今井明子(以下、今井):今回は冬山登山のお話を伺いたいと思います。逗子開成高校八方尾根遭難事故はどのようなものだったのかを教えていただけますか。
大矢康裕(以下、大矢):1980年12月~1981年3月というのは実は豪雪の年で、昭和56年(1981年)に発生した豪雪ということで、「五六豪雪」と呼ばれています。その五六豪雪の始めのほうで起きたのが逗子開成高校八方尾根遭難事故です。この事故では神奈川県にある逗子開成高校という私立高校の先生1人と山岳部の生徒5名のパーティーで、北アルプスの八方尾根に入って行方不明になり、全員が死亡しました。捜索活動も難航して、発見されたのは翌年の5月でした。
今井:そんなに時間がかかったとは! 雪が融けてから見つかったのでしょうか。
大矢:いえ、発見されたタイミングでは まだ融けていませんでした。しかし、発見された場所が最終的に滞在したテントのあった地点からかなり離れていたので、八方尾根の周囲の非常に広い範囲を調べてようやく見つかったんです。
今回の登山では、山岳部のメンバーは、まず1980年の12月25日に、北アルプスの後立山連峰のひとつである唐松岳に登るために電車で白馬駅に向かって出発しました。そして翌日の26日に白馬駅を下車し、八方尾根を登り始めました。この八方尾根は、下のほうはスキー場で、のちに1998年の長野オリンピックのスキージャンプやアルペンスキーの会場にもなりました。ですから、麓からはロープウェイとリフトを使って八方池山荘という通年営業の山荘まで登れます。そして、そこから歩いて第二ケルンというところまで行き、テントを張りました。
この翌日の27日が遭難した日です。27日は既に午前9時の時点で天気が荒れ始めていたのですが、なぜかパーティーがテントを出発したのは11時頃でした。第二ケルンから唐松岳方面に向かって本気で登ろうと考えるとこんな遅い時間 ではなく、明るくなり始めた朝の7時ぐらいには出発しないと間に合いません。
なぜこんな遅い時間に出発したのかは、パーティーの皆さんが亡くなっているので真相はわかりません。ただ、もう雪で頂上まで登れないことはわかったので、先生としては途中まで行って引き返し、生徒に「冬山ってこんなものなんだよ」ということを体験してもらおうと思って出発したのかもしれません。しかし、案の定時間切れになってしまったので、途中の第三ケルンというところにまで来て引き返そうとしたのだと思います。
この第三ケルンにはほかの登山客もいたので目撃者がいたのですが、ここに来たあたりから天気が急に悪化して吹雪になり、いわゆるホワイトアウトと呼ばれる状態になりました。こうなると、周囲が真っ白になって、前後左右だけではなく上下もわからない状態になってしまうんですね。この遭難事故について取材をし、『リーダーは何をしていたか』(朝日文庫)という本にまとめた本多勝一さんは、ホワイトアウトのことを「白い闇夜」と呼んでいます。この状態になってしまってもテントに戻れることはあるのですが、実はこの八方尾根の第二ケルン付近は尾根筋が広くて、どこを歩いているのかがわからない状態になりやすいんです。それで方向を間違えて、北のガラガラ沢のほうに迷い込んでしまったようなのです。
このときはすでに新雪が1mほど積もっていたので、沢に降りてしまうと登り 返すのが困難な状態になってしまいました。この状態で急斜面を登り返すことは、山に相当慣れた人でも無理です。それで下のほうに降りて、林道まで出ようと考えたのだと思われます。
それで、麓では翌日の28日になっても下りてこないということで遭難対策本部が設置されました。29日は天気が悪かったため、30日にようやく自衛隊のヘリコプターが第二ケルンに行き、パーティーのテントが残っているのを確認します。しかし、中には誰もいません。こうして、翌日に新聞の一面に「逗子開成高6名帰らず」という見出しが掲載されました。しかし、皆がどこに行ったのかがわからないので、広い範囲を探しまわり、数か月後にようやく北側の沢を降りきった川で6名の遺体が見つかったのです。
今井:地図で見ると、目的地から大きく外れて、こんな離れた場所で見つかったのか…という恐ろしさがこみ上げてきます。
大矢:実は、このパーティーがもともと持って行った装備は全く問題ありませんでした。冬山登山に適した服装でしたし、ワカン(輪かんじき)という靴に取りつけると雪に埋もれずに歩くことができるものや、ツェルトという簡易テントや方位磁石、ヘッドランプ、非常食なども持ってきていたんですね。それなのに27日にこの第二ケルンを出発したとき、なぜかはわかりませんが、これらの装備をテントに置いて行ったんですよ。おそらく「第三ケルン付近で引き返してすぐ戻るから、必要最小限の持ち物でいいや」という感覚だったのかもしれません。
また、このパーティーを引率していた先生は、あまり登山経験のない方だったようです。そもそも山岳部 は高校では少なくて、山に登ったことがあり、なおかつ冬山経験者という人は非常に限られています。そういった事情を考えるとある程度やむを得ないことではあるのですが、それだったらなおのこと、こんな厳しい状況で登ってはいけない山だったんですね。
今井:なるほど…。では、この遭難事故が発生した当時の気象データを見てわかったことを教えていただけますか?
