暮沢剛巳

暮沢剛巳

ビルに映る2025年大阪・関西万博の公式ロゴマーク。

(写真:xalien / shutterstock

推進派も反対派も、大阪万博をめぐる言論は狭隘でドメスティックな私見ばかり

大批判にさらされている大阪・関西万博。実は推進派も反対派も「ある視点」が抜けたまま議論がなされていることが少なくない。万博についての観測・思考を重ねている暮沢剛巳氏が説く。

Updated by Takemi Kuresawa on December, 12, 2023, 6:00 am JST

万博開催にあたり大阪府民一人当たりの負担額は1,9万円に

開幕を約1年半後に控えて、2025年大阪・関西万博をめぐる議論が沸騰している。とはいえ、会場建設費が当初の予想を大きく超過している、参加を辞退する国が続出するのではないか、今の時代に万博をやること自体時代遅れである等々、連日のようにメディアを賑わせている万博関連のニュースの大半はネガティヴなものであり、お世辞にも万博への期待感が高まっているとは言い難い。

そもそも、今回の万博はなぜかくもネガティヴな印象を持たれているのだろうか。状況はそれこそほぼ毎日のように二転三転しているためここでその理由を特定することはできないが、本稿執筆時点(2023年11月)での問題点をいくつかにまとめて整理しておこう。

まず問題視されているのが、当初の試算を大きく上回る会場建設費である。大阪・関西万博を主催する日本国際博覧会協会(以下協会)は、当初会場建設費を総額1250億円と見積もっていた。ところがその後の試算で2度に渡って増額され、2023年11月15日の時点では2350億円へと上方修正された。資材の高騰等が原因とされるが、短期間で1.9倍もの増額は当初試算がいかに甘かったかを物語っている。この費用は国、大阪府・市、民間の三者が負担することになっているが、大阪府民一人当たりの負担額が1.9万円に及ぶことも批判の対象となった。つい先日には、日本館パヴィリオンの建設費や途上国のパヴィリオンの建設支援費としてさらに837億円が必要とされることも明らかになるなど、最終的にいくら経費が掛かるのか見当もつかない状態だ。今の時点で開催を中止した場合には、博覧会国際事務局(BIE)に対して多額の違約金を支払わねばならない可能性があるが、開催を強行するよりは中止して違約金を支払った方が傷が浅くて済むとの意見も少なくない。

夢洲は関係者の利権の温床となる可能性が指摘されている

万博の会場となる夢洲にも批判的な視線が注がれている。もともと夢洲は大阪湾の廃棄物の最終処分場として埋め立てられた人工島である。1980年代以降、大阪市は当初ここに人口6万人の居住区を造成するテクノポート大阪計画を立案したのだがバブル崩壊により挫折、2001年には「史上初の海上五輪」を謳い文句に2008年夏季オリンピックを招致しようとして立候補したもののこれにも失敗、市関係者に「負の遺産」として認識されていたのだが、2014年4月に橋下徹大阪市長(当時)がカジノを含むIR(統合型リゾート)の会場として再生するプランを発表した。

(写真:Mirko Kuzmanovic / shutterstock

それから間もなくして大阪が2025年万博の招致に乗り出したとき、1970年大阪万博の会場であった千里万博公園や、1990年花博の会場であった鶴見緑地などを押し退け、会場予定地を夢洲に一本化したのは、明らかに会期終了後のIRへの転用を前提としたものだった。カジノを含むIRの建設はギャンブル依存症の急増や治安悪化などの社会問題が発生する可能性が高く、また海外の事例を見てみても成功するかどうかもわからない上に、万博招致を主導した「大阪維新の会」の関係者の利権の温床となる可能性も指摘されるなど、すこぶる評判が悪い。

辞退国が出はじめ、テーマに反する運営方法にも批判が集まる

次に参加国に関してだが、本稿執筆時点で参加を表明しているのは160か国と9の国際機関であるが、協会はこのうち現在戦争中のロシアに関しては参加を認めないことを明らかにしている(その後正式に不参加を表明)。この方針はロシアと軍事行動を共にしているベラルーシにも適用される半面、協会が参加を熱望するウクライナは、現時点で参加の意思を明らかにしていない。一方でメキシコとエストニアは参加辞退を表明した。まだパヴィリオン建設が始まっていないこともあり、今後も状況次第で辞退国が増えることが予想される。

主催者が大きな期待を寄せる万博の経済効果に関しては、一般社団法人アジア太平洋研究所(APIR)が2023年7月に発表した試算によると2兆3759億円が、さらに万博期間中の関西に様々なイベントを同時開催することによってプラス5000億円、計2兆8818億円の経済効果が見込まれるという。ただしこれは期間中の推定入場者2800万人、うち350万人を海外からの観光客が占めることを前提とした試算である。1日の基本入場料が7,500円と割高なこともあって、入場者数がこれをかなり下回る可能性も囁かれている。

また今回の万博は「いのち輝く未来社会のデザイン」というテーマの下に開催される。それがどのような形で展開されるのかはまだほんの一部しか明らかになっていないが、パヴィリオン建設の遅れを挽回するために、博覧会協会が時間外労働の適用除外を求めたことに対して「労働者の命と健康を犠牲にしていて、テーマに反している」との批判が寄せられた。

だがそもそも、万博はそもそも経済浮揚のために行うものではない

こうした批判の声を耳にすると、多くの点で国や大阪府・市の見込みが甘かった、準備が不足していたことは否定できまい。一連のネガティヴな報道は、2020年東京オリンピックをめぐる騒動を記録したビデオ映像をリプレイしているかのようだ。今回同様に、東京オリンピックの時も事前の見込み違いや様々な準備不足のため、開会直前まで現場は混乱をきたし(加えて、2020年初頭に世界を襲ったコロナ禍がそれに拍車をかけた)、その余波は大会終了から2年以上経過した現在も続いている状態だが、結果的に万博の関係者はオリンピックの混乱から何も学んでいなかったと言われても仕方があるまい。

ただ一連の報道に接していて、私は万博の招致を思い立った国や大阪府・市の関係者はもちろん、それに反対する側も実は万博というイベントの在り方を正しく理解していないのではないか、という疑念を感じざるを得なかった。その典型が、1970年大阪万博との比較である。1970年大阪万博は、高度成長期の真っただ中に開催された未曽有の国家事業であり、半世紀を経た現在も東京オリンピックと並ぶ戦後復興の象徴として位置づけられている。低成長にあえぐ現在、当時の成長神話へのノスタルジーが万博招致が構想された理由の一端であることは明らかだが、反対側はこぞってそのことを「今は時代が違うから当時の再来は不可能だ」と批判する。万博の招致活動が始まって以来、この応酬を何度見せられたことだろうか。だがハッキリ言ってこれは、「高度成長神話の再来」という同じ物語を、相手とは逆の立場から読み替えているに過ぎない。両者の視点は揃いも揃って狭隘でドメスティックであり、「万国」博覧会であるにもかかわらず、万博を日本の外から俯瞰する視点もなければ、万博はそもそも経済浮揚のために行うものではないという視点もない。特に後者に関しては、「今回の万博に経済効果は期待できない」ではなく「そもそも万博に経済効果を期待してはいけない。代わりに何を求めるのかを明らかにすべき」という視点から批判されなくてはならないはずなのだ。

「そもそも誰のための万博か?その意義を振り返る」へ続く