4月17日に話題になった「臨時情報」とは何か
4月中旬、「南海トラフ地震臨時情報(以下、「臨時情報」)」※1が話題になった。「臨時情報」は2019年5月から本運用が開始された新しい仕組みで、南海トラフ地震の可能性が通常より高まったと考えられる場合に気象庁が発表する。4月17日は南海トラフ地震の震源域付近の豊後水道でM6.6の地震が発生し、「あわや『 臨時情報』が発表されるところだった」と注目された。一方で「臨時情報」そのものの認知度不足と、実用の難しさも改めて浮き彫りになった。そもそも「臨時情報」という言葉自体、この時に初めて聞いたという方が多いのではないだろうか。4月の騒動は「不確実な地震予測」をどう理解し、防災に活かすべきかという、我々が先送りにしている喫緊の課題ににわかに脚光を浴びせる一件でもあった。
確実な地震予測は難しいものの……。過去のパターンを防災へ活かすには
従来、東海地震に関しては地震予知ができることを前提とした大規模地震対策特別措置法(大震法)に基づく、いわば”地震戒厳令”のような仕組みがあった※2。地震予知がなされた場合、内閣総理大臣が「警戒宣言」を発令する。「警戒宣言」がひとたび発令されたら、大地震の想定地域では鉄道やバスなどの交通網は全面停止、高速道路は通行禁止、事業所や工場、病院、診療所は休業、学校も直ちに休校となり、人々はグラウンドに避難して大地震の発生を待つ、という仕組みだ。しかし、近年になって地震の予知(確度の高い予測)は困難で、地震予測の精度自体、それほど強力な社会規制を伴う仕組みには耐えられないことが分かってきた。そこで「警戒宣言」の代わりに導入されたのが「臨時情報」の仕組みである。
地震の予知や確度の高い予測はできないとはいえ、南海トラフ沿いでは大地震が連動して起きやすいというパターンがあることが歴史的に確認されている。※3
例えば:
1. 1707年(宝永):東海地震と南海地震がほぼ同時発生
2. 1854年(安政):東海地震の32時間後に南海地震が発生
3. 1944年と1946年(昭和):東南海地震の2年後に南海地震が発生
こうした過去のパターンを踏まえ、次の南海トラフ地震のときに何らかの注意を呼びかけられないかと考えられたのが「臨時情報」というわけだ。具体的には、南海トラフの想定震源域でM8級ないしM7級の地震が起きた場合や、プレート境界がゆっくり滑り始めるスロースリップが観測された場合に発表される。つまり「臨時情報」の目的は、不確実な予測ながら、過去のパターンを参考に大地震が起きるかもしれないと警鐘を鳴らし、国民に何らかの防災対応を促すことにある。例えば、次に”東海地震”が起きたとき、”南海地震”も連動して起きるか もしれないと想定すれば、社会全体で身構えることができる。4月の豊後水道の地震がM7級と判断されるか否かが、初の「臨時情報」が出るか出ないかの分かれ目だった。
熱心に情報交換に臨んだ前高知県知事
政府は16年6月に「南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく防災対応検討ワーキンググループ」を設置し、約1年間で7回の会合を開いて「臨時情報」の仕組みの基礎を作った※4。全て傍聴・取材した筆者が特に印象に残ったのは、当時の高知県知事、尾崎正直委員の熱心な姿勢だ。尾崎委員は第1回会合から出席し、積極的に意見を述べた。一方、静岡県知事だった川勝平太委員は初回から県危機管理監を代理出席させ、我々の批判を受けて第5回会合からようやく参加した。尾崎委員の姿勢は、「起きるか起きないか分からないが、起きる可能性は普段より高まっている」というレベルの不確実な地震予測でも、県民の生命財産を守るためにできる限り活用したいという首長としての強い責任感を示していた。これは「臨時情報」の根底にある関係者の思いを体現するものだった。
もしもあのとき、少しでも防災意識を高めていたら―
16年4月14日夜、熊本県でM6.5の地震が発生し、益城町で震度7を観測した。筆者は15日未明、X(当時Twitter)のアカウント(@lagucar)で次のように投稿した。※5
