自分の商品がすぐれていると思うからこそ、商人は市場に参入する
15世紀のドイツで、グーテンベルクが活版印刷術を改良して、文字はかぎられた人だけが読むものではなく、徐々にではあるが一般の人々が読むものに変わっていった。歴史家はこれを「グーテンベルク革命」と呼ぶ。この革命により知識は少数の人が 独占するものではなくなっていった。文字という情報は独占された財ではなく、一般の人々が有する財へと転換した。
活版印刷術の発展は、宗教改革をもたらしただけではなかった。より世俗的な面にも大きな影響をおよぼした。商業の世界に与えた影響もきわめて大きかったのだ。
商人は自らが所有する商品に関する情報が他の人々よりもすぐれていると判断するからこそ、市場に参入する。重要なのは商人がそのように主観的に考えるということである。もちろん、商人の判断それ自体が正しいとはかぎらない。いつも正しいとすれば、破産する商人など存在しない。
経済成長のためには市場の成長が欠かせない。もし、市場で商業活動を営むための情報が不足していたとすれば、市場の存在そのものが危うくなる。専門家が情報を独占していたならば、市場に参入する人はいなくなり、経済活動そのものが崩壊してしまう。したがって市場の発展による経済成長のためには、情報の非対称性の少ない社会の誕生が必要とされる。
情報が富をもたらしたのは現代だけではない
近世のヨーロッパでは、比較的同質性の高い商業情報が多くの人々に共有される社会が形成され、そのために経済成長が促進された。商人が比較的容易に市場に参入できる社会が形成されていったのである。もっと簡単にいえば、誰もが安価に商業情報を入手して、企業活動をおこなえる社会となったのである。
また商業情報そのものに、大きな価値があったことはいうまでもない。なかなか正確な情報を入手できない近世社会において、商人に正確な情報を提供する手段が現れてきた。グーテンベルクによって改良された活版印刷術がそれである。活版印刷の導入以前には手紙でしか知られなかった商業情報が、広く社会に伝わるようになった。誰でも必要な商業情報が安価に入手できるようになった。そのため、市場への参入が容易な社会が生まれたのである。
この時代のヨーロッパ史の特徴として、ヨーロッパ外世界への拡大があった。ヨーロッパ各国が、そしてさまざまな地域の商人が、ヨーロッパ外世界へと出かけていった。ヨーロッパ外世界の商業情報は、商人によってヨーロッパにもたらされただけではなく、ヨーロッパ商業の情報が商人の力でヨーロッパ外世界へともたらされた。
ヨーロッパ商人は、ヨーロッパ内部においても、ヨーロッパ外世界においても、宗教や宗派の異なる商人間での取引をしなければならなかった。ヨーロッパにおいては宗教改革の影響により、西欧は大きくみればカトリック圏とプロテスタント圏に分かれ、プロテスタント圏はさらに細かな分派に分かれた。ヨーロッパ外世界では、ムスリム、ヒンドゥー教徒、仏教徒らの商人と取引する必要があった。宗派や宗教が異なる人々が取引するのを容易にしたものの一つに、グーテンベルクによる活版印刷によって可能に なった、商売の手引の出版があった。
情報が同質化することで取引がしやすい社会が誕生する
イタリア史の研究者である森新太によれば、商売の手引は、ヨーロッパ商業が、12世紀頃に「遍歴型」から「定着型」へと変化するときに作成された。
定着型の商業においては、商人たちは本拠地となる都市に定住し、各地に派遣した代理人や支店と郵便網を介した連絡や情報の収集を通じて活動に従事するようになった。彼らの活動範囲は広範囲化し、多角化した。そのため各市場の情報や商品に関する知識、商業技術という点で精通すべき内容は非常に膨大かつ多岐にわたるものとなった。
このような商人たちは、遠隔地との書簡の交換や情報の記録といった必要性から読み書き能力を重要視し、また習得していくようになる。彼らはそうして身につけた読み書き能力を用い、日々変動する経済状況に応じて更新される情報や活動の記録を書き残すようになった。このような情報をまとめたのが、いわば商売の手引なのである。
