田原総一朗

田原総一朗

矛盾があるから、うまくいく。高坂正堯さんに教わった「現実路線」の考え方

衝撃的なニュースが飛び交った2022年をジャーナリストの田原総一朗氏が総括。今後、日本がどのような舵取りをしていくべきか、戦後社会を振り返りながら考えていく。

Updated by Soichiro Tahara on January, 17, 2023, 5:00 am JST

「失われた30年」はさらに続く

2022年は、2月24日にロシアのウクライナ侵攻という国際秩序を根底から揺るがす事件に始まった。戦争は今も続いている。核兵器の使用が仄めかされ原発施設への攻撃も起こり、人類破滅の道が具体的に示された。新型コロナウイルスという感染症はすでに3年を経ても収まるという実感からはほど遠い。気候変動は毎年激化し、この夏も猛烈な暑さと長期にわたる大量の降水によって、世界の至るところで甚大な被害をもたらした。食糧危機は各地に飢餓を引き起こし、紛争地域に解決の糸口はなく難民も急増している。もうすぐ訪れる冬にはエネルギー危機、電力不足が現実の問題として到来する。

日本を取り巻く安全保障環境も激変した。中国が台湾海峡に軍事的に介入する可能性があることが常態となり、北朝鮮のミサイル精度も格段に向上した。日米同盟による防衛は本当に機能するのか、疑念も生じてきている。

日本経済も危機的な状況なのではないか。世界的な物価高、インフレに対処する策は見つからず「失われた30年」はさらに続き、賃金も上がらず格差も拡がる。貧困が他人事ではない、自分自身の問題となった。そして、政治の国民への対応は変わらず遅い。

京浜工業地帯
京浜工業地帯のプラント。闇夜に聳え立つ。

日本は大丈夫なのか。戦後は平和で安全な豊かな国を築いてきたというのは幻想で、あの敗戦で経験した国家の破綻は、すでに起こっているのではないか。ほとんどの国民が戦後世代となり、戦争を直接知り、語れる世代はいなくなりつつある。

2023年、日本の舵取りはますます困難に直面するだろう。台湾海峡と北朝鮮をめぐる東アジアの緊張は、今年の比ではなく高まるのではないか。私たちがこの国を守るためには憲法を改正し、「自立」の道を歩むしか道はないのだろうか。

矛盾があるから、うまくいく

だからなのか。今も思い返す考えを示してくれた人物がいる。国際政治学者の高坂正堯(こうさか まさたか)である。高坂さんは僕と同い歳で1934年の生まれ。戦争を知る世代だ。彼は京都大学気鋭の学者として『宰相 吉田茂』(中公叢書 1968年)を著し、颯爽と論壇に登場した。当時の吉田さんはワンマン体質で、野党の言うこともマスコミの言うことも聞かない。その政治姿勢はつねに批判の対象だった。そうした中で高坂さんは、吉田政治を認める本を書いた。僕もこの本を読んだ。しかし学術的論考でもあり、これで吉田茂がわかったとは正直言えなかった。ようやく1980年代になって、「サンデープロジェクト」を始める前、高坂さんに東京でお会いした。このときの高坂さんの話で、僕は政治学者としての高坂さんを心から信頼するようになった。高坂さんは「吉田茂さんは、日本はアメリカに負けた国として、その負けっぷりを良くする人だ」と言った。戦後、日本は専守防衛の国家となった。専守防衛は自衛のためには戦ってもいいという考えだ。当時、共産党は自衛のために「ちゃんとした戦力を持つべきだ」と主張していた。対して吉田さんは「自衛のためにはあんまりちゃんと戦わない方がいい」と言った。自衛と言いながら下手をすると過剰防衛、また侵略戦争になる。とにかく日本を戦争しない国にする、のだと。その視点には驚かされた。

さらに高坂さんは「なんと言ってもあの憲法はしびれたね。日本人ではとてもあんな憲法は作れなかった。マッカーサーだからできたんだ」と言っていた。基本的人権、言論表現の自由、男女同権、等々。アメリカの対日戦略はその時々でまったく変わる。日本国憲法のときは、日本を強い国にしたくないから軍隊を作らせない。ところが朝鮮戦争が始まったら、アメリカにとって都合よく働かせられるよう軍隊を作りたい。それで警察予備隊と自衛隊を作った。憲法と自衛隊を日本に押し付けたのはアメリカだ。憲法と自衛隊は最初から大矛盾している。しかし、高坂さんが素晴らしいのは「憲法を守るべきだという人がいる。自衛隊が必要だという人もいる。両方とも一生懸命で、その両者の均衡が取れているから日本は絶対に戦争をしない。だから憲法改正をしなくていい」という考え方を持っていたことだ。これは一般的な護憲論ではない。大矛盾していることを認めながら、両方が頑張っている限り日本は戦争しないからいいんだと。彼のこういう現実論が非常に面白かった。