大矢:まずは当時の五六豪雪について、気象庁のホームページにある情報から説明します。1980年12月というのは中旬に強い冬型気圧配置になっていて、遭難事故が起きる1週間ほど前の24日には北海道や東北のほうで大雪になっていました。その後30日にかけての、まさにこの事故が起きた時期もやはり強い冬型気圧配置が続いて、今度は北陸地方を中心に大雪になりました。高山や福井では積もった雪が1mを超えて、山間部では3mを超えたという記録が残っています。
上の図の降雪量の合計を見てもわかりますが、降った雪が5mを超えていますよね。これだけ降ったのは恐ろしいことだと思います。次に、デジタル台風ホームページにある気象庁によるこの日の天気図も見てみましょう。
これは遭難事故が起きた27日の朝の9時の天気図、すなわちこれはパーティーがテントから出発する前のタイミングのものですが、日本海と太平洋側に低気圧がそれぞれあります。典型的な二つ玉低気圧と呼ばれるものです。
9時の時点で既に低気圧がこのあたりまで来ており、八方尾根の付近では等圧線の間隔が狭くなりつつあるという状況だったので、9時からあとは天気が悪くなる一方、すなわちテントを出発した時点から、既に悪天が始まっていたということになります。この時期の過去の観測データもあります。下の図は「白馬」という観測地点、すなわち麓にある白馬村で観測されたデータです。
このデータを見ると、26日の午前0時ぐらいは積雪量が50cm強だったのが、29日の0時に187cmまで積もりました。ものすごい量ですよね。そして、27日の0時から朝8時ぐらいまではあまり降っていません。このあたりが、二つ玉低気圧に挟まれた「疑似好天」と呼ばれる、一瞬天気が回復するかのように見えるタイミングで、それを過ぎるとまた降り始めます。そして一番降ったのが12/28の12時頃です。この時間帯は1時間に5cmというかなりの降雪です。さらに黄色い線の積雪深も、28日の0時から29日の0時にかけて約110cmから約190cmまで増えており、24時間で80cmも積もったということになります。白馬村では、今では12時間で30cm以上積もる見込みの予報が出た時点で大雪警報が出ますので、今なら文句なしに大雪警報が出ているという雪の降り方です。
今井:麓でこれだけ積もっているのだから、山の上ではさぞかし…ですよね。
大矢:そうですね。ただ、冬型気圧配置だと風が強いこともあり、山の稜線では雪は風で吹き飛ばされるのでここまでは積もりません。問題は、パーティーが間違って入った沢です。沢というのは、稜線で風がさえぎられて風が弱いですし、稜線から飛んできた雪も積もってしまうんです。だから、迷い込んだら脱出できません。上に登り返すことができなくて、下へ行かざるを得ない。
今井:ワカンを持っていなければ足が埋まるから、平地で一歩踏み出すだけでも大変ですよね。上に登り返すなんてまず無理ですよね。
大矢:本当にその通りです。では、いよいよJRA-55の解析に入ります。28日の9時、これはもう行方不明になってしまったあとですが、このときの雪の状況を見てみましょう。
低気圧が日本海北部にあって、天気図上には表示されていませんが、大陸左上のあたりに高気圧があり、西高東低の冬型気圧配置になっています。そして、雪雲が朝鮮半島の根元あたりから北陸に向かって流れ込んでいます(図の紫色や青色のところ)。これがJPCZ(日本海寒気団収束帯)による降水域です。JPCZというのは、朝鮮半島の付け根あたりにある長白山脈に大陸からの北西季節風がぶつかって南北に分かれ、山を回り込んで再度合流することでできます。風がぶつかり合うと、地面には潜れないので強制的に上昇します。すると空気が冷えて中の水蒸気が凝結して雲になります。ですから、JPCZの付近にはたくさんの雪雲ができます。これが北陸地方に流れ込んで、さらに唐松岳や八方尾根付近にも流れ込んだということがこの解析からわかります。