商売の手引には、商業情報と、計算方法という商人の生活に必要な事柄と、商人として必要な教養が書かれている。おそらくこのようなタイプからはじまり、多様な形態の商売の手引が書かれたものと推測される。しかしその中核になったのは、商人として活動するために必要な情報であっただろう。
国際貿易商人の活動が活発になり、取引量が増え、取引のためのスピードが上がれば情報は増え、情報の流通速度は上昇する。それどころか、同じような商業技術をもつ商人が活動するなら、情報が同質化していく。そのため、より取引がしやすい社会が誕生することになる。グーテンベルク革命は、それにも寄与したといえるのである。
実践に即した手引書がベストセラーに。近世でもビジネス書は売れた
商売の手引の頂点となったのは、フランス人のジャック・サヴァリの手になる『完全なる商人』であった。同書は、内容の豊かさからいっても流布した範囲や影響力の大きさにおいても、他の商売の手引とは比較できないほど重要であった。1675年から1800年に至るまで回の版を重ねた。この書物は各地でさまざまな言語の複製版がつくられた。たとえば、1757年に出版されたイギリス人マラキ・ポスルウェイトの『一般商業事典』は、『完全なる商人』の翻訳だとされる。
もとより著作権なる概念がなかった時代なので、正確な翻訳が作成されたわけではなく、各地の事情を考慮した改訂が施されていることが多い。したがってむしろ、翻案といった方が正確な表現となろう。またこのような大部な書物は必ずしも実用的でなく、より小型の書物が作成されることになった。
『完全なる商人』では、イタリアでは見られた人文主義的な商人教育観はすっかり影を潜め、実践に即した教育が中心になっている。サヴァリによってイタリアからフランスへと商売の手引の伝統が移しかえられたことで、商売の手引は大きく発展することになった。
ヨーロッパの商人たちは、似た環境で育てられ、同じような形式の商業形態をもつようになった。そのため 、取引コストは大幅に低下した。
誰でも同じように商売ができるようになることが、経済を発展させる
商売の手引は商業拠点の移動とともに、16世紀になるとアルプスを越え、アントウェルペン、アムステルダム、ロンドンなどでも作成されるようになった。しかも、中世においては手書きであり、商人の覚書の域をあまり出ていなかったのが、グーテンベルク革命によって活版印刷がおこなわれるようになると、多くの商人がその手引を利用するようになった。そのためヨーロッパでは、商人・商業慣行の同質性が増加した。すなわち、同様の商業慣行をもつ商人が多数誕生したのである。
商売の手引は商業活動のマニュアル化を促進した。どのような土地であれ、同じようなマニュアルに従って教育された商人であれば、同じような商業習慣に従って行動した。そのため、取引はより円滑に運んだのである。さらに商業帳簿・通信文・契約書類などの形式が整えられていき、取引は容易になった。なおかつ契約書類は手書きから印刷物に替わり、商人はそれにサインするだけで済む場合も出てきた。商人はさまざまな言語を習得しなければならなかったが、商業に関連する書類の形式が決まってさ えいれば、学習はより簡単になる。比較的少数の商業用語を習得すれば、他地域の商人と取引することが可能になった。
このような手引がやがてカトリック・プロテスタント商人、さらにはおそらくユダヤ教徒を問わず読まれるようになったことである。そのために、ヨーロッパ全体での商業取引が円滑におこなわれるようになったと考えられる。異なる宗派に属する商人の取引が容易になり、取引コストが低下し経済成長につながったのである。ヨーロッパの商業形態は、世界のスタンダードになっていった。
*この本文は2022年9月30日発売『手数料と物流の経済全史』(東洋経済新報社)の一部を抜粋し、ModernTimesにて若干の編集を加えたものです。