井山弘幸

井山弘幸

(写真:AlexDonin / shutterstock

逆転の発想で儲けたければ、笑わせる方法を考えよう

SaaS事業の広まりは多くの人に一攫千金のチャンスをもたらしている。立ち上げに際して重要になるのは、もちろん事業のアイディアだ。逆転の発想が大発明につながることもある。着想を得るためのヒントを紹介しよう。

Updated by Hiroyuki Iyama on November, 17, 2023, 5:00 am JST

馬鹿は風邪を引かない理由

今更だけれどダーウィンの進化論の根幹であり、その思想に共鳴した哲学者スペンサーが考案したとされる最適者生存(survival of the fittest)について考えてみよう。本当にそうなのか。首が長いことが生存に有利に働くのか、頭が良く、見目麗しい者が子孫を残しやすいのか?あるいは愚かで醜いと死にやすく、あるいは相手に恵まれないのか。そもそも「環境に適応すること」が「生存競争に勝つこと」の条件と言えるのか。どちらが原因で結果か、循環論に嵌っているようにも思われる。

馬鹿は風邪を引かない、と言われる。江戸時代の庶民の言い伝えとされるこの俚諺の真意は、馬鹿は鈍感なので風邪を引いても気がつかないことにあったが、これを免疫学の観点から学術的に説明する場合もある。風邪の原因は色々あるが、ストレスによる免疫力の低下もその一つとされる。強いストレスはビタミンやカルシウムの消費を促進し感染症の罹患の原因になりうるが、反対に、深く考え込まない馬鹿はストレスを感じないから、免疫機能が低下することなく正常に働く、だから風邪を引かないといううがった見方もあるのだ。

貧血症の人はマラリアに罹らない

不利なように思われる形質が、むしろ進化に有利に働く例は実際に存在する。異常ヘモグロビン症の一つに鎌状赤血球症のことだ。これは優性遺伝するものでグロビンβ鎖の突然変異から生じた病気である。赤血球内低酸素で溶血発作を繰り返し起こし、ひどい時は寝込んでしまう。風邪を引くなんてもんじゃない。いかにも生きにくそうな体質だ。赤道直下のアジア、アフリカ地域人に多く見られる疾患だが、驚いたことに年間2百万人もの死者を出すマラリアに対してはめっぽう強い耐性を示すのである。マラリア多発地域では淘汰されずに生き残ったとも言える。一病息災の極端な一例である。「馬鹿は風邪を引かない」と聞いて笑う人が「貧血症の人はマラリアに罹らない」と言われ、笑いはしないだろうけれど、両者とも日常の理解を一変させる創造性と関わりをもっているのである。

ケストラーのマトリックス理論

笑いを生み出すメカニズムの一部に、これまで述べたように、発想の逆転、新しい見方への転換が含まれることから、笑いは創造的な発見行為と似ていることが分かる。この笑いと創造との隠れた関係を最初に読みとったのはジャーナリストで思想家のアーサー・ケストラーである。ケストラーは1964年の著作『創造活動の理論』のなかで、ユーモア、創造性、芸術性をひとくくりに包括する思考モデルを考案した。つまり笑いを生み出す逸話も、科学者による創造的な発見の物語も、「思考のマトリックスの交錯と二元結合」という同型のパターンをもつと言う。マトリックス(鋳型)はこの場合「能力や習慣や技能などの、一定の規則に支配される秩序だった行動の型」のことを言う。

思考マトリックスの交錯が起きる笑話例にこんなものがある。

「ある囚人が看守たちとトランプをしていた。囚人がいかさまをしていることがバレて、怒った看守たちは彼を監獄から追い出した」。この挿話では「犯罪者は監獄に入れねばならない」という思考型マトリックスM1と「トランプでいかさまが発覚したら追い出されるべきだ」という思考マトリックスM2とが同時に成立し、賭博の場がまさに監獄であったために、M1もM2も単独ではそれ自体筋が通っているのに矛盾が生じてしまったのだ。

ケストラーは科学技術のイノヴェ―ションでも思考マトリックスの交差が起きることをグーテンベルクの印刷術の発明を例にして説明している。グーテンベルクの出発点はトランプの木版印刷であった。中国には古くからある木版本を知らなかったらしい。絵柄に数行の文字が添えられた彫版に濃いインクを塗り、紙を載せてその上から裏に透けてくるまで念入りに擦る。木版刷り印刷のマトリックスM1の上で思考運動が始まる。だがそれでは聖書を印刷することが不可能であることを知っていた。この方法では片面印刷しかできず、しかも彫る手間のかかる文字の多い聖書には不向きだった。聖書の複製を両面印刷で成し遂げるにはどうしたら良いか、という問題を彼はM1の平面上で追求する。その時である、彼はふと貨幣のことを考える。貨幣は印鑑のように鋼の棒で模様を打ちつけてつくる。打ちつける印字のマトリックスM2がここに生まれる。貨幣の鋳型や印鑑は面積が小さいため、頻繁に紙に押しつけることができる。他方木版擦りでは印刷面は大きいが、鮮明に謄写するには紙の上から擦ってやらねばならない。印刷方法のマトリックスM1とM2はグーテンベルクの脳裏にかわるがわる現れながら、なかなか交叉しない。そのとき彼は葡萄酒が流れ出る光景を想像する。その圧力の原因をぼんやりと考えたとき、圧搾によって鉛製の印字を並べて紙に押しつける方法に思い至ったのだ。すなわち、印鑑と葡萄搾り器とを融合させることで「一筋の光明」を得て、活版印刷の原型を創造したのである。

参考文献
『ウィトルーウィウス建築書』ウィトルーウィウス 森田慶一訳(東海大学出版会 1979年)
又吉直樹のヘウレーカ!何気なく感じるフシギを解き明かす』又吉直樹(扶桑社 2019年)
ヘウレーカ』岩明均(白泉社 2002年)
『ヘウレーカ!ひらめきの瞬間―誰も知らなかった科学者の逸話集』ウォルター・グラットザー 安藤喬志、井山弘幸訳(化学同人 2006年)
動物哲学』ラマルク 小泉丹、山田吉彦訳(岩波書店 1954年)
『種の起原』ダーウィン 八杉龍一訳(岩波書店 1990年)
『キリンの首はウイルスで伸びた』佐川峻・中原英臣(毎日新聞社 1995年)
『創造活動の理論』アーサー・ケストラー 大久保直幹、松本俊、中山未喜訳(ラテイス(丸善) 1967-69年)
『ヘルマン・ヘッセ 危機の詩人』高橋健二(新潮選書 1974年)
お笑い進化論』井山弘幸(青弓社 2005年)
現代科学論』87- 9頁「科学的ユーモア」井山弘幸(2000年 新曜社)
「馬鹿は風邪を引かない、は本当? その医学的根拠とは!?」Doctors Me/サイバー・バズ(2015年6月1日)