また等圧線を見ると、横に寝ているので麓のほうにも良く降る「里雪型」の気圧配置です。里雪型のときはこのようなJPCZができることが多いです。それで、このときの、八方尾根の第三ケルン付近の気象の状況はどうだったかを見るため、800hPaの天気図も解析しました。それがこちらです。
28日の同じく午前9時の800hPa天気図でも同じ位置に低気圧があります。等圧線は地上天気図よりも少し横向きになっています。14m/sの西北西の風が唐松岳付近に向かって吹いていて、気温は大体-12℃ぐらいになっています。風速1mあたり体感温度が1℃下がるので、このときの体感温度は-26℃となります。
今井:かなり寒いですよね…。
大矢:はい。ただ、冬山としてはそれほど厳しいとはいえません。3,000m級の山ではもっと気温が低いですから。逗子開成高校のパーティーの服装の装備はきちんとしていたので、動いているとさほど寒くはなかったはずです。それよりはやはり雪がたくさん降って、周りが見えなかったことのほうが問題ですね。それで、1時間降水量と積算降水量も解析してみました。この図では日付のところが各日にちの9時になります。
これには私は目を疑いました。この積算降水量は1mmが降雪量1cmに相当するので、mmをそのままcmに読み替えると、28日の夜から29日の未明あたりまでは降雪量が積算で450cmとなります。あくまでこの数字は降雪量であり、降っ た雪は積もると下のほうの雪はおしつぶされるため、降った雪がそのまま積雪の深さになるわけではないのですが、それでも多いです。気象庁のホームページにはこのとき山間部では3mを超えたという記載があったのですが、やっぱりホームページの記録と同程度は積もったのではないかと思います。
今井:地上が190cmですけど、山の上は3~4mということですもんね。
大矢:そういうことですね。しかも沢は雪の吹きだまりになるので、もっと積もっていた可能性もあります。しかし、29日以降は雪が少なくなって麓のデータでは時々太陽の光が差しているという状態でした。ですので、動かなければ多分助かった。30日に自衛隊のヘリがテントを発見していますが、天気が良くなるまでテントで待機していればおそらく助かったんですよ。「せっかくだから第三ケルンくらいまでは行ってしまおう」というのが命取りになってしまったのです。こういうときは、赤布と1mほどの竹竿を何本か持って行って、竹竿の先端に赤布をくくりつけて、歩きながら雪に刺していき、目印を作ると、今まで通ってきた道がわかって迷いにくくなります。
今井:ヘンゼルとグレーテルの光る小石みたいなアレですね。
大矢:そうです。そして戻ってくるときにちゃんと竿を回収するんです。これは私も使ったことがありますが、本当に役に立ちます。
今井:赤い布ならホワイトアウトしても目立ちますもんね。
大矢:はい。これも経験があったら「これ持っていかなきゃいけないかもな、冬山だしな」と思ったのかもしれないのですが、おそらく先生の経験がないのでこういうものが使 えるという知識がなかったかもしれません。また、出発したときには靴にワカンではなくてなぜかアイゼンをつけていたようです。アイゼンというのは靴の裏につけられる滑り止めで、鋭い爪が生えています。これをつけると雪道ですべりにくくなります。アイゼンは凍った道や雪で踏み固められた道では役に立つのですが、ふわふわの雪が積もった道では役に立たないので、ワカンを持っていくべきだったんです。そういったところからも、冬山に対する知識が足りなかったことがうかがえます。
今井:えー! 私も中学校のときに学校行事で雪が降る中、大阪の金剛山に登りましたが、アイゼンだけしかつけていませんでしたね…。今考えれば危なかったですね!
