佐伯 真二郎

佐伯 真二郎

「分散と多様性」こそが、全く新しい対処法を生み出していく

ラオスは「飢えない最貧国」と呼ばれる。日々の栄養は不十分でありながら、尽きることはなく、また先進国とは異なる手法で食物を手に入れているため先進国の論理は通じにくい。そんなラオスで暮らす人々に充分な栄養を届けるためにはどのようなアプローチが可能なのか。昆虫食を研究し、ラオスで支援活動を行ってきた「蟲ソムリエ」佐伯真二郎氏のエッセイを紹介する。

Updated by Shinjiro Saeki on August, 15, 2024, 9:00 am JST

タイは四半世紀かけてコオロギの養殖を広めた

タイの食用コオロギ養殖は日本よりはるかに進んでおり、近年は毎年2万トン程度生産されているそうだ。その開始は1998年と、なんと26年も前。この時間をかけて成長した市場により、タイではコオロギを仕入れることも、卵を買うことも、養殖方法を学ぶことも気軽にできる。ここまで市場が成長するまでに、タイの昆虫学者の活躍があった。この昆虫学者が、コオロギを食用として広めるための「情報の壁」突破の立役者と考えていいだろう。

1998年、タイのコンケン大学の昆虫学者は、ペットの生き餌用に養殖されていたコオロギに目をつけ、首都バンコクに比べ収入の低い、東北部の農家の副業として養殖支援をスタートした。技術の指導だけでなく卵の供給から養殖場の建設費用の貸し付けなど、農家のニーズに寄り添う支援によって、2001年には一村一品運動(OTOP)に選ばれ、2011年には7500トン、2万軒の農家の収入になるほどまで特産品として成長した。このような文化に根ざした住民目線の開発は「参加型開発」と呼ばれるが、農家が増えるにつれ、技術情報は劣化してしまう。農家たちは「我流」で工夫をし、一部には無駄な労力や、するほど逆効果なノウハウも混ざってしまう。バズり狙いのネット上の怪しい情報がノイズを増幅していた。

そこでタイ政府は養殖のスタンダード「GAP」をまとめ、初心者でも失敗しないコオロギ養殖のスタンダードを整理することで品質の底上げ、つまり小規模農家の収入向上を図った。その結果、フードテックの分野ではマイルストーンと言うべき「産業レベルでのライフサイクルアセスメント」を2017年という早期に達成できたのだ。代替肉と呼ばれる分野で、研究室レベルや実証実験レベルを越え、産業レベルでライフサイクルアセスメントが検証された例は、コオロギの他にほとんどない。そもそもコオロギが代替肉の一つと数えられ始めたのは2010年の温室効果ガスの論文以降で、その前から養殖がスタートしていた事実が重要だ。

コオロギは、地球温暖化対策の急ごしらえの切り札としてではなく、地域の特産品として時間をかけて開発されたのだ。つまり、多様な特産品を生み出す地域の活性化が、未来の食の選択肢を発生させると言い換えていいだろう。

「選択と集中」とは真反対の、「分散と多様性」こそが、未来のシリアスな問題への全く新しい対処法を生み出していくのだろう。世界的に注目されて、生産規模は産業レベルまで拡張できた。タイで行われた地元の特産品開発としてのコオロギ養殖の拡大が「情報の壁」を突破できた成功の秘訣と言える。

「情報の壁」は一度では超えられない。公的なサポートと伴走が不可欠

第二回において、狩猟されたセキショクヤケイのとなりにタイ産の養殖コオロギが並んでいたことを思い出してみよう。タイでの成功が、昆虫食の文化があるラオスにも国境を越えて広がることで、世界に打って出られる頑強な足腰を鍛えたのだ。

つまりコオロギの成功にならい、他の昆虫が「情報の壁」を越えてポストコオロギに育つには、公的なサポートをステップに応じて適切に伴走させる必要があるといえる。その結果、徐々に「前例の壁」がゆるみ、栄養の壁にも手をかけられるほどの、強い特産品に育っていく。

