暮沢剛巳

暮沢剛巳

よみうりランドのライトアップ。冷えた空気に色彩がきらめく。

(写真:佐藤秀明

情報としてのアート―NFTアートとキュレーション

NFTアートの市場規模が急拡大している。ブロックチェーン技術により、デジタルデータでありながら「世界で1つしかない作品」が作れるようになった結果だが、この状況を美術評論家はどのように見ているのか。暮沢剛巳氏の言葉を紹介する。

Updated by Takemi Kuresawa on November, 14, 2022, 5:00 am JST

NFTの特性に注目し始めたアーティストたち

近年、NFTアートが注目を集めている。これは、文字通りNFTを導入した新しいタイプのアートであり、史上初のNFTアートとされるケビン・マッコイの「Quantum」が発表されたのが2014年なので、その歴史はまだ10年にも満たないにもかかわらず、急速に影響力を拡大しつつある。

NFTとはNon-Fungible Token(代替不可能なトークン)の略であり、無数に存在するデジタルデータの中で、あるデータが他と代替不可能なただ1つの識別子を有している状態のことを指す。これはもともと、ビットコイン(仮想通貨)を実現するために構築された「ブロックチェーン」と呼ばれるネットワーク型の分散型台帳技術において成立するものである。国家やメガバンクが一括管理する従来の中央集権型ネットワークとは異なり、ブロックチェーンのなかでは、いわば不特定多数の参加者が相互にガラス張りのネットワークを監視することによって、内部の取引の適正さが保証される(それをトラストレスともいう)。NFTは、偽造や架空取引など、仮想通貨に想定される様々なリスクを回避するために考案された、ブロックチェーンならではのデジタルデータの仕組みとでも言えようか。

この特性に注目したのが、前出のマッコイら一部のアーティストたちだった。NFTを活用して識別子と紐づければ、複製やデータの改ざんが不可能な、この世でただ1つのオリジナルなデジタルデータを作り出すことが可能になる。NFTアートとは、まさにそのたった1つのオリジナルなデジタルデータを制作素材とするアートのことである。

ダミアン・ハーストの作品に次ぐ価格のアートが登場

この新種のアートに対して、いち早く反応を示したのがアートマーケットであった。2つほど例を挙げておこう。

化石の森
パタゴニアの化石の森にて。周辺の化石が全て一定方向に倒れていることから、かつて隕石の衝突があったのかもしれない。

2017年、アメリカのLarva Labsという企業がCryptoPunksというプロジェクトを開始した。これは、1万人のデジタルキャラクター(パンク)のピクセルアートを専用のマーケットプレースで売買するもので、キャラクターの多くは奇抜な髪形の若い男女だが、なかにはエイリアンやゾンビなども混じっていた。これらのパンクは当初は無料もしくはごく低価格であったのだが、1つとして同じキャラクターが存在しないというオリジナリティが受けたのか、NFTアートへの関心の高まりとともに価格が急速に高騰し、2021年にはCryptpunks5822が約27億円もの価格で売買されるようになった※1。

もう一例は、オークションにおける売買である。2021年3月21日、大手オークションハウスであるクリスティーズのオークションに、ビープルというアーティストの「エブリデイズ 最初の5000日」という作品が出品された。これは、2007年から毎日描き続けられたデジタルアート5,000枚をコラージュした作品で、全体の大きさは20,169×20,169ピクセルの画像(情報量としては、4Kテレビ約50台分に相当する)からなるが、この作品の落札価格は6,930万ドル(約75億円)であった※2。これは、存命中のアーティストの作品価格としては、ダミアン・ハーストジェフ・クーンズに次ぐ高額である。

ここではこの2つを挙げるにとどめるが、他にも、近年のマーケットでNFTアートが高額で取引や落札された例は少なくない。本来無限に複製が可能であり、マーケットで値のつく対象ではなかったデジタルアートの相場が、NFTという仕組みの出現によって短期間のうちに一変してしまったのである。この先どう評価が揺れ動くのか全く予想のつかない新種のアートに多額の資金が流入していることは、果たして何を意味しているのだろうか。

デジタルデータはいかにして価値を纏うか

現代アートのマーケットに投機的な側面があることは、以前からたびたび指摘されてきた。一般人にはおよそ理解も共感もできないような奇天烈な作品が、ときに異常な高額で売買されたり落札されたりする。それは単に金持ちの道楽であるとも、知的変態度の競い合いであるとも、あるいは一見奇天烈な作品が、実は美術史に新しい1ページを書き加えたことが評価されたからとも言われてきた。つい最近になって、NFTアートもそのラインナップに加わった。

だがNFTアートには、それまでの作品がいかに奇天烈な形状をしていようとも、作品それ自体にはまぎれもなくモノとしての実体があったのに対し(資産家は自邸の大きな壁に掛ける大画面の絵画を欲しているので、それを想定して可能な限り大きな画面の絵画を描くことにしているという或るアーティストの証言は、モノとしてのアート作品の一面に対応した戦略と言える)、それ自体としてはあくまでデジタルデータに過ぎないという決定的な違いがある。果たして、ブロックチェーンでの信用保証は、単なるデジタルデータを「唯一人の作者によって生み出された」アート作品へと変貌せしめるものなのだろうか。

