広井良典

広井良典

(写真:metamorworks / shutterstock

「再現可能性」の危機に瀕している科学。展開されてきているのは、個別性の科学だ

大量のデータの保存・解析が可能になる時代においては、科学もまた猛スピードで発展していくことだろう。しかし、今、科学は「再現可能性」の危機に瀕している。この状況においては、近代科学と同じアプローチをしていては発展もすぐに頭打ちになってしまうことだろう。

Updated by Yoshinori Hiroi on April, 21, 2023, 5:00 am JST

「個別性・多様性の科学」はすでにいくつもの領域で生成、展開している

一例を挙げてみよう。 臨床心理学などの領域に関わるものだが、たとえば不登校だった小学生のある男の子が、周りの人々の様々な関与や、偶然を含む出来事の展開の中で、1年の時間の経過の中で次第に学校に通えるようになったという事例を考えてみる。その変化の過程において何が重要な要因だったか”を探るのは「科学的探究」そのものだが、こうした事例が「再現可能」かというと、それは否だろう。理由は簡単で、その男の子が置かれた状況や変化の過程を100%再現することは不可能だからであり、人間、とりわけその心理や社会的関係性が関わる領域においては、再現可能性が成り立たない場合のほうがむしろ一般的と言える(ちなみにこの話題は、かつてドイツの哲学者ウィンデルバントが、学問を「個性記述的 (idiographic)」と「法則定立的(nomothetic)」の二者に分けた議論を思い出させる面がある)。

その上で、私がここで「ケアとしての科学」の柱の一つとして考える「個別性・多様性の科学」 とは、次のような趣旨のものだ。

すなわち、一方で事象の「個別性」や「多様性」に十分な関心を払いつつ、しかしそこで働いている普遍的な原理の追求を全く放棄してしまうのではなく、その両者を深い次元で総合する。言い換えれば、人間一人ひとりあるいは様々な自然事象や事物の個別性・一回性に注目するとともに、そうした個別性や多様性がなぜ生じるかという、その構造の全体を俯瞰的に把握するような科学のあり方ということである。

以上は多少わかりにくく聞こえるかもしれないが、たとえば、

(1)人間の「文化の多様性」と生物学的レベルを含む「普遍性」との関係性をめぐる人類学的探究
(2)地震が生じる際の普遍的な法則ないしパターンと個別の地震の発生メカニズムや予知・予測 に関する研究
(3)遺伝子ないしDNAレベルでの決定性ないし普遍性と、それが具体的・個別的な環境と相互 作用しつつ様々な特性が現れることを探究する「エピジェネティクス」の研究

など、こうした方向は様々な科学の領域で生成、展開していると思われる。