村山司

村山司

フロリダの水族館で行われたショー。シャチがいきいきと躍動する。

(写真:YES Market Media / shutterstock

自然に近い環境だけがベストではない。生き物のために、ショーは続いていく

さまざまな資料や映像が安易に手に入る時代においても、生身の生き物を間近に見ることには特別な刺激がある。従来の展示方法は動物愛護などの視点から見直され、現在の動物園や水族館は「動物との共生」を目指す場所になった。しかし、それでもまだ「自然」とはほど遠いように思われる展示が続けられている。動物のショーはその最たる例だろう。なぜ未だにショーが行われ続けているのだろうか。イルカとの対話を試みてきた研究者が語る。

Updated by Tsukasa Murayama on August, 8, 2022, 5:00 am JST

連休や観光シーズンともなると行楽を求める人たちで観光地はどこもごった返す賑わいとなる。お目当ての場所は様々であるが、動物園や水族館はそうした人々が出向く定番の一つである。
深い海の中や険しい山の中の動物、島々がちりばめられた南太平洋やアフリカのサバンナの動物、人々は日常ではお目にかかれないそうした動物たちに会いたくて、動物園や水族館に出かけていく。日常を忘れるひとときでもある。 

ひと昔前、いやもっと前の水族館、動物園はまさに動物を見せるだけの施設であった。休日に家族と来て動物を見て楽しむには余計なものは不要で、動物が見られたら、それでよかった。しかし近年、動物園や水族館は大きく変容している。進歩と言ってもよい。それは動物園や水族館の意義や役割を背景として、そのあり方が大きく見直されてきたからにほかならない。 

中世では皇帝や王侯が宮殿で飼育、シャチをヒトと戦わせていた

ヒトと動物の関わりは古い。その歴史を紐解いてみると、古くは動物はヒトにとって狩猟の対象であった。人々は弓矢や槍を持って動物を狩り、その肉は食料に、脂肪は燃料に、そして毛皮は身にまとう衣とした。その一方で、大した武器もない時代の人々にとって大きく獰猛な動物たちは畏れ敬う対象でもあった。やがて人々はそうした動物を利用する知恵を持つようになり、いわゆる家畜化が始まる。あるものは肉や卵を食料とし、あるものはその力を労働力とした。そしてまたあるものは狩りの供として携えるようになった。こうして動物たちは「飼育」されるようになった。ちなみに、ヒツジやウシ、イヌといった動物が家畜化されたのは、おおむね1万年くらい前である。

貴族や王侯が人を支配する時代になると、宮廷でライオンやゾウといった大きな動物を飼い、そこで軍人や罪人と闘わせるなど、権力や支配の象徴としての飼育が行われた。やがて、中世を経たころになると、そうした王様たちのコレクションは市民にも公開されるようになる。これが動物園のはじまりとなった。
一方、海の生き物については、古代には皇帝や王侯が宮殿で飼育させていた。しかし、海には猛獣と呼ばれる動物が少ないので、ヒトと闘わせていたのはシャチぐらいしかいない。17世紀になると文化施設として水族を展示するようになり、やがて濾過や水の循環設備を整えた近代的な水族館がお目見えし、現在に至っている。

象の水浴びタイム
象たちの水浴びタイム。スリランカの「象の孤児院」では親と別れた子象たちを育てている。1990年代撮影。

こうして動物園も水族館も、かつては貴族や王族のコレクションだったのが、現在では広く市民に公開され、誰でも見に行ける施設となった。ただし、動物を家畜化してからここまで、ヒトは常に動物の上位であり「動物と共生」などという発想はなかったように思う。しかし、時代を経るにつれてその位置づけは大きく変わることになった。

動物園や水族館は見るだけの場所から共生の仕方を探る場へ

動物園や水族館の存在する意義は4つある。1つ目は、珍しい動物や見慣れない行動を通して、楽しく過ごしながら命の大切さや生きることの美しさを感じ取ってもらう「レクリエーション」の場。2つ目は、希少な生物を保護し、絶滅の危機から守る「種の保存」の場である。3つ目は、「教育」の場として、ふだんは出会うことのない生物たちの生きる姿を間近に見ることやショーを通してその能力を知ることで、動物の生態に関心を持ち、彼らが暮らす環境に目を向けるきっかけを与えること。4つ目は、「調査・研究」で、知られていない生態や生理的機能、行動特性を解明することで動物を理解し、野生動物保護へ向けた基礎的データを得るというものである。

かつては、動物園や水族館は家族で楽しむ「レクリエーション」の場だったが、動物や環境への意識が高まるにつれて社会に貢献すべき場として見直され、それ以外の項目の重要性が高まっている。草原や大海原にいる動物を遠くで離れて、触れず寄らず眺めるのもよいが、近くに寄せて、見て触れて知ることができる命の大切さもある。ヒトと動物を対等の位置におき、共生の仕方を探る使命のもと、動物園や水族館はかつての檻や水槽を並べただけの「見るだけ」の展示から大きく変容したと言える。

