1960年代の地表は、偵察衛星からしか撮られていない
安全保障用途の偵察衛星の歴史は、ロケットの開発により地球を周回する人工衛星が現実のものとして考えられるようになった時点から始まっている。アメリカでは中央情報局(CIA)が、偵察衛星の開発を開始し、最初の偵察衛星「KH-1コ ロナ」1号機は、1959年6月に打ち上げられている。旧ソ連でも事情は同様で、最初の偵察衛星「ゼニット」は1956年から開発が始まり、初号機は1961年12月に打ち上げられた(なおゼニットは当初失敗が続き、初めて成功したのは、1962年7月打ち上げの4号機だった)。
最初の地球観測衛星「アーツ(ランドサット1)」の打ち上げは1972年7月だ。つまり偵察衛星は、地球観測衛星よりも10年前から、機密の壁の向こう側に営々と地球観測データを蓄積してきたのである。人類の知的資産という観点からすると、1960年代の地表の様子は、偵察衛星の撮像データしか存在しない。
前回、「これまで「なんの役に立つのか」と言われつつも蓄積してきた地球観測データが、AIを訓練し、新たな情報をデータから引き出す手法の開発に使われているのだ。」と現状を要約した。ところで、ここにもっとも古くから、しかも大量に蓄積された人類の知的資産として、偵察衛星の撮影画像というものが存在する。これを、有効活用することはできないものだろうか——。
「ついで」に映り込んだものが貴重なデータに
アメリカの偵察衛星は各世代毎に「KH(Key Hole)」というナンバーと、聞いただけでは直ぐには偵察衛星とは分からないコードネームを持っている。最初の偵察衛星は「KH-1コロナ」で、以後KH-4までがその改良型で一連の「コロ ナ」シリーズだ。
コロナは、大面積の写真フィルムで地表を撮影し、再突入カプセルでフィルムを地上に回収するという、手間も時間もコストもかかる方式を採用していた。デジタル撮像技術が未発達だった1960年代に、高分解能で地表を撮影しようとしたら、これ以外の方法がなかったのである。
コロナの撮像データの分解能は当初約13mほどだったが、後にカメラの改良で進歩し、最終型のKH-4では7.5mまで向上した。ランドサット1に搭載されたセンサー「MSS (Multispectral Scanner)」の分解能はおよそ80mだったので、偵察衛星は、ランドサットの10年前からはるかに高い分解能で地表を記録していたわけである。もちろん偵察衛星の主な撮影目標は仮想敵国の軍事施設で、地球の全表面を撮影していたわけではないが、それでも「ついで」に映り込んだ主目標以外の地表のデータは大変貴重なもので、分析により様々な科学的知見を獲得することが可能だ。
相手の持つミサイルの数をどうやって確認するか
ところで、「なぜ偵察衛星の外観も性能もデータも機密指定にするのか」。
安全保障目的だから機密にするのは当然、というのは何も説明していない。なぜ、安 全保障に関する情報は機密指定にしなくてはいけないのかが、説明できなくてはいけないのである。
少なくとも、1991年のソ連邦崩壊までは、偵察衛星の存在も、性能も、撮影したデータも機密指定にする理由がはっきりと存在した。
軍縮交渉である。
1945年の時点では、核兵器を保有していたのはアメリカだけだった。しかし1949年にソ連が核実験に成功して、核兵器保有国となる。1952年にはイギリスが核実験を実施して、核保有国となる。1960年にはフランス、1964年には中国、1974年にはインドが続いた。冷戦下で世界の核兵器は増加を続ける。1960年代後半には、世界の核兵器は4万発を超えた。世界を何回も破滅させることができるほどの核兵器を東西両陣営が抱え、「核兵器の恐怖で、逆説的に核兵器を使えなくして平和を保つ」という「恐怖の均衡」と呼ばれる状態が現出した。
これがいかに危険な状態かを世界に示したのは、1962年のキューバ危機だった。ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設しようとしたことから始まった、アメリカとソ連の対立は、ぎりぎりのところで回避された。この時「もしもなにかひとつでもきっかけがあれば、人類は最終核戦争に突入して滅亡してしまう」というビジョンを世界は共有したといっていいだろう。
大量の核兵器を保有するアメリカとソ連との間で、兵器削減の交渉が始まったのは1969年のことだった。第一次戦略兵器制限交渉(SALT I)だ。SALT Iは1972年5月に合意に至り、両国は核兵器を搭載する大陸間弾道ミサイル(ICBM)の数を現状のまま増やさないということで合意した。SALT Iは、1機のミサイルに複数の弾頭を搭載し、1機で複数の戦略目標を破壊する多弾頭ミサイル(MIRV: Multiple Independently Targetable Reentry Vehicle)に関する規定がなかったので、両国は引き続き第二次戦略兵器制限交渉(SALT II)を開始した。
