多種多様な生物との関係のなかから主体がたちあらわれてくる
以上が双主体モデルの骨子である。最後に、骨子に肉づけしていくなかで現れてくるものもふくめて、その特徴を列挙しておこう。
第一に、双主体モデルはドメスティケーションを双方向的に捉える。強調しておきたいのは「人間はコムギを栽培化したと思われているが、見方を変えればコムギが人間を家畜化したことになるのだ」といったふうな、視線の反転を主張しているのではないという点である。それは人間と対象生物を置換した単一主体モデルにすぎない。双主体モデルは、二種の生物が、それぞれ同時にドメスティケートの主体であり対象でもありうる点に、その特徴がある。
第二に、双主体モデルは多種生物間の関係を把握する。焦点化された二種に視野を限定することなく、つねに多種多様な生物からなる諸関係のなかに二種を埋め込んで捉えようとする。なぜなら、定義上、一方が他方の諸関係に介入することがドメスティケートする行為そのものであり、双方が第三の生物たちとどのような関係を構築しているかはドメスティケーションの進行を左右するからである。また、必要と労力におうじて、三種の生物を焦点化することも可能だろう。
第三に、双主体モデルは行為主体の「ハイブリッド」を認識する。双方がドメスティケートの主体かつ対象である関係が深化していくと、ついには二種が合一した行為主体とみなせるようになるだろう。「イネ人間」や「ウシ人間」というと特撮モノを連想してしまうが、生態人類学における「農耕民」や「牧畜民」といった表現は、人間と相方生物のハイブリッドとしての行為主体について言及しているのだと解釈するならば、むしろなじみのある考え方ともいえる。
第四に、双主体モデルは非生物を動員する。工場トマトの例では、最終的に人間とトマトの二種関係に純化するようにみえるが、じつはそうではない。第三の生物たちの排除と対応して、工場トマトの生存と再生産のために、光・熱・水・養分の供給をつかさどる機材が配置され、種子生産のシステムが構築され、それらのためのインフラが整備される。ドメスティケーションは、非生物的環境を構築しながら、多種多様な生物との関係を人工的なモノとの関係に置換していくという側面をもっている。
第五に、双主体モデルは人間を焦点から外すことができる。キノコを栽培するアリや、アブラムシを飼育するアリがいるように、そもそもドメスティケーションは人間に限定されるものではない。とはいえ、人間を焦点化しない場合でも、すぐさま「人間のいない世界」に視野を閉じてしまうのは拙速かもしれない。ダーウィンは人為的な品種改良に着想を得て進化論を構想したのであったことを思いおこすならば、双主体モデルが、種間関係一般をより深く理解することに貢献するかもしれないからである。
一連の小論では、狩猟採集民の〈生き方〉としての、アンチ・ドムスについて考察することを目的としているが、今回は考察のための理論的準備で紙幅が尽きてしまった。なお、双主体モデルは、生態人類学の理論と実践の再編を目論みつつ、アクターネットワーク理論やマルチスピーシーズ研究をドメスティケーション向けにチューンアップして構想したものである。それらに興味のある方は参考文献をご覧いただきたい。
次回は、双主体モデルを携えて、ふたたびバカ・ピグミーとヤマノイモの関係に目を転じ、アンチ・ドムスについての考察を展開していきたい。
参考文献
『ドメスティケーション:その民族生物学的研究』 山本紀夫 編(人間文化研究機構国立民族学博物館 2009年)
『反穀物の人類史:国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット(みすず書房 2019年)
『ブルーノ・ラトゥールの取説:アクターネットワーク論から存在様態探求へ』久保明教(月曜社 2019年)
『野生性と人類の論理:ポスト・ドメスティケーションを捉える4つの思考』卯田宗平 編(東京大学出版会 2021年)
『食う、食われる、食いあう:マルチスピーシーズ民族誌の思考』近藤祉秋・吉田真理子 編(青土社 2021年)
『アクターネットワーク理論入門:「モノ」であふれる世界の記述法』栗原亘 編(ナカニシヤ出版 2022年)
『モア・ザン・ヒューマン:マルチスピーシーズ人類学と環境人文学』奥野克巳・近藤祉秋・ナターシャ・ファイン編(以文社 2021年)