破綻したオウム真理教と持続した統一教会の差
大規模な殺人を犯したか否かという点において、オウム真理教と統一教会の違いは大きいが、内閉的で攻撃的な外部との関わりを持続し、多くの被害者を生み、批判を招いたという点で、統一教会とオウム真理教は類似点がある。そして、統一教会はオウム真理教に先立っており、オウム真理教が意識的にかどうかは別として、それを取り込んだという可能性もある。
始まった時期の先後ということとともに、それがどれほど長続きしたかという点でも、両教団には大きな違いがある。オウム真理教はそうした現世離脱的で攻撃的な信仰活動を取り入れて、およそ10年で自己破壊的な葛藤状態にのめり込んでいき、弁護士殺害や信徒殺害は何とか隠し得たとしても、1994年の松本サリン事件、95年の地下鉄サリン事件で壊滅の道を歩んでいくことになった。対外攻撃的な孤立を貫く集団は、存続が困難であることを自ら実証したとも言えるだろう(『現代宗教の可能性―オウム真理教と暴力』岩波書店 1997年)。
一方、統一教会はきわめて多くの被害者を生み、膨大な額の賠償金を被害者らに支払った。だが、それにもかかわらず、攻撃的な布教、献金要求、物品販売などを続けてきている。裁判で責任を問われたことにより。2000年代には極めて多額の被害者への返金等をせざるをえなかった。だが、安倍元首相殺害犯の母親のように1億円以上を献金し、2002年に自己破産をし、いったん5千万円とも言われる額の返金を得たにもかかわらず、それをさらに寄付してしまったという例もあった。
統一教会の攻撃性は、なぜこのように持続したのだろうか。教団として殺人を犯すに至っていないというきわめて大きな違いに加えて、どのような要因が考えられるだろうか。一つの要因として考えられるのは、統一教会が政治的な庇護を得たということである。
保護的な役割を果たした政治家や有力者の責任
オウム真理教は外部社会との葛藤が増大した段階で、政治家を通して宗教法人としての認証を働きかけ、それを妨げる存在と疑った坂本弁護士を一家ともども殺害した(1989年)。その前後の時期、オウム真理教は多くの著名文化人や学者を味方にしようとして働きかけ、一定の成果は得ている。たとえばダライ・ラマ14世と並んで写真をとったり、国内の著名な文化人や学者の対談をしたり、支持的発言をとりつけたりした。だが、政治家等の大きな支持を得ることはできず、結局は、文化人らの支持を裏切るような方向へと進んだ。オウム真理教は同時代の政治的社会的勢力の保護や支持を求めはしたが、それが成功しないままに攻撃的関与をますます強め、解体していったのだった。
他方、統一教会は日本における布教活動の初期である1960年前半から、自民党の大物政治家や財力豊かな保守的な著名人、さらには学界・教育界の有力者らと親しい関係を結んでいる。早くも、外部社会との葛藤が露わになり始める1968年には国際勝共連合を設立し、これによって韓国の軍事独裁政権だった朴正煕大統領の支持を得、日本の右派や自民党の右派とも手を結んだ。1974年には世界平和教授アカデミーを組織し、大学教授などの支持を得ることにも力を入れた。選挙のときに自民党の政治家を助ける活動にも関わっており、多くの訴訟で敗れ、厳しい批判を浴びた後の2010年代にもそれが続き、2022年の参議院選挙にまで及んでいる。統一教会の暴力的な活動を許容する上で、保護的な役割を果たした政治家や有力者には道義的な責任があると言わざるをえない。
このように見てくると、オウム真理教と統一教会の同時代性、そして共通点と相違点が見やすくなるだろう。まず、共通点ということでは、現世否定的な教えと現世離脱的な活動様式、そして攻撃的な外部社会との関わりということがある。他方、相違点としては、オウム真理教が政治家や社会的有力者の支持を得ることに成功しなかったのに対して、統一教会はそれにかなりの程度、成功したということがある。だが、統一教会の場合、それによって、市民社会における共存のためのモラルを我がものとする機会を見出すことができずに来たのである。
日本においての資金調達は特に苛烈だった
