、自ら商品を携えて取引相手の居住地を転々とする「遍歴商人」であった。遍歴商人のギルドは武装能力を備えた人々から構成され、商業旅行をするときには相互に援助していた。この当時は、国家の軍事力はあまり強くはなく、商人は武装しなければ、誰に襲われるかわからなかったのである。
それが、13-14世紀になると、実務を使用人に任せ、自分は本拠地に定住し、指示を出す「定住商人」へと変わっていった。商人は都市に住み着き、遠隔地まで赴くことはなくなった。彼らが取引する商品も穀物、海産物 、織物類、木材などと非常に幅広くなり、それにともない、商人が常に個別の取引に立ち会うことは不可能になっていった。そこで、取引相手と手紙を使って通信する必要性が生まれてきたのである。
12世紀中頃までは、読み書きができないハンザ同盟の商人のために、聖職者が商業文書の執筆を代行していた。しかし、商人は、やがて自ら商業文書を作成するようになり、商人と聖職者の関係は、少なくとも商業界では薄れていった。
委託代理商は、どれほど遠隔地であっても、商人が直接取引するかぎり必要ではない。だが、商人がいつも直接取引相手と会わなければならなかったなら、取引量の増加は不可能になる。したがって商人は、自分以外の誰かに商売を任せなければならなかった。そこで委託代理が誕生したと考えられよう。そしてここに、コミッションが誕生したと推測されよう。
ヨーロッパ史において、委託代理商がさらに重要になる時代がやってきた。ヨーロッパの対外進出がそれである。
かつてのコミッションに比べれば、現代のレートは安い方?それでも委託代理商は儲からなかった
ヨーロッパは、対外的拡張を遂げ、取引地域を増やしていったために、取引をする商人の文化圏が拡大していった。ヨーロッパ人は、これまで以上にさまざまなタイプの商人との商業取引を実行するようになっていった。
中世ヨーロッパの経済的先進地帯であったイタリアは、アジアから胡椒・香辛料を輸入することで大きな利益をあげていた。 これらの商品は、東南アジア→オスマン帝国→イタリアという経路でヨーロッパに流入した。
このような経路での商品輸送において、イタリアが占めた地位は決して大きなものでなかった。イタリア商人はアジアからヨーロッパへと通じる交易圏(さまざまな宗教・文化圏の人々が商業で共同する)異文化間交易で、マイナーな役割しか果たしていなかったからである。
しかし、ヨーロッパ商業が拡大したことは事実であり、そのために委託代理商が増えていったと考えるのは当然のことである。イタリア商業は明らかに、為替取引を増やし、そのたるに銀行業が活発になっていったのである。中世において、銀行とは、あくまでも決済のために機能していた。
近世のあいだに、ヨーロッパは世界各地で取引をするようになった。そのため、多数の委託代理商を使用するようになった。そのコミッションとして、私が見たかぎりでは、20%ということは珍しくなく、30%ほどだったこともあった。
この頃の委託代理商は、大谷翔平選手の代理人と同じく、特定の人のために働いた。大谷選手が何人の選手の代理人として働いているのかは知らないが、その利益には大きな限界があった。200-300人の選手の代理人となることは不可能だからだ。
同様なことは、近世ヨーロッパの商人にもあてはまる。たとえコミッションレートが高かったとしても、一回の商行為に長い時間がかかり、しかも遠隔地との商行為のリスクは高かったのだから、委託代理商はそれほど儲からなかったといえるのかもしれない。
イギリスが巨額を投じて築いた「見えざる武器」
このような様子が変わったのは、電信が登場してからのことである。
たしかに、初期の電信が伝えられる情報の量は非常にかぎられていた。けれども、送られる情報の量は増え、電信なしでは、事業活動を遂行することが不可能になっていった。
しかも電信の敷設には、巨額の費用がかかった。一人の商人、一つの商会では到底調達できないほどの金額であった。さらに、海底ケーブルさえも敷設された。それを賄えるほどの機関は、国家しかなかった。情報の伝達に、国家が大きく関与することになったのである。
世界の情報通信において、それ以前と決定的な違いをもたらしたのは、電信だったのである。以前なら、人間が徒歩や馬に乗って情報を伝えていたので、人間の移動スピードよりも情報が速く伝わるということはなかったのが、ヒトの移動より情報の伝達スピードの方が、速くなったからである。
国家や商品などハードの歴史だけでなく、ソフトウェアの歴史も同じように大切なのだ。電信は、イギリスの歴史家ヘッドリクによって、「見えざる武器」と呼ばれた。電信の発展は、19世紀ヨーロッパの対外進出とともに起こった。電信は、ヨーロッパの世界支配のあり方とも大きく関係しているのである。
電信により、世界各地がたちまちのうちに結びつけられた。イギリスが圧倒的な情報の優位者となり、それを利用して金融上の支配者となった。