この交渉においては、「相手の持つミサイルの数をどうやって確認するか」が大きな問題として浮上した。ここで、一躍クローズアップされたのが偵察衛星の取得画像だ。偵察衛星を運用していれば、アメリカはソ連の、ソ連はアメリカのICBMの配備状況を、領空侵犯のような相手を刺激する行為なしに調査することができる。
同時に、偵察衛星の撮影データは、「そうはいうが、貴国はここにもこれだけのミサイル発射拠点を持っているではないか」というように、交渉の駆け引きにも使えることが明らかになった。
交渉の駆け引きに使えるとなると、偵察衛星の存在は秘匿する必要があるし、性能も知られてはならない。性能を知られて、それを上回る偽装をかけられては交渉カードとしての有効性は失われてしまう。
かくして冷戦の時代を通じて、偵察衛星の存在も性能も、機密事項とされて、厳重に秘匿されたのである。この事情はソ 連側でも同様であった。
地球観測衛星と偵察衛星との区分は、すでにかなり曖昧
1989年12月にソ連のゴルバチョフ書記長とアメリカのブッシュ大統領がマルタ島で会談を持ち、冷戦の終結を宣言した。その2年後の1991年12月にソ連は崩壊し、15の国家に分裂した。
冷戦終結で、偵察衛星を機密指定する理由がすぐに薄れたかといえば、そうではなかった。1991年の時点では、偵察衛星は地球観測衛星に比べてはるかに高い分解能を持っていたからだ。宇宙からの高分解画像が、国際関係にどのような影響を及ぼすかが分からない以上は、機密指定を解くことはできなかった。
しかし、その後、アメリカが地球観測衛星の民営化と市場立ち上げを政策的に進めた結果、民間が運用する地球観測衛星に、偵察衛星で開発された技術が流用されるようになった。結果、民間地球観測衛星の性能は向上し、初期の偵察衛星を超える水準にまでなった。現在、アメリカが分解能25cm以上のデータの流通を許可しているのは、この連載で書いた通りである。そして、ロシアのウクライナ侵攻にあたっては、民間の高分解能地球観測衛星が、かつての偵察衛星のように戦況分析に使われている。つまり、民間の地球観測衛星と偵察衛星との区分は、すでにかなり曖昧になっているのである。
民間の技術向上に対応し、アメリカは徐々に偵察衛星関連情報の機密指定解除を進めている。
1972年まで運用されたコロナの撮影データは、1995年に機密指定を解かれて公開された。2022年12月現在、写真フィルムを利用した「KH-9ヘキサゴン」(1971年から1986年にかけて運用)までの偵察衛星は基本的に機密指定解除となっていて、概要は偵察衛星を開発・運用している国家偵察局(NRO:National Reconnaissance Office)のホームページに掲載されている。次の「KH-10ドリアン」は1960年代に企画された有人偵察衛星で、計画は実機を打ち上げることなく中止となった。これは「MOL(Manned Orbit Laboratory)」という名称で開発当時から概要が公表されている。
デジタルの電子撮像を使うようになったKH-11以降は、まだ機密指定は解除になっていない。最新の偵察衛星については一切は非公表だが「KH-13」のナンバーを持つと推定されている。
ちなみに、2019年9月、トランプ米大統領自らのTwitterアカウントに掲載してしまった偵察衛星画像(第5回参照)は、KH-11で撮影したものと推定されている。
現在、NROが運用する偵察衛星は、KH-11が、分解能十数cmを実現している。これはトランプ元大統領のリークにより公知の事実となった。名称も明らかになっていない通称「KH-13」は、さらに高い分解能を実現しているものと推定されている。10cm以下、数cmレベルの物体が識別できるようである。
これらのことから、現状のデータ公開ポリシーは「民間に許可した以上の解像度は、非公開」ではないかと推定される。
2022年11月になって、偵察衛星データの管理を行う国家地理空間情報局(NGA:National Geospatial-Intelligence Agency)は、トランプ元大統領がリークした画像1枚について、その機密指定を正式に解除した。大統領の失態を組織としてリカバーした格好である。
進む偵察衛星関連の情報公開
