井山弘幸

井山弘幸

アウトハウスレース。アウトハウスとは手洗い所のこと。旅行客が去った晩秋、カナダのユーコン州ドーソンでは、ログハウスそばに建てられた手洗い所を運ぶレースが行われている。

(写真:佐藤秀明

たらい回しの起源は専門家にある

多くの人がDX化を強く望む領域に、役所や病院とのやりとりがある。フローが明確になっていない領域に落ち込んだ瞬間、どこへ行って何をすればいいのかがわからなくなる。そして大抵「たらい回し」に遭うのだ。「たらい回し」はなぜ生じるのか。源は「独占」と「分業化」にある。

Updated by Hiroyuki Iyama on October, 6, 2022, 5:00 am JST

エジソンも感銘を受けた「たらい回し」

コロナ禍で深夜の都会を救急車が患者を搬送しても、受け入れてもらえずやむなく他の病院を転々と。こんな様子を患者の「たらい回し」とメディアでは呼ぶ。なぜこんな事態になるのか。たらい回しが生まれた背景を考える。

たらい回しはもともと大道芸の一つであったが、さほど歴史は古くない。見世物興行の演目の一つで天保二年(1831年)の辛卯見世物年表の図を見ると、床に寝そべった男子がたらいを縦にして両足に載せて回す芸だと分かる。後の明治五年正月に曲持(鉄割弥吉一座)大阪道頓堀若太夫芝居での演目に「元祖東京下り。足藝かるわざ 若太夫鉄割久吉・上乗り鉄割鶴吉・太夫鉄割熊吉・太夫本鉄割弥吉」とあって、鉄割一座の御家芸の一つだったことが分かる。この時の宣伝絵だと舞台に数人寝そべって、次から次へと足でたらいを回してゆく曲芸のようにも見える。こちらの方が天保の芸よりもふさわしい。足を使って回されるのは「人間」ではなく「たらい」だが、足蹴にされるたらいの身になって考えると、確かに腹が立つ芸だとも言える。複数の芸人がたらいを回すこの芸が「各所を転々と回される様子」に近いので、現在のメタファーの起源だと考えて良いのではないか。

三一書房『見世物雑志』より。

評判となって海外公演まで行ない、発明王エディソンも感銘を受けたそうだ。西欧はジャグリングの伝統は古代からあるが、足芸はせいぜいサッカーのリフティングのようなものしかないので、珍しかったのかもしれない。中国でも蹴鞠の足芸があり、「水滸伝」の悪玉高毬にいたっては、蹴鞠で皇帝に気に入られ高官に抜擢されたが、これもわが国のたらい回しとは異なる芸だ。

役所で用いられるようになった芸当

現代に生じる不愉快な「たらい回し」は、最初は病院ではなく、役所の窓口を訪れた市民が、その用件はここでは扱わぬと拒まれ、言われるままに各所を回る苦労に用いられた。黒澤明の名画「生きる」には、役所ならではの印象的なたらい回しのシーンがある。志村喬演ずる渡辺勘治は市役所の市民課長で、無味乾燥の書類相手に黙々と判子を押す、無気力な仕事の毎日。陳情にやってくる市民は、この市役所でたらい回しにされるが、ことなかれ主義に陥った渡辺はどこ吹く風と頓着しない。末期癌で余命いくばくもないと知らされて、一時は自堕落な生活を送っていたが、かつて部下であった玩具会社の女工、小田切とよの言葉に動かされる。「貴方も何かを作ったら」と。一念発起して、余命尽きるまでに何かなし遂げようと、公園の建設に奔走する。たらい回しをする側から、建設のため各署を回る側に転じる。感動の公園のブランコでの臨終シーンと形式主義の市役所員の凡庸さとの対比が印象的な、素晴らしい作品だ。

考えてみると、玩具の製作や自動車の組み立ての作業には、工員が持ち場を動かず、製作途中の製品がベルトコンベアで運ばれてくる方式があって、こちらの光景の方がよほど「たらい回し」に近いのだが、やはり回される側の気持ちを反映してか、ほとんどがお役所での虚しい窓口回りの意味で用いられる。

