村上貴弘

村上貴弘

一時日本を騒然とさせたヒアリ(提供:島田拓)

耐え忍び続けた者が生存権を拡大したときに、ミラクルは起きる

2017年に初めて日本への上陸が確認され、一時社会を騒然とさせたヒアリ。厄介者だが、実は原産地では弱くてマイナーな存在なのだという。ヒアリはなぜここまで人間社会に脅威を与える存在になったのか。そこから人間が学べることはあるのか。アリの研究者・村上貴弘氏が紹介する。

Updated by Takahiro Murakami on December, 22, 2022, 5:00 am JST

電気が通じていないラオスの山岳地帯でも、みんなスマホを持っている

日本社会におけるデジタルトランスフォーメーションの遅れは、周回どころか2周遅れくらいの状態だろう。友人の研究者が大学の実習で10年ほど前に訪れたラオスやインドネシアの山岳地帯では、電気が通じていないにも関わらず、全ての住民がスマートフォンを所有していたそうだ。充電はどうするのか?なんと、屋台の充電屋さんが村々を周り、人々はその屋台にコンセントを差し込んでは充電をするそうだ。電気が通じていないような社会にもスマホが定着し、人々はネットに常時接続し、情報をインテイクし、かつアウトプットしていたのだ。

そこから10年が経過しているにも関わらず、日本社会ではいまだに東南アジアの電気が通じていないような山岳地帯よりもデジタル移行できていない状況が続いている。政府が躍起になって導入を促しているデジタル化の象徴でもあるマイナンバーカードも、実態としてはアナログの極みのような手続きが待っている。詳細はおそらく読者の皆様の方がよくご存知であろう。

このような世界の潮流から取り残された日本の状況は絶望的なのか?
今回はヒアリの社会から、日本社会の行く末を考えてみたい。 

ヒアリの毒性、恐ろしいのはアレルゲンタンパク質

ヒアリとは、ブラジル・アルゼンチン・パラグアイの国境沿いにあるパラナ河流域を起源とするアリで、恐らく現在日本で最もよく知られたアリだと思われる。2017年6月に初めて国内で確認され、そこから数カ月間まさに「ヒアリパニック」と形容するのに相応しい状況になったのを記憶されている方も多いだろう。

ヒアリが問題となったのは、まずその毒性にある。ヒアリは「ソレノプシン」というアルカロイド毒と4タイプの「Sol」というアレルゲンタンパク質を持っている。ソレノプシンの方は、主に皮膚症状を引き起こす。刺されて30分くらいでプクッと小さな水ぶくれができ、周囲が赤く腫れあがる。痛みよりは痒みが強く、人によっては数週間しつこいかゆみに悩まされることになる。しかしながら、ソレノプシンの作用で怖いのは患部をかきむしることによる細菌感染であり、毒作用そのもので重篤な症状になることはない。

問題となるのはアレルゲンであるSolの方で、こちらは刺された人の数パーセントが重いアレルギー反応であるアナフィラキシーショックを呈し、さらに深刻なケースでは死に至る場合もある。アメリカ国内では毎年数百万人が刺され、数万人がアナフィラキシーショックを起こしていると報告されている。死亡例はそこまで多くはないが、これまでにアメリカ国内だけで100人が報告されている。

日本国内で数少ないヒアリを研究している僕も、数多く刺されており、その数は70回以上。恐らく日本人で刺された回数としては最多ではないかと思われる。そのうち、台湾で刺された時に2回、軽いアナフィラキシーショックが出たことがある。非常に怖いアリであることは間違いない。

アメリカでは年間5,000億円から1兆円をヒアリが食い潰す

しかしながら、それ以上にヒアリが問題になるのは、その旺盛な繁殖力と環境適応能力である。原産地の南米から1940年代にアメリカ合衆国南部のモービル港に侵入し、定着してからわずか数十年でフロリダからカリフォルニアまで、瞬く間に拡大し、在来の昆虫相や植物、特に農作物への深刻なダメージを与えている。また、数十万個体を擁するコロニーが何百と連なった大集団が電気ケーブルやモーターに侵入し、大規模な停電を引き起こしたり、牧場の牛を刺して乳量が減少したりするなど、経済の各分野に多大な影響が出ている。その総額は年間で5,000億円から1兆円と推計されている。非常に大きなコストをアメリカ社会は毎年払っていることになる。

しかしながら、このヒアリ、原産地ではほとんど目立たないアリで、ブラジルやアルゼンチンでは問題になったことがなかったのだ。そこに今回のテーマが隠されている。

マイナーで弱く、追いやられているからこそ特殊能力が進化した

原産地でのヒアリの生息環境は、パラナ河という大河の岸辺に露出した赤土にへばりつくように営巣している。パラナ河流域は雨季と乾季で大きく水量が変化し、雨季には洪水が発生する。その度にヒアリの生息場所は浸水し、撹乱され、下流へと押し流される。ヒアリはなんでこんな不毛で住みにくいところに巣を作るのだろうか?

