ロシア連邦がウクライナに軍事侵攻した年として記憶されるであろう2022年は、ソヴィエト社会主義共和国連邦が誕生して100年という節目の年でもあった。ソヴィエト連邦ができた1920年代は第一次世界大戦後のモダニズムの時代で、世界の多くの国で都市文化・大衆文化が発展していく。アメリカではこの時代を「ジャズ・エイジ」と呼ぶことはよく知られているし、日本でも1923年に起きた関東大震災からの復興をきっかけに、現在にいたる多くの都市大衆文化の原型ができた。
江戸の町人はなぜ「革命」を起こせなかったのか
ところでここで思うのは、1920年代に「大衆」として見いだされる以前、普通の人々はどのように位置付けられていたのかということだ。都市大衆の時代である1920年代に、男性だけに限られてはいたし、悪名高い 治安維持法と抱き合わせでもあったが、日本ではようやく普通選挙が実現する。
もちろん政治参加への道は選挙だけではない。一揆や暴動というかたちで不満を爆発させることもあれば、「革命」が成功して政権が変わることもある。100年前に成立し、70年ほど続いたソヴィエト連邦もそんな「革命」が生み出した国家の一つだった。でもそのソヴィエト連邦が崩壊した後にできた現在のロシア連邦で、普通の人々が政治的に十分な権利を行使できているとは思えない。なにしろ対外的に軍事行動を繰り返す独裁政権が20年も続いているのだ。
こんなことを考えながら、橋本治が1989年に刊行した『江戸にフランス革命を!』(青土社)を読み返していた。この本は橋本の没後に装丁をあらためて復刊されているので、いまでも手に入れやすい。でも、歌舞伎や浄瑠璃、浮世絵といった「江戸の大衆文化」とでも呼ぶべきものを論じた文章を集めた同書は、決 して「わかりやすい」本ではない。
江戸時代の大衆は、「町人」と呼ばれる人たちだ。しかしフランスで18世紀の終わりに大衆(市民)が革命を起こしたのに対し、江戸の大衆(町人)が革命を起こすことはなかった。19世紀後半になってようやく起きる明治維新は、市民を主体とする「市民革命」などではなく、支配層のなかで起きた軍事クーデターに過ぎなかった。橋本は江戸の大衆文化のディテールを丹念に解きほぐしつつ、江戸の町人はなぜ自らの力で「革命」を起こせなかったのかという、この本の真の主題に迫っていく。
収められている文章のほとんどは1980年代に書かれたものだ。この時代の日本はとても豊かだった、とよく言われる。しかし世界中で大きな政治的な変革が起きた1989年に、日本では昭和天皇の死にともなう改元があったのみで、この時代の大衆(市民)が政治を通して社会を変えることはなかった。そのことについて橋本は別途、『’89』(マドラ出版、のちに河出文庫)という大著を書いている。『江戸にフランス革命を!』はこれとセットで読むべき本である。「過去」を論じつつ、もちろん橋本は「現代」について語っていた。