この点でさらに付け加えたいのは、統一教会では、攻撃的な対外的関わりについて、日本では特にその推進を促す、あるいはそれを強いる教えと方針があったということである。統一教会は世界諸国で活動を行ったが、霊感商法や献金要求が多数の人々を巻き込んで激しく行われたのは日本だった。これは日本こそが最初の人類の堕落を引き継ぐ「エバ国家」であり、「アダム国家」である韓国に負債があり、日本が韓国に 「侍る」、つまり人材と資金の供給を行うのは当然だという教えにのっとったものだ。
これについては、日本と韓国でのフィールドワークに基づく、詳細な調査研究である櫻井義秀・中西尋子『統一教会―日本宣教の戦略と韓日祝福』(北海道大学出版会 2010年)の詳しい叙述がある。その一節を引こう。
「アメリカは文鮮明及び教会幹部達が活動戦略を練り、政治的な活動を行う中心地であり、教義上は、アメリカが韓国を政治的にサポートすることになっている。それに対して、日本は、世界宣教、及びアメリカ・韓国における統一教会の経済活動を資金・人材の両面で支える国家だとされる。日本はエバ国家とされ…エバはアダムを堕落させたものゆえに、アダムに侍ることが教義上求められる。そのために、1970年代以降、日本における資金調達は熾烈さを極め、1980年代に入って、霊感商法等の経済活動を展開するに至った。その結果、日本統一教会の評判が悪くなり、従来の教団名を出した伝道方法ではほとんど新規の布教ができない状況になる。そのために、新宗教としても極めて特異な布教方法を実施することになったものと考えられる。」(94ページ)
統一教会は日本で大きく勢力を伸ばしたが、信仰上、また布教戦略上、韓国と米国にこそ信仰共同体のより重い意義をもつ場があると考えられていた。日本はそれらの地域に仕えるべき国である。財政的下働きをすべき責務があるというのだ。そのために日本における信徒や信仰組織、またそれと関わる市民に福 利が及ばないこと、ひいては危害が及ぶことを控えようとする動機が小さかった。このことも、統一教会の攻撃性が強く持続されてきた大きな要因である。
エホバの証人との対比により明らかになる、オウム真理教と統一教会の類似点
現世否定的な教えを前面に押し出して1970年代以降に活動が活発化した新宗教教団の例として、ここでは統一教会とオウム真理教を例にあげた。もう一つ、同時期に現世否定的な教えを掲げて、顕著に信徒数を増加させた新宗教教団にエホバの証人がある。
エホバの証人(ものみの塔)は米国で19世紀に成立している教団で、日本にも戦前にすでに入っていた。しかし、厳しい取り締まりを受けて解体し、戦後にあらためて布教を始めている。しかし、急速に勢力を伸ばしたのは1970年代以降である。
エホバの証人も現世否定的な教えが強く、悪にまみれた現世に間もなくキリストの再臨があり、終末が近づくと唱える。千年王国主義的、終末観的な教えを掲げる教団である。そして、一般社会と距離をとり、できるだけ多くの時間を布教に費やす現世離脱的な生活を信徒に強いる。そのために信徒集団は、一般社会から隔離された内閉的な集団となる。この点では、統一教会やオウム真理教と近いところがある。
エホバの証人も一般社会との間にしばしばトラブルを起こす。たとえば、輸血拒否とか学校での武道授業の拒否などだ。信徒が一般社会と隔離されて育つために生じる信徒の子弟の困難が問われることもある。「信徒2世」の苦難を引き起こす傾向が大きいということだ。
しかし、エホバの証人は一般社会に攻撃的に 関わって、正体を隠して強引に信徒に引き入れたり、献金を強要したり、高額の物品を売りつけたり、信徒に過酷な活動をさせたりということで問題になることはあまりない。被害者として訴訟を起こすような人もさほど多くない。外部に対する攻撃的な関わりを通して拡張をとげようとするという点では、目立たない教団と言える。エホバの証人と対比することによって、統一教会とオウム真理教の類似点がいっそう明確になるだろう。
参考文献
『現代宗教の可能性―オウム真理教と暴力』島薗進(岩波書店 1997年)
『統一教会―日本宣教の戦略と韓日祝福』櫻井義秀、中西尋子(北海道大学出版会 2010年)