100年以上前から変わらない航空管制の手法
航空管制官は、世界で最もストレスフルな仕事の一つと言われる。上空の3次元空間を高速で飛行する航空機に対し、無線を通じた音声指示のみで秩序ある航空交通を作りだす作業があまりに複雑であるからだ。航空管制官の業務を補助するレーダー機器、気象情報表示などのシステム機器は、10〜15年置きに最新技術を導入する大規模な刷新が行われているが、主たる業務であるパイロットとのコミュニケーションは、比較的混雑していない太平洋上の空域 などを除き、口頭でやり取りされる。このアナログな手法は100年前から変わっていない。
航空管制は「空域」という一定範囲で分割して行われる。各空域には担当の航空管制官が割当てられており、管轄する空域の担当者は、安全確保のための判断、指示に対する全責任を負う「独任官」である。すなわち、責任の所在を明確化しなければ成り立たない業務であり、人を増やせば一人当たりの処理機数を減らすことはできるが、同時に空域が細分化されるため業務の境界をつなぐフローや取り決めは複雑化する。大変だからといって、単純に人を増やせば解決できるものではない。
やってみたら安全だったということの繰り返しでしかない
つまり空の安全は、航空管制官個々人が訓練、経験で培った高度な技量のもとに保たれているのだ。それを象徴するかのように、航空管制官が遵守する管制方式基準には下記の記載がある。
“管制官は、業務の実施に当たって、この基準に規定されていない事態に遭遇した場合には最良の判断に基づいて業務を処理するものとする。(引用:管制方式基準(1)-1-1より)”
航空管制の現業においては、基準に規定されていない事態が多々起こる。理由は様々だが、地上走行中に停止したいとパイロットから要求があった場合、その場で待たせるか、ターミナルまで戻すべきか。滑走路上の異物について報告があった際には、離着陸の許可を取り消す必要があるが、出発機が離陸滑走中または到着機が接地寸前で、それらを止めることのほうが危険な場合もある。急患発生を理由とした緊急機と、機体トラブルを理由とした緊急機のタイミングが重なる状況もあるだろう。
航空機の運航に関するイベントはあまりにも多様であるため網羅することも出来ない上に、こうすれば絶対に上手くいくといった正解も存在しないため、対応を標準化しようにもできないのが実態だ。その状況に適した最良の判断をフル活用する他ない。指示する際の定型用語、維持すべき航空機間の距離間隔など、最低限守らなければならないことは基準に記載されており世界共通であるが、その他多くの処理は、航空管制官個々人が何を考え、どう決断するかによって異なってくる。言わば、やってみたら安全だったということの繰り返しでしかない。
AIの導入を進めるべきなのは明らかだが、判断軸となるデータをどのように提供するのか
高負荷な業務、複雑な判断の連続となれば、航空管制官のヒューマンエラーに起因する航空事故をゼロに出来ないことは想像に容易く、DX、AI導入を進めるべきなのは明らかである。しかし、一定のアルゴリズムに従いインプットからアウトプットを得られるデジタル処理とは異なり、航空管制の処理においては、交通状況、 天候、補助システムの表示、他の航空管制官の交信内容など、刻一刻と変わる状況の中で可能な限りの情報をインプットし、将来予測、リスク評価を行い、アウトプット(判断、指示)が得られる。将来予測、リスク評価に個人差はあれども、得られるアウトプットの選択肢もまた複数あるため、同じ人間でも状況によってどの手段を選ぶかは未知数である。昨日うまくいったことが今日はうまくいかないが、明日はやっぱりうまくいくなんてことが当たり前に起こる。
人間が持つレジリエンスが作用する航空管制
航空管制業務の複雑さについて、レーダー画面を見ながら順番付けを行い、一定間隔で並べる「ターミナルレーダー管制業務」を例に説明する。まず、常に把握し続けておかなければならない情報としては、各機の高度、速度、機材の型式があげられる。これらはレーダー画面上に各機の位置を示す点(レーダーターゲットという)に付随して表示されている。レーダーターゲットの位置、高度、速度が少しずつ変わる様子を見て直感的に捉える部分と、「この速度なら数分後にここに到達する」と理論的に導いた結果を併用しながら大まかな順番付けを決定し、並べる軌跡をイメージする。次に、上昇降下のタイミング、速度制御、誘導方向などを指示することで、各機間の距離間隔を調整する。このとき、高度や場所によっても気象状態に差が出るため、レーダー画面上では指示を決めきれないと判断したときには、パイロットに直接聞いてコックピット上の計器に表示されている数値を通報させる。ここまでは自身の行動で完結できるが、さらに外部要因 が加わってくる。