長生きをさせるために、狭く単調な檻の中に閉じ込められていた

動物を見るなら野生に越したことはないし、海の生き物を見たいなら船で大海原に漕ぎ出ればよい。しかし、現実にはなかなかそうはいかない。たとえば、日本にはゾウやキリンのいる草原はないし、筆者のように船酔いをする人は、船で沖へ出ることは想像すらしない。そこで動物園や水族館では、野生の一部を切り取って再現して展示しようとする試みがなされるようになった。
かつての動物園と言えば、動物を檻や柵で囲いこんだ展示であった。筆者が小さいころに行った動物園はまさにそういう場所で、単調な檻の中で退屈そうに横になったりうずくまったりしている猛獣を順番に眺めていくだけだった。しかし、そうした展示だったのには理由がある。当時はまだ動物の健康管理のしかたが確立していない面が多く、死亡例も多かった。そのため動物を長生きさせるためには、とにかく清潔な環境が是とされ、掃除のしやすい施設として何もない単調なつくりとなった。 

しかし、近年、多くの動物園で採り入れているのはそれとは見違えるものである。できる限り野生の生息環境を再現し、動物を自然な状態で見せようとするもので、「生態展示」と呼ばれている。生息環境の再現とは土や水、植物のある環境をつくることにほかならず、足元に土や砂があり、小川が流れ、草花が生い茂った状況は動物たちにとっては生息する環境に近く、ストレスも軽減される。また、観覧者と動物を隔てるのに柵の代わりに堀を作った無柵式や、猛獣と草食動物のあいだに行き来ができない窪地をつくった共生展示などが導入されている。こうした展示では、例えばシマウマとライオンがあたかも同じ場所にいるように見えたり、来園者は動物たちの住む地に来たかのような感覚になり、動物たちをより身近に感じることができる。 

メリットの多い生態展示は、病気との戦い

しかし、野生に近づける環境づくりにもデメリットはある。まず、管理の問題。植えた植物を動物が食べてしまったり、踏みつぶしてしまうこともある。そのため、日々の手入れや植栽が必要となる。衛生面の問題も大きい。土や植物を搬入すれば、それらに付着したさまざまな細菌や寄生虫をも持ち込むことになる。それらのなかには重篤な病気の原因となるものもあるため、掃除と、健康面への気配りは欠かせない。動物を自然に見せることをテーゼとした生態展示でも、裏を返せば病気との闘いなのである。

水族館にも目を向けてみよう。水族館での生態展示は、技術の進歩によるところも大きい。水槽にはかつての「強化ガラス」に代わり、透明度や強度に優れ、加工や成型が可能なアクリルガラスが用いられるようになった。鉄骨で何枚もつなぎ合わせることなく、1枚の大きなガラスで展示が可能になり、見やすいことこのうえない。また、擬岩や擬木に代わり、造礁サンゴや海藻類が水槽内に入れられるようになった。こうした水槽では、海の中同様、複数の種が一緒に飼育・展示されている(サメやイルカがサカナと同居しているところもある)。このように、水槽の中にも海に近い環境が再現されるようになった。 

動物の動きを見ることができる「行動展示」

さて、飼育下に生息場所の環境は再現できても、本来の野生と大きく違う点がある。餌に困ることがないことだ。野生の動物は常に餌を求めて動き回る。しかし、飼育下は狩りをする必要も、狩りをされる恐怖もない。いきおい、動物たちは動かなくて済むわけで、野生では激しい狩りをくり広げている猛獣たちが動物園では寝たり、じっとしていることが多いのはこうしたことによる。

本来、野生の動物の運動神経はすばらしい。高い木の枝をこともなげに渡り歩き、枝から枝へとしなやかに飛び移る様は実に機能的で、美しい。こうした行動を遠い外国の地まで出向かずとも堪能できるのが「行動展示」と呼ばれるものである。
動物が本来持っている「走る、飛ぶ、捕食する」などの行動は、進化や適応の過程で獲得されてきた。無理に課して発現させる曲芸のような行動ではなく、自然に誘発させて自然の姿で発現する行動を展示するのが行動展示である。

ペトラ遺跡に向かう観光客用の馬車
ヨルダンのペトラ遺跡に向かう通路。岩肌に囲まれた道を観光客用の馬車で通っていく。2010年ごろ撮影。

行動展示では、たとえば張られたロープを長い腕を使って渡っていくオランウータンや鉄の棒で作られたジャングルジムで遊ぶチンパンジー、あるいはぶら下げられたタイヤに体当たりしていくクマなど、設置された構造物を駆使して動物が見せるさまざまな行動が人々の目を楽しませている。また、水族の展示では、ガラスの円柱のなかをアザラシが上下に泳ぎ過ぎていく姿や、水中が見渡せる透明なアクリル製の水槽や、回廊の中を高速で泳いでいくペンギンの姿なども見る人を魅了する。これらはみな動物が自発的に見せる行動である。

