合理性の罠
合理的な選択が、必ずしも人から評価される選択とは限らない、と言われたら、どう思われますか?
ではまず、合理的な選択とはなにかについてお話しさせてください。早速ですが、次のような場面を想像してみましょう。
あなたは、ある大型プロジェクトの担当者です。プロジェクトにはすでに10億円の費用がかかっており、あと1億円あれば完了できそうな見通しです。しかし、専門家による試算によると、プロジェクトが完了しても赤字になる見通しだということがわかりました。あなたはあと1億円を出しますか?それとも、すでに10億円出したプロジェクトを断念しますか?
有名な問題なので、ご存知の方もいらっしゃるかもしれません。この問題への経済学的に合理的な回答は、「1億円出さないで、プロジェクトを断念する」です。ええっ?どういうこと?と思われた方は、次のような場面と比べると、わかりやすくなるかもしれません。
あなたは、ある大型プロジェクトの担当者です。プロジェクトは始まったばかりですが、1億円ほどあれば完了できそうな見通しです。しかし、専門家による試算によると、プロジェクトが完了しても赤字になる見通しだということがわかりました。あなたは1億円を出しますか?それとも、このプロジェクトは断念しますか?
2番目の状況であれば、1億円出すという決断をする人はほとんどいません。お金を出してまで赤字プロジェクトを完成させる意味がないと考えますね。ところで、1番目の状況と2番目の状況の違いは、「すでに10億円の投資をした後かどうか」というだけで、これから1億円を出して赤字プロジェクトを完成させるかという点では、全く同じ状況です。
この問題からわかるのは、私たちはなかなか合理的な判断ができないことがある、ということです。上記の問題では正解を出せた方でも、たとえば映画館でつまらない映画を観はじめてしまったときに、途中で席を立って観るのをやめることはなかなかできないのではないでしょうか。実は、これも全く同じ現象なのです。おそらく、NetflixやHuluで同じ映画を見ていたとしたら、すぐに停止ボタンを押して、別のことをし始めていたでしょう。1,800円を払ったばかりに、つまらない映画を観つづけてしまうというわけです。
さて、合理的な判断ができなかった方、ご安心ください。合理的な選択は、必ずしも人から評価されるとは限らない、とすでに述べました。実は、一度なにかを支払ったら最後までそれを続けてしまう人は、周りの人から信頼されるようなのです。
ノースウェスタン大学のドリソン氏とその共同研究者たちは、商品開発プロジェクトの90%が終わっている時点でライバル会社がもっといい商品を販売開始してしまったときに、追加の投資をする経営者と、投資を取りやめる経営者がどう思われるかを比較しました。参加者は、追加の投資をする経営者の ことを、投資を取りやめる経営者よりも、より信頼できる、特に人間的な面で信頼できると回答することが示されました※1。
これは、社会的にも重要な話です。合理性を取るか、他人からの信頼をとるか。
たとえば、戦争を始めてしまった政治家が、このままだとジリ貧で、合理的には戦争をやめるべきだと頭では理解していても、国民からの評判を気にして、戦争をやめられなくなるようなことも起こるかもしれません。
合理的な人は社会的に損をする?
合理的な人が周りから評価されにくいという点は、他の研究でも指摘されています。まずは、次のような場面を想像してください。
A:これから、くじを引くかどうか決めてください。くじを引く場合は、3分の1の確率で6,000円が当たりますが、3分の2の確率で何ももらえません(リスキー)。くじを引かないのなら、2,000円がもらえます(確実)。あなたはどちらを選びますか?
次の場面に移ります。
B:あなたに6,000円渡します。くじを引くかどうか決めてください。くじを引く場合は、3分の2の確率で6,000円を返していただきますが、3分の1の確率で何も失いません(リスキー)。くじを引かないのなら、4,000円返していただきます(確実)。あなたはどちらを選びますか?
実は、Aの状況でもBの状況でも、リスキーな選択では3分の1で6,000円がもらえるけど3分の2で何ももらえません。確実な選択では2,000円が手に入ります。つまりAで確実な選択肢を選んだ人は、Bでも確実な選択肢を選ぶはずです。
ところが、「何かが得られる可能性がある場面」(Aの状況)では確実な方の選択肢が選ばれることが多いのに、同じ選択問題を、「何かを失う可能性がある場面」として示すと(Bの状況)リスキーな選択肢がよく選ばれるという逆転現象が起こります。このような現象を、「獲得損失フレーミング効果」と呼びます。人間は、選択肢を違ったふうに示されると、「同一の選択基準を用いる」という合理的な選択ができないんだよ、というわけです。
逆に言えば、合理的な人ならば、選択肢の示され方が変わっても同じ選択肢を選び続けられるでしょう。そういう人は、他の人からどうみられるか? というのを、先述のドリソン氏らが調べました※2。その結果、参加者と異なる選択を行うと、低く評価されてしまうことが示されました。つまり、周囲から高い評価を得たければ、たとえ合理的ではないとしても、獲得損失フレーミングに引っかかった方が良いということになります。
同様に、イェール大学のジョーダン氏らは、他人に協力するかどうか決めるときに、協力するコストと利益をしっかり計算した人、あるいは協力すると決めるまでに時間がかかった人は、なにも計算せずに他人への協力を決めた人や、すぐに協力すると決めた人に比べて、信頼されにくいことを示しています※3。
あなたは合理的な人でしょうか? これには二つの答えがありえます。経済学的に合理的か、あるいは他人からの評価を得るという意味で合理的か。さて、あなたはどちらでしたでしょうか?
参考文献
1. Dorison, C. A., Umphres, C. K. & Lerner, J. S. Staying the course: Decision makers who escalate commitment are trusted and trustworthy. J. Exp. Psychol. Gen. 151, 960–965 (2022).
2. Dorison, C. A. & Heller, B. H. Observers penalize decision makers whose risk preferences are unaffected by loss–gain framing. J. Exp. Psychol. Gen. 151, 2043–2059 (2022).
3. Jordan, J. J., Hoffman, M., Nowak, M. A. & Rand, D. G. Uncalculating cooperation is used to signal trustworthiness. Proc. Natl. Acad. Sci. U. S. A. 113, 8658–8663 (2016).