到着機に関しては、空港面の様子も把握しながら距離間隔の微調整を行う。滑走路付近に出発機がいる場合には、到着機の前に出発させるのか後にするのか、より効率が良いのはどちらかを判断しなければならない。一人で扱いきれないほど機数が多い混雑時間帯には、空域を分けて複数人で分担するが、その際には誰か一人に負担が偏らないよう全体を見て、敢えて余裕を持った航空機の流れに変えるといった対応も選ぶ。
空の安全と安心を確保できているのは、刻々と対応が変わる不安定な状況が続いているにも関わらず、人間が持つ一種のレジリエンスが作用して、制御可能な範囲に収束させている結果なのだ。
ヒトはエラーを事前に察知してプログラムに従わない能力を持つ
コロナ禍以前の航空需要は右肩上がりで伸び続けていたため、滑走路増設や飛行経路の変更が数年単位で進められてきた。成田空港の2本目の滑走路は、2002年の日韓ワールドカップに間に合うよう、当初計画を前倒しでの供用開始となった。半ば無理やり作り上げた滑走路に合わせた運用方法となり、2本ある滑走路の航空機が離着陸時に干渉するうえ、空港を地上走行する航空機の位置さえも制限される前例のないものであった。羽田空港の4本目の滑走路は2010年に供用開始となったが、既存の3本のうち2本の滑走路の離着陸を遮る位置に作られており、地上でも上空でも交差するポイントが複数ある。
現場の航空管制官からすれば、こんな運用を本当に自分がやるのかと目を疑う運用方法が新たに計画され、新運用開始日の大幅に増枠された航空機数を未知の手法で対処するよう要求されるようなものだ。しかし、いざやってみれば試行錯誤しながら難なく落とし所を見つけ、事前の計画を上回るパフォーマンスでやってのけてしまうもの。システムではあらかじめ作成されたプログラムの処理を続けることしかできず、エラーが発生すれば再処理またはフリーズするが、おそらくヒトは無理難題に直面しても、エラーを事前に察知して、プログラムに従わない能力を持つといえるのではないか。
AIは「ハドソン川の奇跡」を起こせたか
DX、AI導入が未だ進まない背景には、航空管制のような一歩間違えれば人命に関わる分野かつ絶対解の抽出が困難な内容においては、ヒトが持つレジリエンスに頼るほうが現時点ではベターであるという見解がある。航空の世界では、対策を検討する以前に人類が未経験の事象さえ起こる。「ハドソン川の奇跡」は正にその好例である。
ニューヨーク市近郊には、大型旅客機や長距離国際線が多く就航するニューヨークJFK国際空港、ニューアークリバティ国際空港、中型旅客機や国内線がメインのラガーディア空港、プライベートジェットやチャーター機向けのテターボロ空港などがある。USエアウェイズ1549便はラガーディア空港を離陸直後、上空約900メートルでバードストライクに遭い、両エンジンが停止したため、グライダー状態のまま翼面の可動部分(動翼)の操作のみで飛行姿勢を制御しハドソン川への着水(ディッチング)を成功させた。交信を担当していた航空管制官は、ラガーディアへの引き返しや、テターボロ、ニューアークへの着陸を想定し各管制機関への調整を行っていたが、それは当然の対応である。通常、ディッチングには十分に広い面積が必要となるため、海上を想定している。たまたまハドソン川が一定の距離と面積を有していたため、代替できたと考えられる。航空管制官側から「ハドソン川への着水」を提案することはとても想像できない。
ディープラーニングを基に構築されたAI管制は、人類が一度も経験のない事象に対して、正しい解を導けるだろうか。パイロットがヒトである以上、AI管制の予測が正しくても指示に従うことを拒む場合も当然ある。未経験の出来事が生じる度にフリーズするか、パイロットからの確認や疑義に対し同じ指示をただ繰り返すようでは安全は保てない。航空管制官の技術の一つに、運航の最高責任者であるパイロットの意向も汲み取った上で、自身が信じる最良の判断に向けた説得や理解促進のための情報提供を行うなど、柔軟性と粘り強さが含まれているが、これは果たしてAIに再現できるだろうか。