村上貴弘

村上貴弘

人類よりもはるか昔に出現したアリは、すでに高度な社会を築いている。

(写真:Yusnizam Yusof / shutterstock

人はDXで進化できるのか。巷にあふれる「進化」の誤解

よくDXは「進化」という言葉とともに用いられるが、皆さんは「進化」という言葉をどのように捉えているだろうか。アップデートの言い換え程度に認識してはいないだろうか。実は「進化」の概念は日本社会、ことにビジネス界ではまことによく誤解されている。今回は「進化」という用語の持つ問題点をアリの研究者が解説する。

Updated by Takahiro Murakami on February, 3, 2023, 4:45 am JST

「ピカチュウに変態した!」と言えなくて

「進化」というとポケモンのピチューがピカチュウに変化することを「進化」と表現しているように、なんらかの形態や性質が変わり、機能が向上することを指すように誤解されている。ピカチュウへの「進化」は「進化」ではなく生物学的には「変態」に近い。しかし、お茶の間では「ピカチュウに変態した!」とはなかなか大声では叫べないため、止むを得ずこのような表現になっているものと推察している。このアニメのもたらす力は良くも悪くも絶大で、「進化」という用語の誤用に関しては、大変悪い方向の力を発揮してしまっている。

長い時間をかけて環境の変化に適応したアリの社会。それは人間の倫理観とはまったくあわない

アリで考えてみよう。
僕が研究している「農業をする」アリである菌食アリは、6500万年前にこの地球上に出現したと考えられている。この時期というのはゴンドワナと呼ばれる超大陸から、大規模な地殻変動の影響で南アメリカ大陸が分離し、ユカタン半島近辺にこれまでの地球の歴史上三番目の規模の隕石が衝突した(俗にいうジャイアントインパクトを引き起こした)時期である。このような大きな環境変動が生じた時期に、菌食アリは出現した。大型の恐竜が絶滅するなどいわゆる「白亜紀大絶滅」にあたり、様々な生物種の絶滅と新たな種の出現という特殊な現象が起きた時期である。そのような大変革期から、最も分化した特徴を持つハキリアリが出現するまで実に数千万年の時間が経過している。つまり、進化を考える上で時間というのはこれくらいのスケールになるのだ。

切り取った葉を巣に運ぶハキリアリたち。(著者提供)

長い時間をかけて環境の変化に応答し、生物間で相互作用する中で、アリたちは時に人間の想像力を遥かに超えた形態や機能、社会構造に至っている。これは人間が考える良し悪しの倫理的規範とは全く合わない。例えば、ナベブタアリという中南米に生息するアリは、メジャーワーカーの頭がお皿のような形に変化し、それで巣の入り口を塞ぐ「扉役」として存在している。彼女らは一生ドア役。もし、彼女らを排除してしまったら、外敵が巣に侵入してくることが実験から明らかになっている。

ボリビアやペルーに生息するCamponotus mirabilisというオオアリの仲間は、狭い竹の隙間に適応して、顔も胸部も腹部もものすごく細長くなっている。ボルネオなどの東南アジアに生息するハンミョウアリMyrmoterasは細長い大顎がなんと270°も開く。この大顎はトラップジョーと呼ばれ、高速で閉じトビムシなど素早く逃げる昆虫類を専門に狩ることに適応した形質だ。東南アジアに生息するヨコヅナアリのメジャーワーカーとマイナーワーカーのサイズ差は実に550倍。これは人間に換算すると同じ姉妹でありながら、ザトウクジラくらいの大きさになる。一つ屋根の下に、ここまでサイズが違う家族がいて、果たして人間ならそれを受容できるだろうか? 

生涯を扉役として生きるナベブタアリ(著者提供)

ホモ・サピエンスの「進化」は、出現した時と比較してようやく何か定着しているかな、という程度

この進化スケールは世代時間と関連がある。もし世代時間がものすごく短い場合は、進化速度は速くなる。地球上の生物で最も短い世代時間を持つものは腸炎ビブリオという細菌で、わずか8−10分である。計算上は腸炎ビブリオが好適な環境で分裂を繰り返せばわずか11時間程度で地球の体積と同じくらいまで増えることになる。
(26n x 10-8 = 1.08 x 1012, 世代時間を10分、腸炎ビブリオの体積を仮に0.1 µm3, 地球の体積は1兆800万km3で計算。6n x log102=log101.08+20, n≒11)

もちろん、細菌が増えるには資源が必要で、有限の資源を消費してしまえばそこで増殖はストップするので、地球と同じ体積になるのは現実的にはありえない。が、それだけの潜在能力を持っているということである。この細菌の場合、1年間で5万世代以上を繰り返すことができるので、1年あれば十分進化的に検証可能な現象が起こりうるといえる。

新型コロナウイルスの変異型の出現、分散スピードの速さも驚異的だ。ウイルスを生物とみなすか、ただの物質とみなすかは研究者によって見解が分かれる。僕自身はウイルスを生物だと考えている。なぜなら、新型コロナウイルスのように環境の変化に応答して遺伝情報を変異させ、世代を重ねることにより進化することが可能だからだ。これはただの物質には不可能な現象だ。ウイルスの世代時間は、宿主に入り込んで自分たちのRNAやDNAを複製し、新たにタンパク質の膜であるカプシドや脂質の膜であるエンベロープをまとって細胞外に出てくるまでの時間は約50時間程度であると推定されている(オミクロン株の場合)。腸炎ビブリオほどではないが、それでも世代時間は比較的短く、かつ感染者1人が1世代と考えるとこの3年で数億世代が経過したともいえるため、どんな変異株が出現してもおかしくない。

