19機もの偵察衛星を打ち上げている日本
2023年現在の日本は、大規模な偵察衛星システムを保有している。内閣官房・衛星情報センターが運用する情報収集衛星(IGS: Information Gathering Satellete)だ。可視光からおそらくは近赤外の光を使って観測を行う光学衛星(IGS-O)と、合成開口レーダーを搭載したレーダー衛星(IGS-R)の2種類の衛星から構成され、地球上の任意の地点を1日1回以上観測することができる。加えて今後は「時間軸多様化衛星」という名称の小型衛星も打ち上げて、同一地点の観測頻度を上げる計画が動いている。衛星の外観、搭載センサーの仕様などは一切非公開。観測データも基本的に、秘密保護法(特定秘密の保護に関する法律)の指定をうけて秘匿されている。
2003年以来、高性能化のための技術試験衛星2機を含む18機の衛星が打ち上げられており(うち2機は打ち上げに失敗)、2023年1月現在は、8機が稼働しているものと推定されている。これら直接の偵察衛星のほかに、2020年には、衛星が観測したデータを中継して地上に降ろすデータ中継衛星が打ち上げられ、静止軌道上で運用中だ。システム全体としては、衛星累計19機。うち9機が稼働中ということになる。
年間800億円を消費し続ける、情報収集衛星
計画が動き出したのは1998年9月。同年8月31日に、北朝鮮が「テポドン」ミサイルを太平洋に向けて発射し、同ミサイルが津軽海峡上空を通過 したことから、政府内に「日本も本格的な安全保障情報を収集する体制が必要」という気運が盛り上がって、一気に導入が決定した。
当初計画は、光学衛星2機、レーダー衛星2機の4機体制で、計画総額は2,500億円であったが、当然のことながら衛星システムは継続的に衛星を更新していく必要があるし、衛星の性能向上のためには技術開発も必要となる。使っていくうちに、衛星数を増やして機能を向上したいという要求も発生する。結局、その後IGSは年間約800億円をコンスタントに消費する宇宙計画へと巨大化した。
衛星情報センターのホームページには、これまでの予算の推移が公開されている。それによると、1998年度(初年度は年度途中からの補正予算が付いた)以降、2022年度までの24年間の予算総額は、1兆6,863億円になる。定常運用するシステムなので、総額は今後も年800億円のペースで増え続けるだろう。
実はIGSこそが、2023年現在における日本国最大の宇宙計画なのである。日本人宇宙飛行士が長期滞在を行っている国際宇宙ステーション(ISS)への参加も、1975年初打ち上げのN-Iロケット以来、この2月に初号機を打ち上げるH3ロケットに至るまでの50年近くに及ぶ衛星打ち上げ用大型液体ロケットの開発も、これほどの国家予算を突っ込んではいない。
今や日本は、「宇宙開発といえばIGS」の国であり、そのIGSとは具体的にどんなものなのかといえば、「機密の壁の向こうで国民にはよく分からない」という国になっているのである。
日本電気、三菱電機、東芝……メーカーが偵察衛星の保有を政府に働きかけた
すこし昔話をしよう。私が「日本独自の偵察衛星」という構想を知ったのは、1991年の事だ。当時は「情報衛星」という名称を使っていた。当時私は、航空宇宙関連ニューズレターの編集部で記者をしていた。
教えてくれたのは——もう時効だろうから書いてしまおう——日本電気の関係者だった。「こういう構想を作って、外務省に持って行って説明している」。”偵察衛星”といっても、1991年時点は知り合いの記者に話してしまう程度のことだったのである。
とはいえ、記事に書きたければ裏を取る必要がある。私は外務省に行って話を聞いた。「ええ、話は聞いています」と、外務省はあっさりとそういう話が来ていることを認めた。「が、実際問題として難しいでしょうね。予算が取れないから」ということだった。
1991年当時は、宇宙平和利用に関する国会決議(宇宙開発事業団法に対する国会の附帯決議 1969年6月13日参議院科学技術振興対策特別委員会)が生きていた。1969年に特殊法人の宇宙開発事業団(NASDA;2003年の宇宙三機関統合を経て、現在は宇宙航空研究開発機構となっている)を設立する際に行った国会決議だ。決議には「我が国における宇宙の開発及び利用に係る諸活動は、平和の目的に限り、かつ、自主、民主、公開、国際協力の原則の下にこれを行うこと。」とある。安全保障目的の偵察衛星を持つとなると、この決議とどう整合性をとるかという問題が発生するというのが一般的な認識だった。
