認知機能が低下したときにも使えるデバイスが必 要では?
DXが推進されている現代においては、高齢者や認知症の人に優しいデジタルデバイスの研究開発も盛んに進められている。新型コロナウイルスのパンデミックにより、この動きは加速している。意義は認めるが、一方で実際に高齢者や認知症の人に接している立場から見れば、実用に耐えるものはほとんどない。意地悪な見方をすると、研究費がどんどん取れるこの時期を逃さぬよう、意識高い系の高齢者を対象にして、どんどん研究しているようにも見えてしまう。
ある団地にある私たちの研究拠点に来るひとには、スマートフォンやインターネットを使っている人はほとんどいない。DX自体が進んでいくこと自体は現実であり、避けられない。しかしどれほど科学が発達しても、人は老いて、認知機能が低下するものだ。現実世界の一般の認知症の人が使えるデバイスの開発をするか、あるいは認知症になったらデジタルデバイスなしで生きていける社会にする、といった解決策が必要ではないか。これこそが、(牧歌的DXではなく)本当のDXであろう。それにはデジタルに対する高齢者や認知症をもつ人の当事者の視点がとても重要だ。
進む医療の民主化。当事者参加はすでに受け入れられている
当事者参加は、医学においてはだいぶ前から大きなうねりになっている。最近は、海外の一流学術誌でもPatient involvement(患者の関与)の記載も散見される。ここには「この研究を計画するにあたり、この疾患を持つ人を含めた委員会で方法の妥当性を検討した」などが記載される。
今回は、認知症における当事者参加について掘り下げてみたい。
医療一般における当事者参加は正しいこととして、社会にすでに受け入れられている。例えば、がんの治療方針決定は医師にお任せするものではなくなり、患者さんも含めた協働作業として意思決定を行う。かつては「さあ手術をしましょう」「頑張りましょう」「負けちゃだめだ」という文化であったが、放射線療法や化学療法の進歩もあり、例えば「自分で排泄できなくなるなら手術はしたくない」といった当たり前の希望が叶えられるようになってきた。さらに、手術、放射線療法、化学療法にもそれぞれ有害事象は当然あるが、医療者から見たら「命が助かるのだから別に気にすることはない」という症状(例えば見た目の変化)が患者さんにとっては重大なことだったりする。こうしたことにも医療者は目を向けるようになってきた。そのため意思決定にあっては、正しい医学情報は大前提であるが、先輩(がんサバイバーなどともいう)の体験が大きな力になる。
医療の民主化は確実に進行している。世の中は悲観主義であふれているが、少しずつ良くなっていることも多いことは事実だ。
では、認知症における当事者参加ではどのように行われているのか。東京都健康長寿医療センター研究所には、認知症をもつ人の「本人ミーティング」を開催している宮前史子研究員がいるのでインタビューをした。
自分を認知症だと思っている人や、認知症だけれども本人は違うと思っている人が集まる「本人ミーティング」
岡村:「本人ミーティング」について教えてください。
宮前:認知症をもつ人や、認知症について知りたい人を対象に、高島平団地で月に1回開催しています。団地の掲示板にお知らせを貼ったり、口コミで知ったりした人がやってきます。
岡村:本人だけではなくて家族が一緒に来たら、どうするのですか?
宮前:家族や介護者の方は別室で、そういう人向けの集いを行っています。あくまで本人だけでミーティングをしています。家族に遠慮して話せないこともあるからです。また、あくまで私たちは黒子に徹しています。私たちは場所を用意して、開始まではお手伝いしますが、あとは口を出すことはありません。ファシリテーターも認知症の本人が行います。もちろんこちらに話を振られたら話すことはあります。
岡村:事前の認知機能検査では何点くらいの方が来るのですか?
宮前:事前の検査などはしません。だって検査されるなんて嫌でしょう。だから認知症だと思っているけど実際は違う人や、認知症ではないと思って来ているけど実際には認知症の人もいると思います。それでいいのです。
岡村:確かにそうですね。私の考え方は古かったのかもしれません。旧来の医学研究者にはない発想で、素晴らしいです。 宮前さんはどうしてこの活動を始めたのですか?きっと人生を変えるような経験があったのでしょうね。
宮前:いえ、大きな流れの中にいるだけです。もともと10年ほど前に認知症や老年学の研究者や現場で活動している方々で、本人の視点を大切にしたいという方々の、緩やかにつながった集団があったのです。その人たちと当事者の方がつながり、2014年に「日本認知症ワーキンググループ」というのができました(現在は日本認知症本人ワーキンググループに改称)。それを支援した研究者の一人が、粟田主一先生でした。厚労省が研究事業を立ち上げ、そのマネジメントを託されたのが、この領域の第一人者で人脈豊富な粟田先生でして、私はその部下だったというだけなんです。「会場の予約をしておいて」と言われて、そこからどっぷりはまっています。
認知症の人は何もできない、何も語れないという扱いが辛い
岡村:当時は、認知症の人は何もできない、何も語れないというのが社会の常識でした。宮前さんは、はじめはどう感じましたか?