立ち並ぶ石の仏像たち
立ち並ぶ石の仏像たち。

こうした疑問に対して、興味深い視点を提供してくれるのが施井泰平の『新しいアートのかたち―NFTアートは何を変えるか』である※3。同書はNFTアートの様々な事例を紹介し、またその登場が提起する様々な問題を取り上げているが、ここではマーケットの問題に限って参照してみよう。

同書によると、2021年のアートの市場規模は約8兆円だったのに対し、NFTアートの市場規模は約2兆円。2019年の時点では300億円程度だったというから、ここ数年で急成長したことが分かる。これは、コロナウイルスによるパンデミックと無関係ではないだろう。ミュージアムが閉鎖されてしまえば観客はモノとしての作品を鑑賞することはできなくなってしまうが、デジタルデータとしての作品はそんな制約を一切受けないからだ。

同じく、NFTアートの市場を牽引しているのは、暗号資産に関わる事業で財を成した「クリプト長者」であることも指摘されている。そもそも「クリプト長者」はブロックチェーン上をビジネスの主戦場としているので、同じブロックチェーン上で展開されるNFTアートに強い関心を持ち、そこに投資するのはある意味当然のことだろう。現在のNFTアート市場のバブル的な盛況は、「クリプト長者」の動向に他の資産家たちが追従した結果もたらされたものと言える。

NFTはアートマーケットをも変質させた

また施井は、NFTアートの登場がアートマーケットを大きく変質させたことも指摘している。アートマーケットは、アーティストの契約ギャラリーから直接作品を購入するプライマリーとオークションなどのセカンダリーの2種に大別されるが、取引額の大小を問わず、いずれも総じて閉鎖的であった。これは、生活必需品では全くないアート作品の売買に携わる顧客の絶対数が少ない上に、ほとんどの顧客が諸々の雑音が作品の評価に影響を及ぼすことを嫌い、外界から閉ざされた密室での取引を望むことも大きな要因であった。これに対して、NFTアートを牽引する「クリプト長者」たちは、ガラス張りのブロックチェーン上での取引を生業としており、アートマーケットにも同様の流儀を持ち込もうとする。彼らの存在感が増すにつれて、マーケットもおのずと変質せざるを得なくなっていく。

ごく最近まで、アメリカのギャラリーやオークションハウスが所有する顧客リストは代わり映えしないものだったという。元々高額なアート作品を購入する者が限られているうえに、その多くは世襲だったからだ。それもあって、ビジネスの流儀が異なる「クリプト長者」が参入してきた当初、アートマーケットは彼らと良好な関係を構築することができなかったが、近年のNFTアートの相次ぐ高額落札は、しばらく滞っていた顧客リストがようやく更新されたことを物語ってもいる。

本来、アート作品の価値判断を行うのは、美術史や美術評論の役割のはずである。だが、登場してまだ10年にも満たないNFTアートが歴史化されるのは当面先の話だし、NFTアートに関する批評もまだまだ少なく、マーケットの評価の後追いでしか何かを語れないのが現状である。美術評論家の一人として何とも忸怩たる思いだが、参照すべき先行研究がほとんどない中で、キュレーションという切り口には解釈の可能性があるようにも感じられる。

2021年、私は『拡張するキュレーション』を出版し、キュレーションを知的生産技術と位置付けた。私が同書で提起したのは、展覧会企画としてのキュレーションにせよ、ネット検索としてのキュレーションにせよ、モノと言語の違いこそあれ、どちらも情報を加工して新しい価値を創るという点で同じ営みである、という仮説である。この仮説を当てはめるなら、デジタルデータのアート作品であるNFTアートは、キュレーションの格好の対象となり得る存在である。

デジタルデータを制作素材とするNFTアートは情報の集積でもあり、情報の価値が高ければ高いほど、マーケットプライスも高騰することになる。といっても、その情報は企業情報や軍事情報のように機密性の高さによって価値づけられるものではなく、ガラス張りのブロックチェーンのネットワーク下で、その作品を制作したアーティストの作家性によって価値判断される。その価値の源泉は「ただ一点しか存在しない(・・・・・・・・・・・)」ことにあるが、世の中に「ただ一点しか存在しない(・・・・・・・・・・・)」ものは数多くあるため、それだけでは十分ではない。そこでさらに問われるのが、既存の情報を再構成して新たな情報を生み出し、「単一のもの」にとどまらない「唯一のもの」を生み出すことであるが、それはまさにキュレーションの役割と言えるかもしれない。まだまだ海のものとも山のものとも知れないNFTアートだが、そこにキュレーションの可能性が潜んでいることは確かである。

参照リンク
1. CryptoPunk5822が約27億円で売却成立(あたらしい経済)
2.デジタル芸術が75億円で落札、米作家ビープルの画像作品(ロイター) 
3. 施井泰平『新しいアートのかたち―NFTアートは何を変えるか』(平凡社 2022年)