また、国際政治を考える上で大事な3条件をあげた。まず勝つか負けるか。1番目は損か得か。そして3番目が合理性で正しいか、間違っているかを判断すること。学者の中には、正しいか間違っているかが一番大事だという人がいる。ただこれは観念論だ。負けてもいい、損してもいい、正しければいいではないかというのは現実的には通用しない。この3つの条件を理路整然と話してくれたのは高坂さんだった。

高坂さんは1996年に亡くなられた。もう25年以上経つが、今こそ高坂さんが日本の自立をどう考えるか、ぜひ聞いてみたくなる。余人をもって代え難い存在だった。

左翼だらけの「朝生」に、西部邁が出ていた理由

高坂さんには「サンデープロジェクト」によく出演してもらった。この番組には石原慎太郎さんはじめ、多くの政治家にも出てもらい、真剣勝負の議論を交わした。そうしたことが出来たのも、やはり「朝まで生テレビ!」で培った、右も左も自民党も共産党も出てくる徹底討論の現場がすでにあったことがとても大きい。だから忘れられないのが西部邁の存在である。僕は彼には大きな借りがある。「朝生」の開始当初、論客は全員左翼と言っていい時期があった。それで僕は西部さんに「いじめ役」で出てくれと頼んだ。彼は本当にその役割を喜んでやってくれた。西部さんは六〇年安保の東大のリーダーだった。それで捕まって7カ月間拘留された。だから左翼も西部邁のことを認めている。

千曲川源流部
千曲川源流部にかかる木造の橋。今では見られなくなった。1900年代撮影。

西部さんから直接聞いた話がある。闘争が終わった時、西部さんは「大失敗した」と思ったという。当時読んでいたのは、佐藤栄作の安保論で岸信介の安保論は読んでいなかった。岸の安保論はとてもしっかりしていて、佐藤のものとは全然違うと。東條内閣の時に岸は大臣になった。そしてサイパンが陥落したとき、岸は命懸けで内閣に降伏を迫った。命懸けでやった岸を西部は評価した。だから西部邁の保守は筋金入り、己の思想信条すべてを賭けて論じている。けっしてブレなかった。
僕は「朝生」に西部さんがいてくれたことで、どんな議論になっても大丈夫だという確信を持てた。西部さんも余人をもって代え難い存在であった。

高齢者も戦争を知らない

昨年、日本は戦後77年を迎えた。明治維新によって近代への扉を開け、あの敗戦に至るまでも77年。ちょうど折り返し点に立った。戦後はこのまま続いていくのか、それで何の問題もないのか。僕は小学校五年の時、敗戦を迎えた。その時の光景は目に焼き付き、忘れることはない。だから今の日本がとても心配になる。若い人たち、いや70代の高齢者であっても、日本の戦争は知らない。広島、長崎の被爆者の思いも間接的に伝えられていく時代である。

僕は政治学者で歴史家である御厨貴さんと、どうしても今の日本について語りたくなった。御厨さんとはこれまで何度も議論を交わしてきた。僕の番組にも出てもらったし、対談も何度もした。意見は一致することも全く異にすることもあった。しかし、その知見、歴史観に対する信頼はずっと変わらない。だから僕は戦後最大級の危機を迎えていると思っている今、集中的に話したかった。

日本という国家のあり方、それは明治と戦後という、それぞれの時代環境の中でどのように構築され、その目的は達せられたのか、安全保障はいつの時代においても最優先の課題であるが、その対処は適切であったのか、政治家、国民は一時の感情に流され判断を誤ったのか、聞きたいことは無数にあった。それを次々にぶつけてみた。

昨年の5月と7月、2人で徹底的に議論した。その最中の7月8日、衝撃的な事件が起こる。安倍元首相が暗殺された。戦後はもうないと思い込んでいたテロリズム。事件の4日後、2人でこの問題を、その後の政治についてまた語った。今考えるとそれはとても貴重な機会だった。その対談は、『日本という国家』(河出書房新社)として出版した。

2023年、戦後は明治維新から敗戦までの年月を越える。戦争のない戦後は本当に続けられるのか。とても不安に思う。だからこそ、これからも言論の自由と平和を守りたい。