人間の場合はどうだろうか?人間の世代時間は約25年である(寿命ではないことに注意が必要である)。1万世代は経過しないとなかなか進化的に定着した形質を検証することはできないと考えると、ホモ・サピエンスが出現して1万世代程度なので、我々にとって進化というものは出現した時と比較してようやく何か定着しているかな、という程度になる。遺伝子を詳細に検証するともっと少ない世代でも進化の兆候を見ることができるのだが、それは、かなり専門的な技術と情報処理の知識が必要となる。

つまり、進化を論ずるためにはその生物ごとの時間尺度を理解した上で、慎重にならなくてはならないのだ。よく成功した人がその成功体験を正当化するかのようにダーウィンの言葉として「変化できる者だけが生き残るのだ」という言葉を引いているが、ただの世迷言であり、ポケモンよりも質が悪い(そもそもこれはダーウィンの言葉ではないし、彼の考えとも異なる)。

今ある「良い」形質が次の世代に必ず引き継がれるわけではない

進化という単語が出てきた際のチェックリストを作ったので、一つでも当てはまる場合は心の中で「ダウト!」と叫んで欲しい。

□進化には決まった目的やゴールがあるわけではない。効率や幸福、利益などといったものに生物の特徴が必ず集約されるということはない。

□人の一生の変化は進化ではない。世代を少なくとも数千世代は経ないと何も分からないので、我々が生きている間に起こる変化はただの変化だ。

□「選択」や「適応」は誰かが神のように裁きを行い、罰のように下されるものではない。繰り返しになるが、長い時間をかけてその環境に応答する形で適した特徴を持ったものの数が自然に増えていくだけのことだ。

□今あるとても「良い」形質は次の世代に必ず引き継がれるわけではない。これは進化学者木村資生が「分子進化の中立説」で提起し、その後の検証で立証された現象である。意外に思われるかもしれないが、生物の特徴は次の世代になるとほぼ中立的に出現する。進化はもっと広く、ゆっくりと頻度依存的に進むのだ。

□生物は種の繁栄を目指して進化するわけではない。生物に「種」を認識する能力はない。最大限拡大解釈しても地域集団レベル程度でしか、利益は共有できない。

Deep LearningやAIの力を疑わなくてはならない理由

なかなか面倒なことで申し訳ないが、実はこの概念はDXの世界においても非常に重要な概念になる。
どういうことか?例えばDeep Learningでなんらかの答えが出たとしよう。その答えには、そこに導くための人間の意向が必ず入り込んでいる。つまり、コンピュータによる計算の原理原則も本来的には進化論と同じく、特定の方向や目的、ゴールがあることはあり得ない。これは当たり前のことをいっているようだが、非常に重要なことである。人はそのうちにDeep Learning様やAI様のおっしゃったことを無検証で信じるようになっていくはずだ。そうなった世界は非常に危険である。

簡単な実例を挙げる。2017年夏。ヒアリ騒動が勃発した時にとある大手コンピュータ会社がDeep Learningのデモ動画を公開した。そこには「ヒアリを画像検索して、学習させることにより自動で素早くヒアリを識別できるプログラムができます」と謳われていた。しかし、残念なことにデモで示された10枚のヒアリだとされる写真のうち、3枚がヒアリではなく、ヒアリではないとされた写真10枚のうち、2枚がヒアリであった。間違った教師学習をしたプログラムは間違った結果をはじき出すのだが、それに気がつくためには、ヒアリとはどういうアリなのかを深いレベルで知らないと不可能だ。

つまり、これからのDXの時代にあっては、我々はより深い学習を行い、情報リテラシー(読解能力)を専門領域にまで到達させないと非常にまずいことになる。随分と面倒な世の中になってきたものだ。ただし、一人の人間があらゆる分野に精通する必要はないだろう。専門分野を深め、正確に検証できる能力を一分野でも持てれば、それだけでDXによる社会の暴走を食い止めることができるはずだ。

為政者に都合よく使われてきた「進化」

最後に進化という難しい概念に関して、一つだけ。
僕がアリの研究を始めた頃(1990年代初頭)、進化という現象を学ぶ際に、教科書的な専門書に共通して書かれていたのが、この理論の持つ危険な力であり、不幸な歴史であった。ダーウィンが提唱した進化論のキーワードである「適者生存」と「自然選択(淘汰)」という二つの言葉は、為政者たちに都合の良いように解釈された。最悪の事例が、第二次世界大戦中ドイツの独裁者であったヒットラーだ。彼は、ナチズムを広めるための理論的支柱として進化論を利用した。彼の、そしてナチスの考え方では、優秀なゲルマン民族は、進化論的に考えて適者であり、劣等民族のユダヤ人は淘汰されるべき存在なのだ、と。この恐ろしく歪んだ選民思想により数百万人ともいわれるユダヤ人が虐殺された。この恐ろしい結果を受けて、第二次世界大戦後の世界では進化論は政治に持ち込まない、生物学者も人間社会に進化の概念を敷衍する時は細心の注意を払うことが、繰り返し注意されてきた。その当時、僕は「まさか戦後40年も経過してそんな荒唐無稽なことが起こるはずはない。政治家もそこはきちんとリテラシーがあるはずだ」と無邪気に考えていた。しかし、ここ数年、非常に憂慮すべきことが度々起こっている。政府与党の広報が進化論を捻じ曲げた漫画を掲載し、その漫画を政治家が擁護するなど、以前では考えられない危険な兆候が出てきている。ぜひ、この文章を読んだ人は少しでもその恐ろしさを理解し、自分の専門分野の情報を深め、リテラシーを上げていっていただきたい。