ミシェル・エルチャニノフ

ミシェル・エルチャニノフ

2019年、セルビアの記者会見に出席するウラジミール・プーチン大統領。

(写真:Sasa Dzambic Photography / shutterstock

暴君となったプーチンにとっての「民主主義」とは

ロシアがウクライナに侵攻して半年が経過した。今回の侵攻に関しては日頃ロシアに対して好意的に振る舞う人からも非難の声が相次ぐ。ロシアはなぜこのような暴挙に至ったのか。ロシアの「独裁者」は何を考えているのか。『ウラジーミル・プーチンの頭のなか』(すばる舎 ミシェル・エルチャニノフ著)から本文の一部を紹介する。

Updated by Michel Eltchaninoff on August, 26, 2022, 5:00 am JST

共産主義イデオロギーの代わりに宗教を置こうとしたプーチン

2000年3月、大統領に選出される2日前、まだ若いプーチンは自分の目標を語っている。
「ロシアに威信を取り戻させ、世界で重要な役割を占める国にする」というものだ。
「ソビエト崩壊後の民主化より10年間、ロシアはほとんどいつも、経済危機や社会不安に悩まされてきた。大国ロシアはこれまでずっと、屈辱に耐え続けてきた。これからは、ロシアが本来の地位を取り戻していく」、というわけだ。 

そのために、プーチンは大統領として日が浅いうちから、国民の愛国心やロシア正教に対する信仰心を利用してきた。ただし、初期の頃は、「ロシア精神の再興」と言っても、それはあくまでも「国民としての自由な権利」を優先したものにとどまっていた。

しかし、その「聖なるロシア」に対する言及はだんだんと直接的になっていった。
「ロシアという国は、キリスト教の正しい価値を守るという特別な使命を持った国」だというわけだ。プーチンはロシアこそが正当なキリスト教を信仰しているという国民感情を利用し、キリスト教というものをロシアの特別なアイデンティティとして規定する。 

エルミタージュ美術館前を馬車でゆく観光客
エルミタージュ美術館前を馬車でゆく観光客。サンクトペテルブルグにて。(撮影:佐藤秀明)

そしてその価値を守る役目は、世界の国々の中でロシアこそが引き受けるにふさわしい、と訴えるのだ。また彼は、「宗教哲学」というものを「非常に重要なもの」だと評価している。つまり彼は、ソ連時代の共産主義イデオロギーの代わりとして、宗教を置こうと考えたのである。 

「他国がロシアの特別な地位を奪おうとしている」という被害妄想

「国際関係において重要な地位を占めたい」という望みと、「ロシアは特別な文化を持っており、それを世界に広めていくべきだ」、という確信が一つに合わさり、その気持ちはいつしか 「他の国々がロシアの特別な地位を奪おうとしている」、という被害妄想へと変わっていったのだろう。 
西側諸国による文化のグローバル化は、プーチンにとっては絶対に許すことのできないことなのである。

「私の国であるロシアが特別でなくなり、アイデンティティを手放すことなど、断じて認められません。ロシアの文化的・精神的基盤を私は誇りに思っていますし、愛しています。ロシアの文化的・精神的基盤のおかげで今の私たちがいるのです。この基盤は何としてでも守らなければなりません」 

大統領就任当初はまだ、彼は単に文化の画一化を警戒しているに過ぎなかった。
しかし、その後間もない2004年、ウクライナでオレンジ革命が起き、大統領選において、親ヨーロッパ派で改革推進派のヴィクトル・ユシチェンコが親ロシア派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチを破ると、プーチンは西側諸国に対する警戒感を強め、世界が「ロシア連邦を孤立させようとしている」と考えるようになる。 

プーチンの考えはこうだ。
「ロシアは世界の国々の求める一方的な画一化の要請に屈せず、独自の道を守り続ける。他の国々はそんなロシアの姿が周辺諸国に影響を与えるのが怖いのだ。だからロシアを隅に追いやり、孤立させようとするのだ。ロシアはこのような企みに屈せず、『独自の道』を守らなくてはならないし、ロシアが他の国とは違うということを世界に認めさせなくてはならない」と、こういうわけだ。

プーチンの発言は時を経るにしたがって、より明確になっていく。
「世界はロシアを屈服させようとしている。それはロシアが特別な国であるというだけではなく、ロシアが世界でも最も強い国の一つであるからだ。ロシアを孤立させようとするのは、アメリカの陰謀である。アメリカは多くの国を支配下に置いている。そして、アメリカの支配を受け入れない外国に対しては、人権を守る、という大義名分を振りかざしながら、経済的な方法や軍事 的な方法を用いて孤立させようとする 」、これが彼の言い分である。 

2007年になると、もはや言葉を包み隠すことはなくなる。
「はっきりと言ってしまえば、『自分の国に主権がある』と進んで認めるような国は現代では多くありません。中国、インド、そしてロシアなどのわずかな国のみなのです。その他の国は、多くの部分で他の国や、〔西側〕陣営のリーダー〔であるアメリカ〕に依存しているのです」 

他国とは異なる、ロシアだけの「民主主義」 

それでは、プーチンの言う「ロシアの独自性」とはいったい何なのであろうか。
それは、先ほど指摘したキリスト教的な姿勢を除くと、愛国心であり、「 伝統を大切にする姿勢」であり、「 多民族国家ロシアに住むロシア民族以外の民族への寛容さ」、である。 