宮前:私はもともと、認知症の一次予防の研究に携わっていて、元気な高齢の方たちの様子はよく知っていましたが、認知症と診断された方々にお会いしたのは日本認知症ワーキンググループ立ち上げのミーティングが初めてでした。なので、私の認知症の方たちの第一印象は、自分の病気 や障害や生きづらさ、世の中の偏見や差別、そしてこれからの社会に認知症の本人がどうコミットしていくのかを力強く語る人たちです。
そこで話を聞くまで、私はなんとなく、認知症の人に社会はそれなりに優しいと思っていました。しかし、本人の側から、社会から認知症の人は何もできない、何も語れないという扱いを受けて辛いという話を聞いて、ショックを受けました。同時に、これは自分事だぞ、とも思いました。そして、今自分はとても大事なことを知ろうとしている。社会がまだ気づいていないことに……と身震いがしました。
岡村:その研究班では、どのように研究を進めたのですか?そしてそれが、どのように宮前さんの今の研究につながっているのでしょうか?
宮前:初期の研究では、認知症の人が語るためにはどのような工夫が必要かということを研究しました。その結果、馴染みの環境であること、仲間がいること、そして一回きりではなく何度も行うこと、という条件が分かったのです。そして実際にミーティングを重ね、経験を積んでいきました。2016年には、高島平団地で私たち研究者も現場に飛び込み、臨床家として地域に参加・貢献するという新たな研究が始まりました。そのときに、「 ああこれだ」と思いました。いま、ここで、本人ミーティングをするために、これまでの時間があったんだと。
認知症をもつ人たちの本人ミーティングでは、励まし慈しみ合う姿が多くみられる
岡村:粟田先生には、今こうやって本人ミーティングを牽引する宮前さんの未来の姿が当時見えていたのでしょうか。だとしたら、すごいモチベーターですね。認知症本人ワーキンググループには、さぞかし熱い人がたくさんいるのでしょう。
宮前:熱いものは心に秘めているようです。対外的には、とても穏やかな、普通の人たちですよ。設立趣意書の『活動で大切にしていきたいこと』を見てください:
・ 病名や状態、年齢、地域等で分け隔てすることなく、認知症の一人ひとりを大切にする
・ 誰でも意見を出せる、お互いの声に耳を傾ける
・ 批判するだけではなく、前に進む提案をする
・ 対立ではなく、ともに歩む仲間を増やす
・ 無理なく、それぞれがやれることをする
・ 楽しく、ユーモアをもって活動する
・ あきらめず、行動しつづける(提案が、住み慣れた地域で実現するまで)
・ 希望をもち続ける
どうです、とても普通で常識的でしょう。たまたま認知症になった普通の市民の集まりです。
岡村:確かに常識的で、穏やかですね。宮前さんが本人ミーティングをする際に気をつけていることはありますか?
宮前:まず、本人が主役であるということです。私たちが活躍しちゃダメなんです。次に、認知症の人の力を信じるという ことです。最後に、たくさんしゃべってもらってなんぼということです。楽しくしゃべって元気になって帰ってほしいです。
岡村:どのようなことが語られるのでしょうか?
宮前:はじめは、辛いことや困りごとを話し合うのではと思ったのです。そしてお互い励まし合う。これは他の疾患の当事者ミーティングの分析などでもよく見られます。
岡村:確かにそのような論文はよく見ます。症状との付き合い方や、医者との付き合い方なども語られますよね。
宮前:はい。でも、認知症の本人ミーティングでは、仲間への慈しみが非常に語られていました。例えば、過去に認知症を持っていた人に対して「当時は分からなかった、時代が時代だったから、かわいそうなことをした」とか、未来の認知症の人に対して「自分の症状を研究して、ぜひ未来の人が苦しまないようにしてほしいな」とか。そしてもちろん、同じ時を生きる仲間に対して「話を聞かせてくれてありがとう、あなたを尊敬している」「何か助けになればと思う」といった内容です。これは特筆すべきことだと思います。
岡村:なるほど、人間にはたとえ認知機能が低下しても、いや低下したからこそ、お互い慈しみ合う本能があるということかもしれませんね。素晴らしい研究ですね。ぜひ続けてください。
どのような世界であれば幸せか。一番よく知っているのは、認知症とともに生きる人たち
認知症の人を外から観察し、検査し、データを分析することで多くのことが分かる。これは科学の王道であり、否定するつもりは全く無い。一方で、認知症になったときにどのよ うな体験をするのか、どのような世界であれば生きることが幸せか、これは外からは分からない。それを一番よく知っているのは認知症と共に生きている人たちである。「人間こそが最大の分析装置である」という立場からは、認知症の人の体験の研究は、認知症の人と研究者の協働作業によってこそ行われる。
なお、当事者参加は精神医療の世界でも確実に進んでいる。勇気ある、統合失調症、双極性障害、うつ病などをもつ人が自分の言葉で語り始めている。近年は講演などでも、長年患者さんと主治医という関係であった人々が、ペアで講演することもある。長年の信頼関係があるからこそであり、たいへん心を打たれる内容である。一方で、当事者参加はまさに近年の医療のホットな話題であるがゆえに、当事者との接点もないような人までもが当事者主体と言い始めているケースもある。真贋を見極める力が必要だ。宮前研究員の研究は、10年近く続いており、この5年は自ら手足を動かしてミーティングを開催してきた。団地を回ってポスターを張るといった地道な作業も含まれる。語られていない苦労も多々あったと思う。当事者との研究は、それほど簡単ではないと最後に述べておきたい。
取材協力:宮前史子
1980年、神奈川県出身。横浜国立大学大学院にて博士(学術)取得。高齢者が主体性をもって活動することを重視し、専門とする老年心理学・臨床心理学を背景に認知症研究に携わっている。東京都健康長寿医療センター研究所自立促進と精神保健研究チーム所属。