絶望的な場所をも再編しうる「地域のキュレーション」
2021年初頭、私は『拡張するキュレーション』を出版した。同書の中で、私はキュレーションには主に現代美術の展覧会企画という意味とネットの情報検索という意味があるが、この両者の共通点である情報の取捨選択の可能性を拡張していけば、それは大いに有効な知的生産の技術足り得るのではないかと主張した。その主張に沿って考えれば、今回取り上げた地方芸術祭には、展覧会企画に加えて観光や地域振興という側面がある。展覧会企画のためのコンセプト立案や作家選考同様に、観光のための目的地や移動手段の決定や旅程の作成もまた情報の取捨選択の産物であることを思えば、これは格好のキュレーションの対象ではないだろうか。実はそのことは拙著でも「地域のキュレーション」という項目を設けて検討したのだが、今回の取材を機にあらためて考えてみたい。
この3つの芸術祭の共通点は、いずれも総合ディレクターとして北川フラムが関わっていることである。「大地の芸術祭」や「瀬戸内国際芸術祭」を成功に導いた北川の名は地方芸術祭の先駆者、第一人者として広く認知されている。一口に展覧会のキュレーションと言っても、廃屋や自然を舞台とした地方芸術祭の作品展示は、美術館のホワイトキューブのそれとはまったく勝手が違うはずだが、果たして北川の手法にはどのような特徴があるだろうか。順にいくつか見てみよう。
まず、辺鄙な場所を進んで取り上げることが挙げられる。「大地の芸術祭」の舞台である 新潟県十日町市をはじめ、今回取り上げた珠洲市や大町市はいずれも「里山」という言葉がふさわしい辺鄙な場所にあるし、市原にしても、東京近郊に位置しているものの、都心からの交通アクセスは決して良いとは言えない。自ら「絶望的な場所」と呼ぶ会場を選び、多くの作家が、限界集落のような場所で過疎や高齢化などの地域の問題に根差した作品を制作する。この方針に関して、北川は星野リゾート社長・星野佳路との対談で以下のように述べている。
つまり現代は、全体に人間の五感が摩滅している、ロボット化しているのです。いろいろ便利になっているし、情報はたくさんあるし、我々はそこから選択できていると思っている。
(星野リゾート「旅の効能」最果ての地の芸術祭に大勢の人が集まるワケ)
ところが実際は、その情報のなかで、我々がロボット化しているということをたくさんの人が無意識に感じているのでしょう。
越後妻有や瀬戸内の芸術祭では現代美術を見せていますが、来場者は同時にそれぞれ里山や海を見にくることになるのです。それが魅力なんだと思います。
どういうことかというと、根本的に、みんな「都市が嫌いだ」ということですよ、無意識に。