ここから私たちの方針が見えてきた。「ポストコオロギ」がラオスで育つためには、栄養の壁に注意しつつも、情報の壁突破のためのクオリティチェックが必要だろう。本来であればラオスの行政や大学がその役割を担ってほしいところだが、ひとまずはNGOとして、プロトタイプをつくることにした。

貧困世帯ほど生育を待つことができず、格差が広がる……

2017年の乾季と2018年の雨季に「昆虫を含む」食事調査アンケートを実施したことで、村での栄養の状況が見えてきた。調査前はタンパク質が不足しているのではないかと考えていたが、食生活を調査してみると、むしろ油の低摂取がはっきり見えた。ラオス料理はあまり油を使わず、主食のもち米と、自然から採ってくるおかずがメインで、日々の食生活のために油を買うことはほとんどなかった。ちなみに食用油の工場はラオスになく、隣国タイから輸入されたもので、飼料と同様、やはり割高だった。調査の都合でわずか5種(バッタ、コオロギ、コガネムシ、ツムギアリ幼虫、ツムギアリ成虫)の季節の昆虫を調べただけだったが、旬の時期は豚肉や牛肉、大豆よりも高い頻度で食卓にのぼる食材だったし、それらを養殖し安定供給すればのびしろもあるだろう。冷蔵庫が普及していない村では、大型家畜の肉は冠婚葬祭のごちそうで、子どもの日々の食事にはほとんど登場せず、ダイズは乾季に栽培すれば育つものの、食べる文化がなかった。

タイでの成功を真似したいからといって、昆虫という手段ありきで解決法を押し付けるご都合主義ではいけない。
輸入飼料が高すぎるコオロギ、住民の反応がいまひとつなバッタだけでなく、キャッサバやヒマの葉で育つエリサンや、昆虫以外には家庭菜園として栽培可能なダイズ、ニンジン、カボチャ、ナンバンカラスウリなども比較した。なかなかどれも決め手にかける。栽培が上手な世帯は、村の中でも賢く裕福で、時間に余裕があった。貧困世帯は、どうしても根気が続かず、世話をあきらめがちで、収穫までに半年から一年、世話をして待つことができなかった。これでは私達の支援が、村での格差を縮めるどころか拡大してしまうかもしれない。

試行錯誤の中、ラオスでの活動が2年目に入った2018年のある日、アイサップのラオス人スタッフが「義兄がドゥアンを養殖している」と紹介してくれた。ドゥアンとは「食べられるイモムシの総称」だそうだ。
ここで流れが大きく変わる。

レアでおいしいゾウムシが「前例の壁」を越えた

Twitter(現X)の投稿より。

ここで食べさせてもらったのは、ヤシオオオサゾウムシ(Rhynchophorus ferrugineus)という大型のゾウムシの幼虫を、さっと油炒めにしてコンソメで味付けしたもの。その場の調理だったのでフン抜きをしておらず、やや土臭さはあるものの、おいしい。ひたすらにさらっとしたクリーミーさは他の食材の追随を許さない。バナナを食わせてフン抜きをするとさらに味がピュアになっておいしいらしい。脂溶性ビタミン、ミネラルも豊富で、村で不足しがちな栄養素ともマッチする。養殖が始まったばかりで、ラオスでは新しい昆虫食材とのことだった。事前の調査で、タイ南部で栽培されるサゴヤシを食べるとの情報から、タイ北部やラオスでは養殖できないと思い込んでいたが、彼がいうには「キャッサバで養殖できる」とのこと。後にわかったことだが、タイ北部に謎の天才がいたらしく、野生のゾウムシがまったく食害しないキャッサバをデンプン源として、米ぬかなどを配合し発酵させた「ぬか床」のようなエサで養殖できるというのだ。