「ペンギンは氷雪地帯にいるという思い込み」が奇妙な光景を作り出す

実験的にそういう行動を誘発させることもある。たとえば、あるチンパンジーの実験では、ジュースの入った細長い筒のそばに葉がついた枝を置いておく。そのままでは手がジュースに届かない。するとチンパンジーはその枝をジュースの入った筒に挿しては引き上げ、葉についたジュースを器用に葉ごと口に含みしゃぶるようにした。賢いものだ。
特別な訓練によるものではなく、本来の習性によって発現する行動を見せるのが行動展示だが、それにはその動物の習性や特性を熟知していないといけない。これを誤ると、たとえば氷山や氷雪を模した擬岩を歩くフンボルトペンギンといった奇妙な光景になりかねない。これは、ペンギンはみな氷雪地帯にいるという誤った思い込みの結果である。寒冷な地帯に生息するペンギンは全18種中7種しかいない。だからフンボルトペンギンなら土の地面が正しい。

さて、生態展示も行動展示も動物の自然な姿を見せることには変わりないが、両者には大きな違いがある。生態展示は人工物のない自然な景観のもとでいかに自然な状態の動物を見せるかということであるのに対し、行動展示は人工物を導入して動物の行動を引き出すものである。必ずしも生息環境を再現するわけではないので、生態展示とは相反する側面がある。

社会的な役割を求められる水族館が「ショー」をする本当の理由

動物園ではさまざまな行動展示があるが、水族館はどうだろう。もともと行動展示は「動かない」動物を「動かせる」のが目的であるが、水族館の動物は泳いで動いているのがふつうなので、常時行動展示されているとも言い得る。ただ、海獣類などを対象とした、道具や構造物を用いた行動展示は難しい。海水中で使用可能な構造物は錆びないものなど、材質に限りがあるし、水流によって破損したものを誤飲するおそれもある。そして何より、からまったり引っかかったりして浮上できず溺れてしまってはたいへんだ。難点が多く、動物園のような人工物を介した行動展示は難しい。

そこでそれに代わる展示が「ショー」である。飛ぶ、泳ぐ、回る、探る……動物たちが持つ自然な動きや能力を、適切な演出のもとに展示している。大海原の真ん中でイルカたちがくりひろげるさまざまな行動は、陸地では見ることはできない。だからそれを再現して、彼らの動物らしさを理解しようとする教育的目的がある。決して曲芸ではないし、動物はやりたくなければ、やらなくても何の罰もない。むしろ、次の指示を催促するようなしぐさもみられ、動物たちは楽しんでやっている気配すらある。

環境を生息環境に似せても、行動する必要性が生じないとストレスは軽減されない

単調な飼育下の生活では、常同行動や自傷行動など、さまざまな異常行動が起きやすい。そこで、動物の心のケアのため、充実した環境をつくろうとするのが「環境エンリッチメント」である。「採食」「社会」「感覚」「空間」「認知」といった観点から、単調な環境を改善し、野生の暮らしぶりの構築を目ざすものである。それは日々ただ餌が与えられるのを待つのではなく、餌の種類や与え方などをくふうして野生本来の採食行動を発現させたり、多頭飼育による集団生活を通して社会的な関係をつくらせたりする。ヒトが遊び相手になることもかなり効果がある。また、動物の本来の広い生息場所にはさまざまな種が暮らしているので、飼育下でそうした動物のにおいや鳴き声などを聞かせることや、登ることができる木や高台、ロープなどの構造物をつくり、動物が利用できる空間を広げてやるなどの方策もある。あるいは、転がすと餌が出てくるとか、ふたを開けないと餌が手に入らないといった複雑で頭を使うおもちゃを置くことも動物には刺激になる。見ていて、なかなか器用だなあとも思うのだが、知的な動物ほど「飽き」やすいので、動物との知恵比べになることもある。

環境を生息環境に似せても、そこに行動する必要性が生じないと動物のストレスは軽減されない。環境エンリッチメントは野生における生活を機能的に再現し、野生下のように行動を保障するものである。水族館の「ショー」はこれらが複合されたエンリッチメントと評されることもある。
しかしよく考えると、実はこうしたエンリッチメントの方策は生態展示や行動展示の方策と同じであることに気づく。つまり、生態展示、行動展示と環境エンリッチメントとは表裏一体の関係にあるのだ。動物らしい生活を保障し、心穏やかに暮らさせる展示が生態展示、行動展示であり、それを実現する方策が環境エンリッチメントと言うことができる。

こうして動物園や水族館では動物を動物らしく暮らさせるため、さまざまな展示方法や方策が講じられているが、しかし問題点もある。それはそうしたことの効果を評価する方法が明確ではないことだ。本当にそのやり方がよいのか、動物への影響はどのくらいあるのか、負の影響はないのか…まだまだ課題のままである。時間に解決を任せるしかないのかもしれない。
動物園や水族館は、可能な限り負担を軽減する方法を駆使しながら動物を展示している。今後も動物福祉の観点から、ますますそうした要求が高まるはずである。課された使命や役割と折り合いをつけながら、よりよい飼育のしかた、展示のしかたをめざす模索はまだまだ続いている。

参考文献
日本の水族館』内田詮三、荒井一利、西田清徳 著 (東京大学出版会 2014年)

【美しいグラフィックとともに更新情報をお届け。メールマガジンの登録はこちら