フランス文学の研究者は何語で論文を書くのか
我々の周辺には、あまりに当たり前になっているために、その自明性をほとんど疑わないような事象が数多くある。かつてイザヤ・ベンダサンという謎の人物が、日本人にとって「水と安全はタダ」、という名言をはいて、その後広く人口に膾炙したが、環境汚染や昨今の地政学的状況によって、この自明性はだいぶ怪しくなっている。こうした自明性の別の例として、国際語としての英語という状況がある。例えば日本人とアラブ人が会話をする時、お互い下手な英語でしゃべるという光景は珍しくない。また自然科学領域ではこれはほぼ確立した社会的事実と見なされており、私も利用する英語校正サービスの利用者の大多数は、理系の研究者である。戦前、アインシュタイン(A.Einstein)のような研究者がドイツ語で論文を書いていたという事実は、今では何か奇異の目で見られるかもしれない。
だがこの国際語としての英語という常識が、必ずしも自明ではない分野もある、というのが興味深い点である。例えば、フランス文学研究において、論文を「国際語」で書くとしたら、研究者はそれを英語で書くのであろうか。フランス文学研究者は、当然フランス語には精通しているが、それを英語でとなると、今度はフランス語/英語という翻訳が必要となる。実際彼らにそれを尋ねてみると、英語で書くのはあまりピンとこないという。