早速試してみよう。ラオスの首都、ビエンチャンで成虫を販売していたのはタイで修行したという男性だった。会いに行って養殖方法を聞き取り、真似をする。彼の方法を試してみると、成虫をセットしてから幼虫が食べ頃になる収穫までは驚くほど簡単だった。まず乾燥キャッサバを水に戻して培地を配合し、そこに成虫を5ペア置く。そして5日に一度、成虫のエサとなるバナナの実と水を追加して、たった5週間待つだけ。1週間もすればツンとした発酵臭がまわりに広がり、小さな幼虫が動き回る。白っぽかった培地が幼虫たちに破砕・撹拌され、カフェオレ色のもったりしたペースト状になっていく。さらに発酵が進み、腐葉土のような土の香りになったら出来上がりだ。ヤギやウシは数年かかり、植物でも収穫まで数ヶ月から半年かかることを考えると、養殖期間がの短さが魅力的だ。調子がいいと、キャッサバ2kgから1kg以上の幼虫が収穫できた。

「ヘタクソなワナビー」が増えることが、第一人者の収益を最大化してしまう

しかし次世代の成虫を生産するには、3ヶ月かかる。この成虫生産の技術の確立に苦労した。成虫を売ってくれた農家自身が、正しい養殖方法を説明できていないようにも見えたし、こっそり重要な部分を隠しているようにも見えた。これがゾウムシの「情報の壁」だった。彼が悪意を持って情報を隠しているかどうかはさておき、ひとまず成虫が生産できる養殖農家の個人としての最適戦略を考えてみよう。成虫を生産できる技術をすべて顧客に教えてしまうことは、ライバルを増やし、販路を減らし、成虫の売上を下げるマイナス要因だ。完璧な情報を伝えると、私たちはもう、彼から成虫を買わないだろう。悪意があろうとなかろうと、私達のように成虫の生産を夢見てチャレンジし、失敗し、また成虫を買う「ヘタクソなワナビー」であることが、彼の収益を最大化するのだ。

いったん彼の説明を疑ってかかることにした。それまでの滞在はホテル住まいだったが、2018年6月からはラオスに長期滞在することにして、借家を確保した。外来種として日本に侵入したゾウムシの生活史の論文を読み、借家にラボをつくって養殖実験をした。1回の実験に3ヶ月かかるため、幼虫までの栄養要求性を完全に満たすこと、変態に至るスイッチのタイミング、蛹化にふさわしい寝床の条件を整えることで、月産1000頭まで安定して完全養殖できるようになった。やっと安定したのは2020年、ゾウムシの「情報の壁」を自力で乗り越えるまで、まる2年かかってしまった。

その間、並行して足りない成虫を買い足しつつ、これから養殖の先生となる16世帯に向けて養殖指導をスタートした。待っている村人や行政の役人たちからは「あのドゥアンはまだか」「もっと成虫がほしい」とせっつかれるなど、バッタにくらべると不思議なほど前向きだったのが印象的だった。しかしなぜ、ラオスでのゾウムシはこんなにも村人に受け入れられたのだろう。彼らが「それ、おいしいよね!」と最初から乗り気だったばかりでなく、郡や県の行政職員から首都ビエンチャンの保健省の大臣まで、そのおいしさを知っていたのである。

ちょうどよいレアさとおいしさがモチベーションにつながる

その謎は後からわかった。ラオスで暮らすとわかるが、ラオス人はタケノコが大好きだ。

渋みの強いものから、アク抜きをせずに食べられる高級なものまで(私には全て同じに見えたが)、タケノコだけでも多種多様に食べたり竹細工にしたりして利用している。保存食をほとんど作らないラオスで、水煮のタケノコはシーズンオフの乾季でも見ることができる。そのラオスで食べられるタケノコの中に「タケノコを食べるゾウムシ(Cyrtotrachelus dux)」がいた。

ラオス滞在中に味見は叶わなかったほど、かなりレアなようだ。ラオス人が日々の生活として、大量に採ってくるタケノコに「当たり」としてスーパーレアなおいしいゾウムシが入っていて、そのほとんどが家で消費され、めったに市場に出回らないので、買うとしても値段が高い。
そんなゾウムシの希少価値のおかげで、近縁種を養殖する提案が、彼らにとって身近で安いバッタよりもずっと魅力的に映ったようだ。売値もコオロギやバッタより高く、1kg生産するエサ代250円ほどに対して1400円の売値がついたこともあった。キャッサバや米ぬかは自給できるので、さらにコストを安く済ませられるだろう。

