「どうして兵士は戦場では死なないのか?」
ナイチンゲールがクリミア戦争時、トルコのスクタリ病院で画期的な衛生改革をなしえたことは有名だ。多くの命を救いクリミアの天使と讃えられた。だが冷徹な統計学者でもある彼女の探求のきっかけは、戦争での死亡率が高いにもかかわらず、戦場での戦死者が少ないことにあった。「どうして兵士は戦場では死 なないのか?」すなわち戦傷者を治癒する野戦病院の方に死者が多いのは何故か、という疑問だ。感染理論がまだ一般的ではなかった時代に、往時の病院環境に「何がないのか?」と考えたことが大きな契機となった。そしてスクタリ病院に上下水道の区別がないことに気がつく。細菌感染という仮説はなくとも、古代以来のミアスマ(汚染)が死亡原因に関係しているのではないか、と判断し、上水道を下水から分離することに着手した。
「不在のデータ」から生まれたワクチン
治療薬としての効能は別として、丸山ワクチンの開発も不在のデータがもとになっている。丸山千里は皮膚結核のワクチンを研究していたとき、皮膚結核やハンセン病にはガン患者が少ないという不在のデータに出会う。今でも結核に一度なった人はガンにならないという風聞を聞くことは多いし、そう語る医者だっている。後年の研究で結核の死亡率の高かった過去においては、ガンに罹患する以前に亡くなったり、あるいは死後の剖検が行われていなかったりしたことから、決してこの不在のデータは事実ではなかった可能性があるけれども、一時はガンの特効薬として注目を浴びたワクチンは、不在のデータから生まれたことは銘記すべきである。
モノのインターネットを生み出したデータとは?
IoTも「不在のデータ」から始まった。
IoTの提唱者であるケヴィン・アシュトン(Kevin Ashton)は、1995年から98年にかけて後年OLAYと改称される化粧品ブランドの新ライン開発の仕事に就いていた。ケヴィンが近所のスーパーに行くと、人気商品の口紅が品切れになっていることに気がつく。販売流通の担当者はたまたまのことだとして真剣に取り合ってくれない。他の店舗はどうかと調べてみると、常に40%の売場で品切れが認められた。工場での生産量に不足はなく、行き場のない商品はたくさん在庫にあった。つまり販売店と倉庫の間の情報交換がスムーズにいっていないということだ。バーコード入力なので販売実績は機械的に把握されているけれど、盗難や紛失あるいは入力ミスも考えられる。何よりも商品の補充を倉庫に連絡するのは人間なので、タイムラグや単純に忘れることもある。ならば在庫管理から商品の輸送までを人間の手を介さずに直接こなす通信システムを作れないか。レジから倉庫までモノが情報発信して、それをモノが受信して配送まで行なうことはできないか。こうして日常の機械や道具にコンピューターとセンサーを組み込み、インターネット上でつなぐユビキタス・コンピューティングの研究分野が生まれた。振り返ってみれば、ことの発端は口紅の品切れというありふれた現象だ。あるべきはずのモノがない、という不在データは多くの人間にとっては意味のない偶然の範疇で理解されていたのである。
データから知識を得ることを阻む伝統が「欠乏症」を見過ごさせた
見慣れたものの不在。今度は、見過ごされていたデータが活かされた事例を医学史のなかに探ってみよう。
壊血病の報告が目立つようになるのは大航海時代である。15世紀末のコロンブスとヴァスコ・ダ・ガマの航海ではいずれも半数以上の船員がこの病気で死亡したと言われる。出血と消耗が顕著な疾患だが、長期にわたる大航海が始まる以前はほとんど記録がない。実は記録のないこと、つまり不在のデータこそ、この病気の原因の究明に必要であったのだ。
長期間にわたる航海でも壊血病が認められないケースもあった。たとえば、同じ世紀初めの中国明代の大事業「鄭和の南海遠征」においても、東アフリカにまで至る大遠征であったにもかかわらず、壊血病らしき疾病の報告はない。自社ブランドの口紅が品切れだった時のように、そんな時もあるだろうと、不在のデータは誰にも注目されずに見逃されてしまう。結果を知っているわれわれは、中国人は船乗りも飲茶の習慣があり、茶葉に含まれるビタミンCが彼らを守ったのだとその不在のデータの意味を理解できるけれど、それはすべて後知恵であって、口紅や病人の不在のデータは、そのままでは注目し辛いものであり、後に「欠乏症」という仮説が生まれるまでは何も語らずに眠っていたのである。