後で知ったが、この偵察衛星保有に向けての働きかけは、日本電気だけではなく、三菱電機も参加して、水面下では粘り強く続いていたらしい。当時は、日本電気、三菱電機、東芝の三社が衛星を開発・製造していた。後に東芝は衛星事業を日本電気との合弁という形にして、同事業から撤退する。が、その以前には、東芝もこの働きかけに参加していたのであろう。
なぜ衛星メーカーが揃って政府に対して、偵察衛星の保有を働きかけたのか。表向きは「日本もきちんと世界の情報を集めて分析すべきだ」という建前だったが、その背景には、アメリカとの通商貿易交渉「スーパー301条」があったことは間違いない。
貿易摩擦解消の生け贄にされた宇宙産業。窮地に立たされたが北朝鮮が……
1989年5月、絶好調の日本経済に脅威を感じたアメリカは、包括貿易法「スーパー301条」に基づき、日本に対して衛星、スーパーコンピューター、林産物の市場を開放するよう迫った。その結果行われた通商交渉で、日本は市場開放に同意し、1990年4月に書簡をアメ リカと取り交わした。政府調達衛星は技術開発衛星に限られ、通信衛星や放送衛星といった実用衛星は国際的に調達することとなった。「国際的に調達する」は美辞麗句の類であって、実態は「衛星は国産とせずにアメリカの衛星メーカーから買う」と約束させられたのである。
当時の日本の宇宙開発は、「官需のロケットや衛星を日本のメーカーに発注して技術蓄積を図り、産業を育成する」という通称「護送船団方式」で、輸出産業育成を図っていた。その集大成となるのが、当時開発中だった、H-IIロケットと同ロケットで打ち上げられる静止軌道初期重量2トン級の大型静止衛星「技術試験衛星VI型(きく6号)」だった。きく6号を基本として、2トン級静止衛星の初期需要をNTTの通信衛星「CS」シリーズ、NHKの放送衛星「BS」シリーズ、そして気象衛星「GMS」シリーズの官需で担えば、日本は当時最新鋭であった2トン級静止衛星を安定して製造・販売でき、同時にそれを打ち上げるロケットという2つの宇宙産業を立ち上げることができる。これがアメリカの目には脅威に映った。
交渉の結果、日本政府はアメリカの主張に屈した。アメリカは日本が北米大陸で大きなシェアを持っていた自動車と家電製品に報復関税を掛けることを示唆して、日本の譲歩を引き出したらしい。日本の宇宙産業は護送船団方式での育成半ばにして、いわばアメリカに対する生け贄として差し出されたのである。
日本電気、三菱電機、 東芝の衛星事業は、CS、BS、GMSという官需を失って苦境に立たされた。NASDAの技術開発衛星だけでは全然足りない。国際的な民間市場に活路を求めようとしても、技術育成半ばの三社に衛星を発注する事業者は世界を見渡してもいない。
頼るは日本政府の新たな官需しかない——というわけで、手堅い官需として「日本も偵察衛星を持って欲しい」という話が浮上したのだ。
「メーカーからの偵察衛星売り込み」は、1990年代を続いて断続的に続いていたようである。1998年8月25日に三菱電機の谷口一郎社長(当時)が、自由民主党の「科学技術・情報懇談会」で偵察衛星構想についてレクチャーした。そして、なんというタイミングか、その6日後の8月30日に「テポドン」が打ち上げられた。
自民党議員の頭の中には「偵察衛星」というレクチャーを受けたばかりの概念が残っていた。9月1日の自民党総務会では偵察衛星保有に関する積極的な発言が続出。民主党の菅直人代表も「日本は自前で偵察衛星ぐらい持つべき」と発言した。9月3日には小渕恵三首相が、「強い関心」を表明。
そこからはあれよあれよだ。11月6日の閣議で、政府は2002年度に情報収集衛星4機を打ち上げることを決定した。「宇宙平和利用に関する国会決議」とは一体何だったのか ?である。
JAXAの研究開発予算は減ったが、宇宙分野に支出する予算は増えた
計画開始から25年、2003年3月の最初の情報収集衛星2機の打ち上げから20年を経て、少なくとも情報収集衛星は1990年代初頭の衛星メーカーが望んだ「確実な官需」の役割は果たしている。これまでに製造された衛星18機は、主契約者となった三菱電機の宇宙事業を確実に下支えした。同社は2020年に、衛星開発・製造を行っている鎌倉製作所で、110億円を投資し、新衛星生産棟の運用を開始した。この投資は、情報収集衛星の継続的な受注があってこそだろう。
同時に、情報収集衛星は、日本の地球観測技術の下支えともなった。日本は2008年に、宇宙基本法を制定し、それまでの文部科学省主体の宇宙行政を内閣府に移した。新体制は「宇宙の利用」を表看板に掲げ、他方で「自己目的化した技術開発はしない」として新たな技術開発を抑制した。しかし、情報収集衛星だけは技術開発抑制の方針を逃れた。光学衛星高分解能化のための技術試験衛星を2機も打ち上げて、技術開発を続けた。