誰が申し出を受け入れるべきかが分からない

先に犯行を見せてしまう倒序型のドラマ「刑事コロンボ」にも、たらい回しが登場する有名な作品がある。ピーター・フォークが自ら監督した「パイルD-3の壁」である。犯人の建築家は分からないところに死体を隠しておいて、コロンボに向かって「巨大ビルの下に死体を埋めれば百年経っても発見できない」と謎をかけ、暗に、建設中の工事現場に打込まれたばかりのD3番のパイルの下に死体があるかのような示唆を行なう。これをコロンボは嵌(は)められたふりをして、パイルを掘り返し、死体を発見しようと動きだす。だがいくら警察の要請でも、役所からの認可がなかなか降りない。ドラマでは、役所の中を駆けずり回る刑事コロンボの姿が映し出される。たらい回しされた挙げ句、やっとのことで目的のパイルを引き上げると、そこには死体は見つからず苦労は水泡に帰す…かに見える。この後の逆転劇は書かないでおこう。

コロンボの奔走は「たらい回し」の原因の一つを教えてくれる。古来、お役所の重要な機能の一つは、訴訟や陳情の処理であった。古代中国では皇帝がすべてを決裁する場合もあったが、それは稀なケースだ。行政は分業化が進み、個々の案件を担当する部署に分かたれているのが普通である。コロンボは、工事の差し止め、捜査目的の掘り出し作業の申請をするため、複数の担当官を回らねばならなかったのである。端からパイル掘り出しにぴったりの窓口などないのだ。コロンボはどの窓口に行くべきかを知らないし、所員も似たようなものだ。
映画「生きる」の住民の陳情を受ける市役所も、どの課が申し出を受け入れるべきか、容易には分からない仕組みになっている。市立公園を建設することに特化した窓口など、もとよりない。近頃のようにコロナ対策が国民的関心事になると、コロナ対策課のような部署ができる地域もあるが、これはむしろ例外の部類である。

このようにたらい回しの一因は、多様化する事案に即応するかたちで、行政の分業がなされていないことにある。そもそも、行政課題の解決のための分業ではなかったのか?いや、実はそうでもないのである。産業革命以降に定着した生産の分業化は、集約的な作業と労働の効率化によりコストを削減し、大量生産とその結果として消費の拡大を可能にした。分業は、民間企業においては消費者に利益をもたらす。これは、商品サービスの質が需要状況に依存するからである。消費者は競合するサービスの中から、自分の判断で好ましいと思うものを選択することができる。

「独占」と「分業」がたらい回しを生む

ここでたらい回しの大道芸がまだ行なわれていた時代に作られた、明治大正期の落語「ぜんざい公社」を見てみよう。パイルを掘り出すのでも、公園を作るのでもなく、ぜんざいを食べるのに「たらい回し」に遭う話である。公社なので「ぜんざい販売の独占」が前提となっている。

電気を盗む電線
他人の家から電気を盗むための電線。ネパールの首都カトマンズにて。

新しくできたぜんざい公社の広告を見て「公社ってぇのが格上みたいでいいね、いっちょ食べてやろうじゃないか」ということで「高層建築で食べる格別の味」のぜんざい公社の正面受付へ。「ぜんざいは六番の窓口へ」と言われてそちらに行くと、書類作成を強いられ百円をとられ、住所、氏名、年齢、職業、家族構成まで書き込む。これで食べられると思いきや、六階の診察室へ回される。また百円を払って診断書を書いて貰ってきて受付に提出すると、「餅を入れる認可証」が必要だと言われる。八階の窓口に行って、早く認可証を寄こせと言えば、「餅を焼くための火器使用許可証」を地下室で発行して貰えと言われる。この後、延々と許可証の申請・発行に手間取り、手数料総計五百円を払いようやくぜんざいにありつけた。ところが格別の味の筈のぜんざいは少しも甘くない。堪忍袋の緒が切れて抗議すると、担当官が笑って答える。「甘い汁は皆、こちらで吸ってます」。

この二代目桂小南の噺は行政の分業態勢を揶揄したものだ。役所風に語られているが、顧客にぜんざいを提供することで成り立つ甘味処が、公社となったためか、市民から甘い汁を吸う、サービス意識の希薄な姿勢が描かれている。ここでのたらい回しは、客の要望に沿おうとしない役所本位の営利の一環なのである。