イギリスの電信網には、多数の異文化間交易圏が含まれた。それ以前なら、弱い紐帯しかなかったそれらの交易圏が電信によって統合されることになった。もちろん、イギリスに強固に結びつけられた地域もあれば、電信の影響が弱く、さほどではなかった地域もあったろう。ともあれ電信によって、異文化間交易が非常に簡単になり、商業取引のコストが大きく下がったことは間違いない。
さらに、電信を利用して決済がなされた。電信の登場以前であれば、手形が振り出された都市から、それが引受けられる都市へは、何日、何十日、場合によっては、百日以上の日数がかかった。だが、電信は、それを一挙に縮めたのである。19世紀末から20世紀初頭のイギリスの経済力は、この点を無視して語ることはできない。
コミッションレートは急落したが、手にした額は巨大。イギリスは金融の帝国に
周知のように、この頃、イギリスは世界最大の工業国ではなくなり、その地位をアメリカやドイツに譲った。しかし、イギリスはその海運力、そして金融力により、世界経済の覇権国家になった。世界経済が成長すればするほど、ロンドンでの決済は増えていった。
ロンドンには、そしてイギリスには、巨額のコミッションが流入していった。一回の取引で入手できるコミッションレートは、それ以前と比較するとずっと低かった。ところが、取引回数が大幅に増えたため、入手可能なコミッションの総額はずいぶんと増えたのである。これは、コミッション・キャピタリズムの重要な特徴である。
電信が誕生する以前のコミッションも、誕生してからのコミッションも、一回の商行為ごとにとられる。コミッションレートは、前者より後者の方がずっと低い。しかし、近世の貿易商人は、一回の商行為に必要な日数は非常に多かった。
電信は、今もなお国際的な商行為の主要な決済手段の一つである。20世紀初頭に世界中を覆った電信による収入はきわめて多く、イギリスには、信じられないほど巨額のコミッションが流入することになった。そして、大英帝国は金融の帝国になった。世界中が電信による金融ネットワークで結びつけられるようになり、その影響は現在でも強いのである。
クレジットカードを使うことで、私たちはアメリカに富を流出させている
現在のコミッション・キャピタリズムは、アメリカが中心である。そのアメリカの特徴として、クレジットカードがあることはいうまでもない。
クレジットカードは、1950年代のアメリカではじまったとされる。実業家と弁護士が、ツケで買うために考え出したのが、そのきっかけであった。それが現在では、世界上に広まっている。世界の有名なクレジットカード会社のVISA、MASTERなどは、アメリカの会社である。アメリカでは、クレジットカードを保有する人たちのステータスが高かったが、現在では、むしろ保有しない人々のステータスが低くなっているのかもしれない。
読者の皆さんも、クレジットカードをもっていらっしゃることだろう。私は大学生のときにはクレジットカードをもっていなかったが、私のゼミ生は全員もっている。世界は、大きく変わったのだ。キャッシュレス社会の象徴の一つが、クレジットカードなのである。
私が頻繁に海外に行くようになった1990年代には、しばしばトラベラーズチェックを使った。このときに、ある会社が2.5%の手数料をとっていたのが、私がコミッションに興味を抱いたきっかけかもしれない。
ところが。クレジットカードのコミッションはなかなかわからない。一般的には、業種にもよるが、1%から5%程度だといわれる。私たちは、それを知らない間に取られていると考えられよう。これを支払うのは店であるが、しかし、このコミッションがなければ、われわれはずっと安く商品を購入できるかもしれないのだ。クレジットカードには多数の便利な点もあるが、最終的にはコミッションを顧客が支払う(つまりクレジットカードを使うということは、最終的には顧客が購入する商品価格に転嫁される)ということを、忘れるべきではないだろう。
インターネット普及以前にも、クレジットカードはむろん使用されていた。しかし、インターネットが普及したことで、クレジットカードの使用率は急速に増加した。私自身、Amazonで図書などを購入し、楽天トラベルを使ってホテルを手配している。そうすることで、じつはアメリカのコミッション・キャピタリズムに貢献しているのである。
VISAの営業収益を知っていますか?
2021年10〜12月期決算で、VISAの営業収益は70.6億ドル(前年比24%増)であり、営業利益は47.8億ドルだった。 営業利益率は67.7%と、驚くべき高さである。これは、あまりに儲けすぎであり、クレジットカードの手数料は、できれば現在の十分の一にすべきではないか。
もしこのクレジットカードのコミッションがもっと低ければ、ずいぶんと助かる会社が多いのではないか。いくつもの企業の純利益が、2%ほど高くなるかもしれない。
私たちは、紛れもない金融社会に生きている。他のどの産業と比較しても、金融業の利益率は高い。しかし、多くの場合、それは目に見えない。したがってその利益率が暴利といえるほど高いものであっても、それに気づかない。それこそが、コミッション・キャピタリズムの特徴なのである。