ロケットもまた、情報収集衛星の恩恵を被った。2001年から運用を開始した日本の主力ロケット「H-IIA」は、2022年末までに45機を打ち上げた。このうち15機が、情報収集衛星及び情報収集衛星が使用するデータ中継衛星の打ち上げなのである。2023年1月25日には、H-IIA46号機による情報収集衛星打ち上げが予定されているので、これが成 功するとH-IIA46機のうち16機が情報収集衛星関連の打ち上げということになる。
情報収集衛星がなければ、H-IIAの打ち上げは2/3になっていたわけで、ここでも情報収集衛星の官需が三菱重工業のロケット事業を下支えしたという構図を見ることができる。
国家予算という面では、情報収集衛星の予算は、年300億円規模から800億円規模に増加した。確かにJAXAの研究開発予算は減ったが、政府が宇宙分野に支出する予算は情報収集衛星があったおかげで増えた。それは官需を受注する民間企業を潤し、それら企業が保有する技術の維持・発展に役立った。
観測で得た莫大な量のデータを生かせ
技術面から見ていくと、情報収集衛星は地球観測衛星コンステレーションの一種である。内閣府は衛星軌道の詳細を秘匿しているが、使用している軌道は地球観測衛星が一般的に使用している太陽同期準回帰軌道だ。地球を南北に回る軌道で、かつ衛星直下の地方時が一定という軌道である。情報収集衛星は、直下地方時が午前10時30分と午後1時30分という、午後0時を挟んで前後1時間30分の2つの軌道を使用している。このことは非公表なのだが、隠すことができない衛星の打ち上げ時刻で分かるのだ。午前10時30分の軌道に入れるには、ほぼ同時刻で打ち上げる必要がある。午後1時30分の軌道でも同様である。
2003年から打ち上げ始めた最初の衛星の分解能は公称で、光学衛星が1m、レーダー衛星が1〜3mだった。2009年から打ち上げを始めた第2世代衛星は光学衛星が60cm、レーダー衛星が1m。2015年から打ち上げ始めた第3世代衛星は、光学41cm以上、レーダー50cm級。2020年11月に打ち上げた最新の光学衛星「光学衛星7号機」は分解能30cm以上。さらに2023年度に打ち上げ予定の「光学衛星8号機」は分解能25cm以上と報道されている。
ところで、これだけ高分解能の地球観測衛星が現状で8機も常時稼働していると、何が起きるか——莫大な量の観測データが発生する。
もちろん衛星による観測を必要に応じて止めて、データの取得量を減らすことはできる。あるいは、増えすぎたデータを選別して不要な分を消去することもできる。が、それは軌道上インフラとしての衛星コンステレーションの価値を毀損する行為だ。
前々回、近い将来に人類社会は毎日ペタバイト規模の地球観測データを蓄積するようになると書いた。そして前回示したように、安全保障目的で取得した偵察衛星の観測データは、今や過去の地球観測データとして貴重な存在になっている。
安全保障目的であろうがなかろうが、地球観測衛星を保有する以上は、いかなる時も観測は続けるべきなのだ。そして観測で得たデータが何にどう役立つかは、今すぐの判断だけではなく、未来に任せるという態度が必要になる。つまりその全てを徹底して保存し続けなくてはいけない。
高分解能地球観測衛星を8機も擁するようになった情報収集衛星システムは、今や日本にとって未来の情報環境に向けての試金石となる可能性を持っているのである。
参照リンク
・内閣衛星情報センター:https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/csice.html
・特定秘密の保護に関する法律:https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=425AC0000000108_20220617_504AC0000000068
・ 情報収集衛星予算の推移:https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/jimu/pdf/r04_suii.pdf
・宇宙開発事業団法に対する国会の附帯決議:https://www.jaxa.jp/library/space_law/chapter_1/1-1-1-5_j.html
・情報収集衛星の軌道(Heavens Above 「名前」に”IGS*”と入力して検索):https://www.heavens-above.com/Satellites.aspx?lat=0&lng=0&loc=Unspecified&alt=0&tz=UCT