元をただせば、役所の収入の源は税金である。封建時代ならば年貢だ。いずれも領主や役人が自ら働いて稼いだものではなく、公権力を背景に徴収したものだ。税収入は、役職ごとに再配分される。役所の仕事は、民間の賃労働とは本質的に異なる。住民管理や証書の作成、あるいは公共事業への支出、確かに仕事は多岐にわたるが、それらの個々の仕事の対価として報酬を得ている訳ではない。ましてや、担当部署における職能がその者に備わっているのか、発揮されているのかを、顧客である市民から評価を受けることがない。戸籍係は書類処理に有能だから雇われているわけではない。役所と化したぜんざい公社では、売上とは関係なく俸給が得られるし、サービスに勤しむ必要もなく、たとえ一杯も売れなくとも譴責を受けることのない、働く側にとっては都合のよい職業なのである。
役所のサービスは、本来は納税への対価だと考えることもできるが、利用者が個々の公共サービスに対し直接料金を支払うわけではないので(証票の発行の手数料など僅かな例外はあれども)、取引きをしているという意識が生まれにくいのである。

さらに言えば公共サービスが本来もつ非競合性も原因の一つになっている。役所は市民へのサービスを独占的に行なう機関である。権威によって市場を支配する。市場という表現は適切ではないかもしれないが。ぜんざい公社が客をたらい回ししても平然としていられるのは、公社以外にぜんざいを食べることができないからだ。他でも得られるサービスならば、二度と行かなければ良いのである。現実の甘味処は、魅力ある商品の開発、改良工夫を重ね、サービスを充実させ、他店との競争のなか差異化をはかって客を得る。かつての塩や煙草のように専売によって市場が独占されていて、競合する民営の甘味処がないことが災いしたのである。

患者は適切な診療科を選べない

では、役所ではない病院で冒頭にあるような「たらい回し」が起きるのは何故なのだろうか。担当医の不在、専用ベッドや人工呼吸器ECMOの不備などで救急患者を受け入れることができず、やむなく病院探しに奔走する悲劇は、これまで述べた役所のたらい回しとは異なる例だと思う。医療における「たらい回し」も本来は、専門化に伴う分業に起因するものだ。機知に富むアメリカ人コラムニスト、アート・バックウォルドのエッセイ「樹木外科医」を読んでみよう。

専門化時代は社会の隅々まで浸透した。最近バックウォルドは木のことで悩まされた。美しいオークの大木が枯れかかったので、急いで樹木外科医に電話した…。と、ここから想像を絶する「たらい回し」が始まる。最初の外科医は「往診をしていません」と突き放す。じゃあ木を切り倒して連れて行かないといけないのか、と泣きつくと、三日後に渋々やってくる。枝を見上げた専門医が「かなり重症だ」というので何とかしてくれと言うと、「私は大枝の専門家でないから」と言って治療を断り、25ドル受け取って大枝の専門家を紹介する。大枝の専門家は、枝の修復以前に樹液が流れる切り口の病変を処置すべきだと言う。

セントラルオーストラリアの牧場のゲート
セントラルオーストラリアの牧場に建てられたゲート。

病変部専門の別の医師の紹介料と後の大枝の処置で50ドル必要となる。さて、病変部の専門家の方はすぐに手を打ってくれたが、樹木全体が栄養失調だと指摘。そちらもお願いしようとすると、「施肥は専門外」と突っぱねられ、遠方にいる根の専門家を病変部の治療費込み75ドルで紹介してくれる。一週間後にドリルをもって現れた根の専門家は根の近くの地面に穴を開け肥料を流し込む。作業を終えた後で言う。「根の周囲の掘抜きが小さ過ぎて、これじゃ木は窒息するから肥料をと水をやっても無駄ですよ」。だったら肥料を何故やったのかと抗議すると、貴方がそうしろと言ったからだと相手にしない。恐る恐る掘抜きを頼めるかと聞くと、それは無理だ、樹木外科医は掘抜きには手を出さない、それは石工の仕事だと言われる。仕方なく自分で探してきた石工は、掘抜き工事を終えた後にこう言う。「旦那、この木はひどく弱っていますよ。私だったら腕の良い樹木外科医を呼びます」。

実体験をもとにおそらく誇張して書かれたこのパロディーは、冗談のようでいて、そこそこリアルな既視感がある。樹木外科医だけで四人の専門家、それに樹医ではない石工職人が登場する。樹木の具合が悪いのも、身体の調子が良くないのも同様で、医者にかかろうと思い、大抵は病院での診察を選ぶことになるが、どの診療科を受診すべきかが素人は分からない。病院での「たらい回し」は、こうした場合に生じるケースが多い。ぜんざい公社の役人根性と専門医の権威とでは一見違うように思われるが、サービスを特権的に行なうという点では共通している。