「布田川断層帯〜日奈久断層帯では、まだ動いていないセグメントがある。新たなセグメントが活動して再び震度7を観測するような新たな”本震”がいつ起きてもおかしくない。地震調査研究本部の評価によれば、それぞれのセグメントでM7級が予想されている。」
再び震度7を観測するような”本震”が起きるかもしれないという予感は、残念ながら的中してしまった。16日1時25分、最初に地震が起きた地域のすぐ北側でM7.3の地震が発生。益城町と西原村で再び震度7を観測した。震度7の地震が近接して連続発生するのは、観測史上初めてだった。最初の地震が起きたとき、地震を起こしうる断層全体が割れていないような違和感があった。全部が割れていない、つまり「半割れ」になっているような予感がした。解釈には諸説あるが、最初の地震で広義に「割れ残った」部分が28時間の時間差をもって破壊し、二つめの大地震を起こしたという説がある※6。この説はスケールこそ違うが、ある意味、南海トラフ沿いの大地震が連動するイメージに似ている。M9級のポテンシャルを持つ南海トラフ沿いの想定震源域のどこかでM8級の地震が起きた場合、「半割れ」状態になったと捉え、今にも破壊する「割れ残り」が存在するのではないかと考えるのである。
また、11年3月11日に起きた東日本大震災も「臨時情報」の意義を考える上で欠かせない。2日前の3月9日、宮城県沖でM7.3の地震が起きた。もしこの地震が何らかの異常の前触れだと捉え、少しでも防災意識を高めていたら―。そう後悔している人々は少なくないと聞く。「臨時情報」には、そうした思いを無駄にしたくないという思いも込められている。
臨時情報が発表されたら、97.2%が「混乱する」と回答。コロナ禍により情報が行き渡らなかった
静岡新聞社が24年5月に実施したアンケート※7 によると、「臨時情報(巨大地震警戒)」が発表された場合、静岡県と県内35市町の防災担当部署の97.2%が「混乱する」と回答した。今の認知度のままで、もし実際に「臨時情報」が発表されたら、静岡県に限らず全国的に相当な混乱が生じるのは想像に難くない。
静岡新聞社は15年に「警戒宣言」でも同じようなアンケート※8 を実施している。そのとき「混乱する」と答えたのは80.3%だったから、「臨時情報」になって混乱を懸念する声は皮肉にも悪化した。ひとえに「臨時情報」が一般的に知られていないからだろう。
それにしても、なぜこれほど認知度が低いのか。筆者はその原因の一つにコロナ禍があったと考えている。「臨時情報」の暫定運用開始は17年11月だったが、具体的な防災対応や普 及啓発については、国も県も走りながら考える予定だった。静岡県は本運用開始直後の19年7月、「臨時情報」発表時の要配慮者の事前避難のあり方を検討するモデル地区として、湖西市、伊豆市、河津町の2市1町を選定した。中国・武漢で最初の新型コロナ患者が報告されたのはその年の12月。年明けから急速に世界を覆ったパンデミックの悪夢は、全国的にも先駆けて本格化しつつあった静岡県のモデル地区での議論の出鼻をくじく形となった。「臨時情報」が出たら国民や社会はそれぞれどういう防災対応を取るべきかという細かい議論は、そのままなおざりになってしまった印象がある。
政府の徹底管理のもとにおかれるディストピア
一方で、コロナ禍を経験したからこそ理解しやすくなったのは、大震法に基づく「警戒宣言」の不合理さだ。「警戒宣言」は「臨時情報」の新設で役割を終えたが、社会や市民への拘束力は極めて強かった。ひとたび首相が「警戒宣言」を発令すれば、想定地域では交通網が全面停止し、多くの事業所や学校が休業を余儀なくされる。半世紀前、法律の原案を書かされた官僚ですら「奇想天外だと思った」と述べているほどだ※9。コロナ禍での「緊急事態宣言」の鬱々とした経験を思い出してもらえれば、それよりも桁違いに厳しい規制を社会に強いる「警戒宣言」がいかに危険でディストピア的であったかが理解できるだろう。不確実な地震予知を前提に社会経済活動を完全にまひさせる「警戒宣言」は、大混乱を招く可能性があった。一方、「臨時情報」は警戒を呼びかけるものの、「警戒宣言」ほどの拘束力はない。「警戒宣言」が生まれ消えていった経緯や、「臨時情報」がどう作られたかについては、拙著「沈黙の駿河湾 東海地震説40年」(静岡新聞社刊)に詳しい。興味がある方はぜひ手に取っていただければ幸いである。
