「都市ににぎわいをとりもどしたいんです」という人は、器に盛り付けられている料理を食べたがっている
都市計画の仕事をしていると、「都市ににぎわいを取り戻したいんです、どうしたらよいでしょうか?」と頼まれることがある。
頼まれるたびに、いつもちょっと困った気持ちになる。筆者は都市計画の仕事の範囲を厳密に考えていて、都市空間を整えるのが都市計画の仕事、都市空間はあくまでも人々の暮らしと仕事を支える器なのであって、器を整えることが都市計画の仕事だと考えている。でも「都市ににぎわいをとりもどしたいんです」という人は、器に盛り付けられている料理を食べたがっていることが多い。いわば、漆器の職人に、おいしいうどんを食べさせて欲しい、と頼 んでいるようなもので、しかも食べたいものがうどんなのか、寿司なのか、天ぷらなのかもはっきりしないこともある。先に食べたいものをはっきりさせ、食材を集めてから、料理にあうような器を揃えていく、当たり前に考えればそういう順番であろう。
では、なぜそう頼む人が増えたのだろうか?1970年代前半ごろまでの都市計画は、もっと切実な必要性、人々の健康や生命を守りたい、最低限の暮らしと仕事を何とかしたいといった必要性に基づくものだった。1970年代の前半まで日本の住宅は不足していたし(全都道府県において住宅数が世帯数を上回ったのは1973年のことである)、そのころに急増した自動車はあちこちで悲惨な事故を起こしていた(日本で交通事故の死者数が一番多かったのは1970年の16,765人であり、2020年には2,839人にまで減っている)。「団地」という言葉に、大袈裟でなく「人生の希望」を見出した人は今よりもはるかに多く、小さな子どもを持つ親にとって「歩行者天国」は今よりもはるかに切実に必要とされていたのである。
そして私たちは立派な器をつくり続けてきた。つくられたときは、それは最初の必要性に基づいているので、器は狙い通りに使われる。しかし、10年や20年もすると、器を使う人たちの暮らしや仕事が変化してしまう。しかし器の形を簡単に変えることができないので、「使い方」が変化することになる。「器」と「使い方」が少しずつずれてしまい、そこに空き部屋や空き店舗のような使われない空間が出てきてしまう。
もしまだ切実な必要性が社会にあるのだったら、空間は再び使われていくことだろう。しかし(これはよいことなのだが)その必要性はなくなり、器は余る一方である。そのときに「にぎわいを取り戻したいんです」という漠然とした言葉が出てくるのである。
人々に共通する切実さはとうに失われている
では、どのようににぎわいを取り戻すのか。器を整えるのが都市計画の伝統的な守備範囲ではあるが、それを整える際にワークショップを開いて人々の意識を喚起したり、「社会実験」と称して、人々を相手に実験するようなことまでもが、都市計画として行われるようになった。いわば人々と対話を重ねながら「にぎわいの正体」に徐々に迫っていくような作業である。人々の前に漆器を並べ、それをじっと見た人が「寿司を食べたくなった」と言い出し、寿司を握り出すのを待つような、やや気長な仕事である。
では、人々は狙った通りに寿司を握り始めてくれるのだろうか。うどんを茹で始めたり、天ぷらを揚げ始めたりする人はいないのだろうか。
狙い通りにいくことは少ない。人々に共通する切実さがとうに失われているからである。この狙い通りのいかなさと、どうつきあっていけばよいのだろうか。
秋葉原の空地ににぎわいをもたらした「ヲタ芸」
一つの風景について書いておこう。まだコロナ禍の前のこと、休日の秋葉原である。闇市のようなかつてのにぎわいはとうに姿を消し、まちはあらゆる趣味が詰め込まれた中小規模のビル群と、デベロッパーが開発した小綺麗なオフィスビルで構成されるようになっていた。オフィスビルの足元には、例外なく広場状の空地がつくられている。それは開発のための規制緩和の交換条件としてつくられるものであり、まち並みから「秋葉原らしさ」や「都市のにぎわい」を剥ぎ取っていくものに思われた。
しかし、ある広場に近づいた時にその考えは不意に途切れることになった。30名はいただろうか。リュックを背負った人々が、時に野太い声を上げながら、一心不乱に踊りを練習している風景がそこにあった。いわゆる「オタ芸」である。
筆者には、そのオタ芸が何を意味するのかも、誰にむけたものなのかも、全くわからない。でもその風景はとても楽しそうなもので、紛れもなく都市に新しいにぎわいをもたらしているものだった。おそらく彼ら彼女らは、秋葉原に乗り入れる電車を使って、関東一円から集まってきたのだろう。それぞれの地元には休日の居場所 がなく、休日になると秋葉原の薄暗いビルの棚の前をうろうろし、気に入ったものをリュックに詰めこんで地元に戻っていく、そんな都市の使い方をしていたはずだ。
そしてその使い方を反転したのが、オフィスビルの足元に漠然とつくられた広場である。それが秋葉原にあったこと、休日で誰もいなかったこと、誰が使ってもよかったこと、30名が踊れる空間だったこと、いくつかの状況と彼ら彼女らだけが共有する切実さが重なることによって、都市の新しいにぎわいがつくり出されていたのである。
都市の使い手は設計を爽快に裏切っていくものである
この漠然とつくられた広場の設計者が、このにぎわいを狙っていたとは思えない。そしてどんな素晴らしい設計者も、このにぎわいを設計することはできない。どれほど丁寧に設計しようと、どれほど丁寧に器を準備しようと、都市の使い手は、それを爽快に裏切っていくものなのだ。
「都市ににぎわいを取り戻したいんです、どうしたらよいでしょうか?」ということがこの小論の問いかけであった。何かを狙ったところで、狙い通りにいかないし、でもそこに爽快なことはおこりうる。都市計画ができることは、いろいろな人の、多種多様な切実さを逃さないために、どんな目的で使われるのかわからない、様々な大きさの広場を、あちこちに作っていくことくらいなのではないだろうか。