医者にかかった先は、自分でサービスを決められない

体調が悪かったり、痛みを覚える人には、実際には多くの選択肢がある。

1. 猫のようにうずくまり自宅で療養する。
2. 整体、鍼灸、整骨、マッサージ、アロマテラピーなどの民間療法を試す。
3. 薬局に行き薬剤師に相談し、一般医薬品を購入して服用する。
4. 近在の診療所に行くか町医者にかかる。
5. 総合病院で専門医療を受ける。

1~3の段階は自分の意思、判断で決められるので、たらい回しに遭うことはないが、売薬ではどうも治らないと、ホームドクターにかかる。そこからは、自分の受ける医療サービスを自分で決めることができない。売薬とは比較にならぬほど有効成分の量が多い処方薬は、医師の処方箋がないと手に入れることができない。アムロジピンやディオパンなどの血圧を降下させる薬は、一般の薬局では売ってくれないからだ。ワクチン接種も、注射するのは看護師でも、必ず医師の指示のもとに行なわなければならない。

これは医薬分業制度のためでもある。薬局の歴史は古く、大学出身の医師や貴族の侍医に診て貰うことのできない庶民は、薬局、占星術師、呪術師などの民間医療に頼るしか術がなく、その中でも調剤薬局は病院とは独立した、人気のある医療機関であり、かつては独自に診断することも処方することもできた。だが長期間にわたる患者の奪い合いの結果、各国に医師法に類する法律が生まれ、医師以外の医療行為は禁じられた。(日本では1948年に医師法が施行され第17条で禁じられている)。つまり医療サービスの特権的独占が、制度として成立したのである。

大学医学部で専門教育を受けた者が、正規の治療を行なうのだからもっともなことだ、と思う人もいるだろうが、感染症の予防や消毒、抗生剤の投与、麻酔下での外科手術や鎮痛解熱剤が普及する二十世紀以前の医学では、医師の治療の正当性を裏づけることのできる治療実績はほとんどなかった。たとえば、ヒポクラテス医学以来二千年以上にわたって行なわれてきた瀉血は、肺炎などの炎症を罹患した患者の上腕から最大で1リットルほど血を抜く治療であるが、統計学者がその無効性を訴えるまで延々と続けられ、多くの犠牲者を生み出した。モーツァルトもワシントン大統領も、瀉血が原因で死んだと言われている。

たらい回しと権力とは表裏一体の構造をもつ

現在では、医師会が陣頭指揮をとって励行しているワクチン接種による予防は、歴史的には化学者のパスツールが開発したものだが、羊炭疽病や狂犬病の予防をめぐってパリ医師会はこぞって、医師が考案したものではない、したがって権威のない彼の免疫療法を批判し、圧力をかけさえした。パスツールは患者に注射をすることを禁じられ、友人の医師ルーが代行している。医師はつねに権力の側にある。パスツールが医師会相手に奮闘して、ワクチン接種を定着させるまでの物語は、アカデミー賞受賞映画「科学者の道」で余すところなく伝えられている。たらい回しと権力とは表裏一体の構造をもつのである。

本年8月13日亡くなられた近藤誠医師は「ガンは切らなくても治る」など痛烈な発言を医者仲間に発したことで有名だが、彼はかつて放射線科に勤務していて、同じ病院のガンを切る外科医や抗ガン剤を投与する内科医との間にかなりの摩擦を生じていた。患者にとってみれば、最良の治療を受けられれば良いのだが、この三つの診療のどこが自分にとって最適かを判断する専門的知識をもたず、途方にくれてしまう。専門家の縄張り争いは庶民にとっても迷惑以外の何ものでもないのである。

参考文献
日本人登場/西洋劇場で演じられた江戸の見世物』三原文 (松柏社 2008年)
『落語大百科 第3巻』川戸貞吉(冬青社 2001年)
だれがコロンブスを発見したか』A・バックウォルド、永井淳訳(文藝春秋 1980年)
近代医学の史的基盤』(上下巻)川喜田愛郎(岩波書店  1977年)
「生きる」黒澤明(1952年)
「刑事コロンボ パイルD-3の壁」(1971年)
「科学者の道」ウィリアム・ギターレ(1936年)