大矢:冬山に登るときは両方持っていくんですよ。固い雪の上に新雪が積もったときは歩くとズボッとはまるけれど下の雪でずるっと滑るので、両方使います。場合に応じて何を使うかを判断しないといけないんです。
今井:本当にちょっとした知識不足、判断不足が、こんな命取りになってしまうなんて恐ろしいです。
大矢:でも、雪山には魅力もあるんですよ。雪で道が消えるので、自分で道を切り開く必要があります。それが本当に雪山が好きな人にとっては面白い。でも、それができない人にとってはものすごく怖いです。今回の八方尾根のように、広い場所というのは非常に迷いやすいんですよ。八甲田雪中行軍遭難事件でも、広い場所でどこを歩いてるかがわからなくなってしまい、まっすぐ歩いているつもりがいつの間にかぐるぐる同じ場所を回ってしまっていました。これをリングワンダリングといいます。
今井:夏なら広い尾根は足を踏み外しにくそうだから、なんだか安心感がありそうなものですが…。冬はそういう危なさもあるということなんですね。
大矢:いやいや、夏でも広い尾根は油断できないですよ。強い風が吹いているときに、体を隠すところがなくて、低体温症になりやすいんですよ。これが実際起きたのが2009年7月のトラウムシ山遭難事故です。
さて、日本海側は12月と1月で雪の降り方が違います。これも今回のような事故を避けるヒントになります。気象庁ホームページの白馬観測データをもとに、1日に積もった雪のベストテンを作成しました。
これを見てみると、ベストテンのうち12月が6回ランクインしていて、11月も1回入っています。ですから、1月や2月よりも実は12月のほうが1日に降る雪の量が多い傾向にあることがわかります。
これはなぜかというと、12月はまだ日本海が温かいので、日本海から大量の水蒸気が蒸発して雪雲になります。北陸地方の沿岸部と内陸部を比べると、沿岸部では12月は日 本海が温かいので雪ではなくて、雨になることが多いのですが、内陸部に行くと12月ではもう雨ではなくて雪になるので、12月のほうが1日に降る雪が多くなるんです。同じように白馬も長野県ではあるものの、日本海側に近い内陸部なので、北陸の内陸部と同じようなことが起きると思います。
ただ月の合計で見ると、積雪量が一番多いのは1月です。ということは、12月はドカ雪が確かに多いけれど、合計で見ると1月に比べて少ないので、そんなに長く続くことはない傾向にあるといえます。実際今回も12月29日の後半から天気が回復していますので、待機していれば、おそらく助かったことがここからもわかります。
今井:これは止むぞと判断することが必要だったんですね。
大矢:そうですね。雪がやまないのならその場所に停滞して救助を待つという選択肢が取れるので、動かない方がいいですね。下手に動いて体力を消耗して低体温症で亡くなる事故がこれまでに何度も起こっていますから。
今井:でも、冬にあんなに雪が降り積もっているようなところで簡易テントを張って動かないと、ものすごく寒そうですよね。それで体力が落ちていくということもあるんじゃないですか?