注意を呼びかける「臨時情報」、強制する「警戒宣言」
では、「臨時情報」が出たらどんな防災対応を取ったらよいのだろうか。筆者は、その問題のヒントが人間ドックの経験にあると感じている。要注意の数値が出たとき、私たちは医師の説明を聞き、リスクを理解し、日常生活の中でできる対策を考え実行する。「臨時情報」も同様で、リスクを把握し、自分や家族、地域でできる対策を実行する。人間ドックの結果ですぐに入院する人が少ないように、「臨時情報」が出ても全員が直ちに避難所暮らしを始める必要はない。旧来の「警戒宣言」が強制的な「入院」だとすれば、「臨時情報」はより自由で多様な選択肢を提供する。重要なのは、リスクを認識しつつ賢明に日常を送ること、つまり「警戒しながらの日常」というモードチェンジだ。「臨時情報」が出たら、個人としては、家具の固定を徹底したり、緊急地震速報について学び直したり、家族と落ち合う方法を決めたりすることなどが考えられる。家族や近隣住民と地域の情報を共有し、特に支援が必要な人がいないかを改めて確認し合うことも重要だろう。コミュニティの絆を強めておくことが、地域の防災力を高めることにつながる。健康管理も防災も、日々の小さな積み重ねが大切だ。「臨時情報」という仕組みができた意味を考え、減災に使える情報は何でも有効に活用していこうという姿勢が、私たち一人一人に、そして社会全体に求められている。
大震法と警戒宣言の見直しは、パンドラの箱
半世紀近くタブー視されてきた大震法と「警戒宣言」の見直しに果敢にも取り組んだ官僚や研究者は「パンドラの箱を開けた」と言われた。その結果生まれた「臨時情報」は、今も混沌の中にある。しかし、本家のギリシア神話のパンドラの壺には最後に希望が残される。その意味でもこの隠喩は的を射ているといえよう。地震予知や高い精度の予測が望めない中、「臨時情報」は南海トラフ地震という国難から被害を劇的に軽減できるかもしれない一つの希望となりうるからだ。「臨時情報」は完璧な解決策ではないかもしれないが、それは私たちが災害に備え、対応する新たな方法を模索する機会を提供してくれる。この「希望」を活かすかどうかは、私たち一人一人の理解と行動にかかっている。
参照
※1 正式名称は「南海トラフ地震に関連する情報」の「臨時情報」。「臨時情報」はさらに大地震の発生可能性の高さに応じて「巨大地震警戒」「巨大地震注意」などと括弧書きが付く。本稿で「臨時情報」と書くときは「臨時情報(巨大地震警戒)」と「臨時情報(巨大地震注意)」の両方の意味を含むものとする。参考:内閣府サイト
※2 大震法に基づき、首相が「警戒宣言」を発令すると、対象地域(地震防災対策強化地域)内(8都県157市町村)では、新幹線を含めて鉄道網やバス網は全面停止、高速道路は通行止め、事業所や店舗、診療所のほとんどは休業、学校も休校となる。コロナ禍の緊急事態宣言よりも桁違いに厳しい規制である。現在ではもっと緩い「臨時情報」が法制化された。大震法自体は今も廃止されず残っているが、使用されることはないとされる。
※3 「沈黙の駿河湾 東海地震説40年」(静岡新聞社)P.99 第5章「警告する大地(1)」
※4 内閣府 南海トラフ沿いの地震観測・評価に基づく防災対応検討ワーキンググループ
※5 https://x.com/lagucar/status/720632441484914689
※6 熊本地震「連鎖」に3つの可能性 前震で地下の力変化 2断層帯、実は一体 ひずみ蓄積し余震誘発. 日本経済新聞,2016年5月2日 0:46
※7 巨大地震警戒「混乱」97% 南海トラフ臨時情報運用5年「認知不十分」自治体7割,2024年5月31日 アンケートの対象は静岡県と県内35市町。回答率は100%。
※8 「沈黙の駿河湾 東海地震説40年」(静岡新聞社)P.28 第1章「強化地域アンケート(上)」。アンケートの対象は地震防災対策強化地域157市町村の防災担当部署。9割超の147市町村から回答を得た。
※9 「沈黙の駿河湾 東海地震説40年」(静岡新聞社)P.83 第4章「前例なき法律(2)」