つまり、ラオスの人々がもつ多種多様な食材利用の伝統知識は「前例の壁」を突破するポテンシャルを持つ、モチベーションの源泉だと言えるだろう。バッタのようにメジャーすぎても、コオロギのように隣国で開発されすぎてもモチベーションにはつながりにくく、ちょうどよいレアさとおいしさが、養殖というアイデアが彼らの行動を変えるほどのインパクトを持つために必要だったのだ。

これは開発業界でいうところの「後進性の利益」と呼ばれるもので、例えばラオスでは電話網を張り巡らせる前に携帯電話の技術がやって来たので、電話代が安く、停電でも基地局の電池によって半日以上は電波が途切れない。ラオスは開発後進国であるからこそ、単に先進国の後追いをするのではなく、先進国の失敗を踏まえ、最先端に躍り出る「後進性」をひっくり返す戦略が必要なのだろう。

中長期的な視点がなければ、大きなプロジェクトはゴールできない

16世帯の育成が済んだので、次の拡大のフェーズのため、JICA草の根技術協力事業に応募して採択されたが、2020年3月には新型コロナウイルスによる国境封鎖が起こり、日本人スタッフは国外退去をすることになった。1年3ヶ月待たされ、入国後にも村へ移動できないロックダウンが3ヶ月もあり、現地に行けない期間が続いた。

祭りに向け、ゾウムシを使った屋台メニューを開発中のスタッフ。
ライスペーパーを使ったベトナムピザが若者に流行っているんだとYoutubeで学び、実践する。

市場に売りに行けないにも関わらず、村人のモチベーションは衰えない。「子供がおいしいと言うから」「家で消費するから」という理由で温存され、ラオス人スタッフや現地の行政職員の助けで、どうにか継続することができた。やっとスタートしたプロジェクトにおいて2023年にかけて、ゾウムシ養殖農家は62世帯まで拡大した。うち61世帯は女性だ。産後すぐのお母さんも参加し「スイギュウやヤギに比べて力がいらないから参加しやすい」と好評だった。それでもやはり活動が終わりに差し掛かると、養殖農家の彼女らや協力してくれた行政職員からも、プロジェクトの終了後を心配する声が出てきてしまう。

彼らと話す中で、次のフェーズでは、ラオスから鮮度の高い昆虫を、タイを加工経由地として日本や先進国へ輸出するルートが必要との結論に達していた。そこで、農家同士の生産を管理するリーダーや生産管理の責任者として、行政で「アササマック」と呼ばれる、研修生として無給で働く人材の雇用を目指すプロジェクトを計画し、衛生的な一次加工場と組合をつくるための助成金にいくつか応募した。
しかし、ことごとく助成金に落ちてしまう。なんとも不完全燃焼だが、私がラオスに長期滞在できる予算は確保できず、彼らの判断で組合設立の助成金だけ彼らに任せて、養殖は継続されることになった。

やはり「栄養の壁」「情報の壁」「前例の壁」は高く、厚い。今後も養殖が継続するかは未知数だ。バッタもゾウムシも、コオロギにならって20年ぐらいかけ、じっくり開発したいところだが、私達の活動は助成金頼みで、持続可能性が低い。今の日本からの昆虫食への眼差しは、いますぐ役に立つ、世界を救う、黒字化するならやってみよう、そうでないならばこれまで通り無視すればいい、といった極端な評価軸ばかりになっている。これは昆虫だけに向けられる視線ではないだろう。これまでの態度を反省する予算はなく、中長期的に取り組む余裕もなく、眼の前の利益を生みそうな、派手なコンテンツを血眼になって探し、飾り立て、高速に消費し尽くしているようにも見える。

参照リンク
Enhancing child dietary diversity through cooking demonstration and nutritional education in rural Lao PDR | Tropical Medicine and Health
https://photos.app.goo.gl/DfWZdAtAEPh9F3Fh8