大矢:寒いときに縮こまっていても、そこまで体力は消耗しないんですよ。動かないで体力を温存して無駄なエネルギーを消耗しないようにしたほうが、生き残る確率は高いです。
今井:動くと体が温まるから何とかなりそうな感じがしますけど、そういうわけでもないんですね。でも、同じ状況に陥ったらじっとして凍える恐怖で動いてしまいそう…。
大矢:そうですね 。冬山は1人ではなくて何人かで行動することが普通なので、簡易テントなどを張った中で皆で体を寄せ合って、たとえば歌を歌ったり少しだけ動いたりして過ごすんですよ。それで助かった事例は何例もあります。大切なのはひとつのテントで固まって体を寄せ合うことですね。
今井:皇帝ペンギンが密集して南極のブリザードをやりすごすような感じですね。
大矢:あれはいいです。1人1人離れ離れになるよりも体を寄せ合って、お互いの体温で、熱が逃げないようにする。
今井:人と人の隙間に入っている空気が体温で温まって、ちょっとダウンコートみたいな感じになるんでしょうね。
大矢:そうですね。とにかく、今回の遭難事故の教訓は、12月の雪はわりとすぐに止むので、とにかく危ないと思ったら動かないということですね。今では気象庁ホームページから週間天気予報や短期予報資料が手に入りますので、そういうものを見て、山に入る前にこれから1週間はどういう天気になりそうなのかというシナリオを頭に描き、天気が悪くなりそうだったら計画を見直して、もし行くのなら、天気が悪くなったときにどこでどう判断して、どこで撤退を判断するのかをあらかじめ考えてほしいんです。現地で行き当たりばったりで判断すると、追い詰められた状態なので大抵判断を誤ります。ですから、あらかじめ決めておくというのがものすごく大事です。
今井:週間天気予報というのは日ごとに結構コロコロ変わってきて、「あれ? 雪の降りだす時間帯が〇時から〇時にずれそうだぞ」という状態になることがしょっちゅうなですよね。そこはこまめにチェックし ながら、その都度計画を変えたることが必要で、そのためにもいくつかシナリオを用意しておくことが大切なんですね。
大矢:雪の降る時間帯がいつになるかが変わってくれば、それに伴ってとるべき行動も変わりますからね。ただ、JPCZの予想は非常に難しくて、しかも場所が動くんです。西へ行ったり東に行ったり、強くなったり弱くなったりします。ですから、予報はしっかり見つつ、あとは現地の雪の降り方を見て、その都度どのシナリオを採用するかを判断するしかないですね。
今井:もしかして逗子開成高校のパーティーが当時11時に出発したのは、朝起きて、「雪が結構降ってるけどどうしようかな」と、外を見ながら迷って、そうこうしているうちにはもう11時になっちゃったという感じだったのかもしれませんね。
大矢:おそらくそうだと思いますね。現地で何時間もかけて悩むのではなくて、事前に用意をしておけば、現地でもすぐ判断できたかもしれない。今だったら、気象データを見ればおそらく雪が27日にひどくなるとわかるはずなので、26日の第二ケルンでテントを張ったその日のうちに第三ケルンまで少し歩き、その後撤退するという判断をすれば何も起きなかったと思います。
今井:でも、せっかく来たんだから、ちょっときつさを体感して充実した実感を味わいたいという気持ちはありますよね。つまらないかもしれないけれど、ここでやめるというその勇気が必要ですよね。
大矢:その判断が難しいのはツアー登山なんですよ。ガイドさんが「これはやめた方がいい」と思ってもお客さんが「つまらないじゃないか。もっと行けたんじゃない の」と言って納得してくれないものですからね。それで実際に行ってしまったのがトラウムシ山遭難事故なんです。
今井:旅行会社はお客さんを楽しませることを仕事にしているので、安全なうちに撤退すると、実は命拾いしていたかもしれないのに、お客さんから「せっかくお金を払ったのにつまらない」とクレームが入るでしょうし、迷うところですね。でも、個人のパーティーなら無理せずが一番ですね。肝に銘じます。今回もどうもありがとうございました。
大矢康裕
気象予報士No.6329、株式会社デンソーで山岳部、日本気象予報士会東海支部に所属して山岳防災活動を実施している。
日本気象予報士会CPD認定第1号。1988年と2008年の二度にわたりキリマンジャロに登頂。キリマンジャロ頂上付近の氷河縮小を目の当たりにして、長期予報や気候変動にも関心を持つに至る。
2021年9月までの2年間、岐阜大学大学院工学研究科の研究生。その後も岐阜大学の吉野純教授と共同で、台風や山岳気象の研究も行っている。
2017年には日本気象予報士会の石井賞、2021年には木村賞を受賞。
著書に『山岳気象遭難の真実 過去と未来を繋いで遭難事故をなくす』(山と溪谷社 2021年)
⇒Twitter 大矢康裕@山岳防災気象予報士
⇒ペンギンおやじのお天気ブログ
⇒岐阜大学工学部自然エネルギー研究室