やがて航路にあっても、寄港の頻度が高く上陸して新鮮な野菜や果物を運び入れることのできる環境では、滅多にこの疾病を生じないことは、船乗りのあいだで知られるようになる。そして病因よりも治療法が先に見いだされる。その時も不在のデータが重要な役割を果たしたのである。エディンバラの医師ジェームズ・リンド(James Lind)は1747年にはじめて対照群(即ち不在データ)を取り入れた臨床試験を行い、壊血病の治療に柑橘類が有効であることを証明した。リンドは船長から許可を得て、壊血病の重症患者12人を選び6組に分けてそれぞれに当時有効とされた食品や薬剤(リンゴ酒・硫酸アルコール溶液・酢・海水・オレンジとレモン・芥子大蒜入り下剤)を摂取させ、経過を見ながら酒石酸塩などを服用させる以外は普通の食事を摂らせた結果、「オレンジとレモン」組が顕著な回復を見せることをつきとめた。この組以外はお目当てでない「不在データ」である。もっともリンドは柑橘類を摂取することが有効だとしつつも、共通の成分である酸による治療効果と誤解していた。酢を飲ませた患者には改善が見られなかったにもかかわらず、であるが、これは致し方ない。「何かを食べないことによる疾患」という認識を得たことが重要なのだ。
壊血病がアスコルビン酸(ビタミンC)の欠乏症と判明するのが1933年、約2世紀も経過してからであった。その理由は、データから知識を得ることを阻む伝統があったからであり、欠乏症仮説とは異なる(仮説であることに変わりはないが何世紀も正統とされてきた)体液病理学説が幅を利かせていたからである。医学史においてはヒポクラテス以来の伝統、テキスト至上主義こそデータから学ぶ行為を禁じてきたのである。
不在のデータに着目したからこそ、鈴木梅太郎は世界ではじめてビタミンを発見できた
世界的に古くから知られる脚気は、神経障害や浮腫(むくみ)を特徴とする疾患で、重篤な場合は心不全から死に至ることもある。わが国においては平安時代の天皇家や公家、江戸時代の武士や町人によく見られるのに対して、農民や下層民は脚気にならないことから白米食との関連があるのでは、と疑われることもあった。だが当時の常識的な思考では何か毒素なり有害成分があって病気になるのであり、あの美しく食味の良いご飯が病気の原因となるとは考えづらかった。
しかし留学先ベルリン大学留学から帰国した鈴木梅太郎は、ニワトリとハトを白米で飼育すると脚気同様の症状が出て死ぬことをエイクマンの実験の追試から確認し、白米が精米の過程で「失われるもの」に原因物質をもとめ、糠と麦と玄米には脚気の症状を予防し治癒する成分があると考えた。そしてその要素をつきとめ、1910年(明治43年)東京化学会で「白米の食品としての価値並に動物の脚気様疾病に関する研究」のテーマで発表。その後、この成分を抽出してオリザニン(ビタミンB)と命名したのである。誰が脚気にならないか、という不在データの方に着目したからこそ更なる探求が生まれたのだ。これは史上最初のビタミンの発見のはずであったが、発表雑誌が主流でなかったこともあり、不運にもノーベル賞を逃した。
このように、データは「ある」ことだけでなく、「ない」ことによっても大きな発見の手がかりを生む。データを活用したいと考えるのであれば、ぜひ覚えておいていただきたい。
参考文献
『IoTとは何か 技術革新から社会革新へ』坂村健(KADOKAWA 2016年)
『馬を飛ばそう』ケヴィン・アシュトン 門脇弘典訳(日経BP社 2015年)
『歴史は病気でつくられる』リチャード・ゴードン 倉俣トーマス旭・小林武夫訳(時空出版 1997年)
『壊血病とビタミンCの歴史―「権威主義」と「思いこみ」の科学史』J.K.カーペンター 北村二郎・川上倫子訳(北海道大学出版会、1998年)
『脚気の歴史~日本人の創造性をめぐる闘い~』板倉聖宜(仮説社 2013年)