取得データだけではなく、偵察衛星関連の情報公開も徐々に進んでいる。かつては打ち上げすら秘匿されていたものが、現在は「USA-〇〇」というナンバーで打ち上げ日時が公表されるようになっている。USAナンバーには国防総省・米軍の技術開発衛星も含まれるが、一部は「NROL-〇〇」というナンバーも公表され、はっきりとNROが運用する偵察衛星であることが分かるようになっている。2022年12月現在、最新のUSA衛星は「USA-339」、NROの衛星は「NROL-91(USA-338)」だ。ちなみに、NROL-91は、KH-11偵察衛星であろうと推定されている。
それどころか、打ち上げの様子はネットで世界中に向けて動画中継されるようになった。衛星の用途、形状、軌道は相変わらず機密事項だが、今では、 アマチュア天文家の機材でも、軌道上の衛星を観測することで軌道は計算できる。例えば、民間ボランティアが運営している衛星観測サイト「Heavens- Above」を観ると、様々なUSAナンバー衛星の軌道を知ることができる。
「公表はしない、しかし民間の観測を妨げることはできないし、しない。肯定も否定もしない」というのが、アメリカの偵察衛星の軌道に関する現状である。
欧州も似たような状況となっている。欧州はフランスが中心になって、1980年代に独自偵察衛星の開発と運用に乗り出した。現在は欧州連合(EU)衛星センター(European Union Satellite Centre:EUSC)という組織で、欧州としての偵察衛星の運用を行っている。最新の偵察衛星は、「CSO(Composante Spatiale Optique)」という名称で、最大解像度35cmの能力を持つ。また、ドイツが開発したレーダー偵察衛星「SAR Lupe」も運用されている。
これとは別に欧州は、はっきりと軍民両用を前面に押し出した地球観測衛星システムを多数展開している。イタリアが主力になって開発したレーダー衛星の「COSMO-SkyMed」や、フランスの「プレヤデス」衛星、ドイツの「TerraSAR」レーダー衛星などだ。これらの分解能もまた、初期の偵察衛星を凌駕するレベルに到達している。
「地球全体をマネジメントする思考」の一部として安全保障を考える時代に
このように現状を概観すると、現状において偵察衛星が偵察衛星た る理由は、1)政府機関の要求に応じて優先的に特定地域の観測を行う、2)政府の意図が相手国に推測されないように、いつ、どこを撮像したかを秘匿する——の2点であることがわかる。この2つさえクリアできるならば、偵察衛星と地球観測衛星の区別はなくなり、「軍民両用の地球観測衛星システム」が残ることになる。
これは、前回述べた、「クラウドに毎日ペタバイト単位の地球観測データが蓄積されていく時代」においては、安全保障の一部である偵察行為も、データ利用の一環として組み込まれるということを意味する。
かつて、安全保障は国家の存続を左右する重要事項として、国家政策の中で特権的地位を占めていた。偵察衛星システム及び取得データの機密保持は特権の一部と言えるだろう。しかし、ほぼ偵察衛星なみの能力を持つ多数の地球観測衛星システムが、日々大量の観測データをクラウドに蓄積し続けるようになりつつある現在、それはもっと大きな「人類は地球をどのようにマネジメントするか」という観点から考えねばいけない事柄になりつつある。
安全保障がすべての政策の上位にあるのではなく、「地球全体をマネジメントする思考」の一部として安全保障を考える時代が、すぐそこに迫ってきている。
参照リンク
・ National Reconnaissance Office:https://www.nro.gov/
・The CORONA Program:https://www.nro.gov/History-and-Studies/Center-for-the-Study-of-National-Reconnaissance/The-CORONA-Program/
・米露間の戦略核兵器削減条約(START):https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/kaku/beiro/start.html
・The GAMBIT and HEXAGON Programs:https://www.nro.gov/History-and-Studies/Center-for-the-Study-of-National-Reconnaissance/The-GAMBIT-and-HEXAGON-Programs/
・European Union Satellite Centre:https://www.satcen.europa.eu/
・Heaves Above https://www.heavens-above.com/