久野愛

久野愛

(写真:Alena Ozerova / shutterstock

日常は、未知のものに感覚を解放する可能性を秘めている

日常とは、変わることなくそこにあるものだと思うかもしれない。しかし、感覚史を紐解いてきた久野愛氏によれば、それはドラマチックに変化するもののようである。日常は常に新しい必然性をつくりだしている。

Updated by Ai Hisano on August, 29, 2023, 5:00 am JST

日常は、未知のものに感覚を解放する可能性を秘めている

この日常をアクチュアルな経験たらしめるのがエステティクス(美学の意ではなく、感覚的・感性的認識。以前の論考を参照)なのではないだろうか。日常性を獲得したモノや行為は、「役に立つ」といった機能的な側面だけでなく、感覚的・感情的な要素も伴っている。例えば、あるモノを見たり触ったりすることで得られる感覚や、喚起される感情は日常性の一部となっている。一方で、ベン・ハイモアが述べるように、日常生活は「習慣的な価値観を維持するもの」であるとともに、「身体が新しいもの(新しい匂い、新しい味、新しい音)を好きになることを学ぶ場」でもある。つまり、「未知のもの、新しいもの(馴染みがないもの、異質なもの)に対して感覚を解放する可能性」を日常は秘めている。こう考えると、ジャック・ランシエールのいう「感性的なものの分割=共有」、つまり既存の秩序とそれに対する特定の見方が日常性を作り出し、それを宙吊りにし再編成するのがエステティクスであり、その実践の場が日常であるともいえるのではないだろうか。

日常生活におけるエステティクスのあり方については、特に哲学者たちの間で「日常の美学(everyday aesthetics)」という概念により議論されてきた。日常生活におけるエステティクスには、美しい・心地よいといった「ポジティブ」な感覚・感情だけではなく、醜い・気持ち悪いなどの「ネガティブ」なものも考慮される。哲学者のユリコ・サイトウによれば、日常の美学では、「あらゆる物体、現象、活動の感覚的および/またはデザイン的な特質」に対する人々の反応と体験が重要となる。

工業デザイナーが文化装置を構成する「中心人物」となった

こうした日常の経験の一例として、以下では20世紀半ばのアメリカ合衆国における工業デザインについて考えてみたい。1920年代後半、世界恐慌のさなか、アメリカでは「工業(インダストリアル)デザイナー」と呼ばれる職業が誕生した。その多くはステージデザインや広告業界出身者で、消費財メーカーをはじめとする多くの企業が商品デザインに力を入れ始める中で、工業デザインという(職業)分野が生まれたのである。その後、1940年代から1950年代にかけて登場した新しいデザインは、例えば雪のように真っ白な冷蔵庫からアルミニウム製のトースター、カラフルなプラスチック皿にいたるまで、多くの中産階級家庭における日常の感覚環境を劇的に変化させた。きらびやかな新素材と滑らかで曲線的なラインは、まさに近代性と技術進歩のシンボルであり、人々に新しい感性をもたらした。

実際、工業デザイナーの多くは、五感全てを含む感覚的要素の重要性を認識していた。デザイナーのJ・ゴードン・リッピンコットは、1947年に出版した『Design for Business』の中で、「デザインに対する私たちの基本的な評価は、結局のところ、視覚、味覚、聴覚、嗅覚、そして感情を通して何を感じるかに拠っている」と述べる。リッピンコットと同時代のデザイナーであるドナルド・ウォランスも、1956年の著作『Shaping America’s Products』で次のように書いている。「私たちは、ほとんどのモノに純粋に感覚的なレベルで反応する。私たちの官能的な反応において、視覚的影響は最も重要なものかもしれないが、触覚、嗅覚、さらには聴覚までもが、それほど意識的ではないにせよ、多くの場合関係しているのだ。」工業デザイナーは、社会学者のC・ライト・ミルズが、「文化装置」を構成する「中心人物」として措定したように、自身を含む人々の「文化的感性を創造し」日常生活を作り出すアクターだったともいえるだろう。