その答えは、ヒアリがアマゾン熱帯域では全くのマイナーで弱いアリだからだ。アメリカ合衆国では「殺人アリ」ともいわれ、恐れられているのに、原産地ではなぜマイナーなのか?それは、その他のアリたちが強すぎるということに他ならない。熱帯多雨林にはパラポネラのように、ヒアリの10倍以上体が大きく毒性も攻撃性も強いメジャークラスのアリやヒアリの10倍近いコロニーサイズを持ち、毒も攻撃性もやはり桁違いに強いグンタイアリ、組織力ではヒアリなど全く歯の立たないハキリアリなど、オールスター軍団がひしめき合っており、とてもではないがヒアリが入り込んで繁栄するだけのスペースはない。したがって、しょぼくれたヒアリたちは誰も巣を作ろうとしない不安定な川べりにしか住めない、という訳だ。

毎年洪水で巣が流されるような場所で5000万年も生きていると、様々な特殊能力が進化してくる。例えば、水の上で働きアリ同士が密集し「ヒアリボート」を作る能力だ。びっしりと密集したヒアリたちは自分の体の表面張力を最大限生かして、洪水が起こっても「ヒアリボート」の上に卵、幼虫、蛹、そして女王アリを乗せて下流へと安全に流れていく。

また、ヒアリの持つアルカロイド毒は、一般的には動物が体の中で作ることが難しい毒だ。例えば、フグ毒のテトロドトキシンは有名なアルカロイド毒だが、その起源は海中の動物プランクトン由来である。ヤドクガエルの毒は食料の昆虫由来(それこそヒアリなど)で、無毒の昆虫を食べさせると無毒のヤドクガエルになる。

ヒアリは昆虫では非常に珍しく自らの体内でアルカロイド毒を合成できる。したがって、どこに行っても、どんな食べ物を食べても攻撃に必要な毒を作り出すことが可能なのだ。

しかしながら、そんな涙ぐましいマイナーリーグ所属のヒアリの進化も原産地では目立ったものにはならない。原産地のヒアリの社会構造は比較的単純で小さい。1つの巣には、女王アリが1個体しかおらず、隣の巣とは血縁関係が希薄で、働きアリ同士が出会うとかなりの騒動に発展する。したがって、それぞれが独立した小さな巣を作るので、ますますこじんまりとした社会になってしまうのだ。

人間の経済活動のおかげで、ヒアリに革命が起きた

このようなマイナー生活を5000万年もの間続けてきて、ついに出会ったのが人間だ。人間の経済活動が活発化したおかげで、ヒアリは南米から北米大陸へと進出することができた。しかも、北米大陸に侵入した個体群には不思議な現象が起こった。ひとつの巣に女王アリが何個体も存在する「多女王化」が進んだのだ。

それだけではない、そのようなコロニーが次々に増えると、今度はそのコロニー同士が融合してより巨大なスーパーコロニーが出現した。フロリダ州の研究によると、その拡大速度は年間2kmの速さと推定された。ものすごい拡大速度だ。

さらにまずいことに、今度はこのスーパーコロニーも融合し、超巨大な「融合コロニー」化してしまい、アメリカ合衆国南部に定着しているほとんどのヒアリは各々が敵対性を示さない集団となってしまったのだ。こうなると、ほとんど駆除は不可能な状態になる。なぜなら、縦横無尽に連結したコロニーにはそれぞれ数百を超える女王アリが存在し、どこかのコロニーが殺虫剤で死滅してもすぐに女王アリも含めて補充されて、繁殖が再開されてしまうからだ。

侵入地では、さらに予想外のことが起こった。毒の多様性が増したのだ。ソレノプシンのタイプは原産地では3-4タイプしか持っていなかったのが、北米に侵入したものでは6-7タイプまで増えている。恐らく、近縁種との交雑により遺伝的多様性が増した影響だと推定されている。 

耐え忍んでいれば、チャンスは訪れる?

ヒアリは人間と出会うことにより、生息域を飛躍的に拡大している。南米でほそぼそと生きていたヒアリは今や北米大陸南部だけではなく、オーストラリア、台湾、中国で大繁殖している。特に中国南部に視察に行った時に見たヒアリの生息状況はアメリカに酷似しており、経済優先の国同士の持つ共通した恐ろしさを感じたものだ。

現在の日本社会は、原産地でほそぼそと暮らしていた頃のヒアリ社会に類似していると思いませんか?周りを大国に囲まれ、ここ数十年は最先端の科学技術から取り残され、社会構造も超少子高齢化してこじんまりとしてしまっている。

だが悲観してはいけません。ヒアリは5000万年もそのままの状態で頑張ってきたではないですか。その後の人間との奇跡的な邂逅により、今やヒアリは昆虫界でもメジャー級の分布域の広さ、および生物量を誇るまで成功しているのです。日本社会も現状の厳しい状況に合わせて必死に様々な能力を磨き、耐え忍んでいけば、その先に予想もつかない幸運が待っているに違いないのです。もちろん、それが世界から称賛されるような繁栄になるのか、ヒアリのように様々な地域社会に迷惑をかけるような厄介者になるのかは保証しませんが。