大統領官邸から歩いてゆくプーチン大統領
大統領官邸から歩いてゆくプーチン大統領。2016年撮影。(写真:Alexandros Michailidis / shutterstock

ここでプーチンの考えるロシアの独自性を明確にするために、プーチンにとっての「民主主義」とは何か、ということを考えてみたい。
ロシアの「民主主義」は、西側諸国の「民主主義」とは異なっている。
西側諸国は、「民主主義という言葉をかざしてロシアの内政や外交に干渉しようとしています」。 こう言う時、プーチンは「人権」や、「表現の自由」といった民主主義の根本を、西側諸国とは違った意味に解釈しようとしている。確かにプーチンは民主主義の原則が普遍的な価値を持つことを認めてはいる。

しかし、彼が「民主主義」と言う時、その意味は西側諸国の言うような、「自由」や「平等」とは別のものとなっている。プーチンの言う「民主主義」は、具体的な意味や、政策を伴ったものでもない。
「ロシアの民主主義は、ロシア国民の権利を認めるということを意味します。ロシアの国民は自分のことは自分で管理する人々です。民主主義を守るとは、外国から無理やりに押し付けられた 基準に従うことではありません」 

プーチンはロシアの道を実現する過程として、昔からロシアが認めてきたとする民主主義、つまり地方自治を進めていくと約束してはいる。しかしその後、ロシアが地方に認めていた自治の約束すらプーチンは捨て去っていく。 

他国が生み出した民主主義から学ぶものは何もない

2004年には、地方政府の知事の選出を選挙によるものではなく、大統領による任命制に切り替えたのである。結局、プーチンは西側諸国の民主主義に従うつもりはないのだろう。
彼の心の中では、ロシアは世界の歴史の中で重要な役割を担ってきた国であるから、他国が生み出した民主主義から学ぶものは何もない、という意識があるのだ。
「ロシアこそが世界を救っているのだ。そんなロシアに対して、自由主義という規則を口うるさく強制することは許されない」という理屈だ。 

「ロシアは、 17世紀にロシアをポーランドから守ったミーニンとポジャルスキーや、 14世紀にタタール人の支配から国を解放しようとしたドミートリー・ドンスコイ、 13世紀にスウェーデンやドイツ らロシアを守ったアレクサンドル・ネフスキー、中世ロシアの偉大な聖人であるラドネジのセルギイ、近代ロシアの聖人・サロフのセラフィムといった英雄や聖人たちの国であり、ナチズムを打倒し世界を救った国なのです」 

ここで注目すべきは、ヒットラーに対するソビエト赤軍の勝利を彼が「ロシアの道」の権威づけに利用している点である。彼が「ロシアの道」を正当化するために、過去の勝利を利用している例は他にもある。 

プーチンは、1812年にナポレオン軍を打ち破った例や、ポーランドやリトアニアといった国の侵略をはねつけた例、タタール人の支配から脱し、ドイツの騎士団の侵略から身を守った例など、ロシアが団結して外国からの攻撃に抵抗したという伝説を、自らの正当化に利用しようとしているのである。 

ロシア国民とは、ロシア人としてのアイデンティティを共有する人々である

こうして、 プーチンは「ロシア国民」という言葉に特別な意味を付与する。彼が「ロシア国民」と言う時には、単にロシア国籍を持つ人々ではなく、ロシア人としてのアイデンティティを共有する人々であるという意味を持っているのだ。 

そのような「ロシア国民」の概念は、 世紀中ごろに流行した「スラブ主義」、ロシアはスラブ民族としてのアイデンティティを持ち、西ヨーロッパとは別の道を歩むべきだとした考え方を踏襲している。

「ロシアの道」とは、ロシアの人々の精神的な結びつきを政治的に利用するための言葉である。 
ロシアの人々の精神的な結びつきはロシア正教を土台にした文化によって、ゆっくりと作り上げられてきた。

「歴史の中でロシアという国が危機にさらされた際に、ロシアの人々は常に自分の起源、つまり宗教的な土台や、宗教的な価値観に向き合ってきました」 

そしてプーチンは、スターリンが国民に話す時、「同志」ではなく、「兄弟、姉妹」と呼びかけた例を挙げ、ロシアの人々は単に国籍を同じくするという以上の、深い絆で結ばれていた、と主張するのである。  

『ウラジーミル・プーチンの頭のなか』
すばる舎
ミシェル・エルチャニノフ 著
小林重裕 訳
2022年07月刊
ロシア思想を専門とする哲学者、ミシェル・エルチャニノフが、ウラジーミル・プーチンの膨大な演説録、読書歴からその思想を解剖・分析し「頭のなか」を明らかに。出版されたフランスでは「両世界評論賞」を受賞し、イギリス、ドイツ、スペイン、ギリシャで翻訳されている。プーチンのウクライナ侵攻の理由について、日本では「体調不良説」も出ているが、本書では彼が持つ危険思想を「ソ連回帰」、「ロシアの道」、「ユーラシア主義」の3つに腑分けし、明快に解説する。
https://www.subarusya.jp/book/b607227.html