めぐる四季は日本人にとっての永遠
和室とは、自然に囲まれた空間だということができる。これは、実は日本人の時間に対する感性に深く関係する。
例えば、大徳寺の聚光院には狩野永徳の絵がある。ご存じのように、狩野永徳は春、夏、秋を題材にして北側と東西の襖絵を描いている。春は、梅の老木が花を咲かせているところが描かれている。絵全体が素晴らしいものだが、とくに注目すべきは、このなかの鳥だ。首をかしげていて、何やら横のほうを見ている。この襖絵は普段は京都国立博物館に展示されていて部屋に立った状態で見ることはできないのだが、実は部屋に置かれたときには、春の鳥が見ているほうに、水辺の岩の上にとまった夏の鳥がいるのである。夏の鳥も春の鳥を見返し、2羽は時間を超えて見つめ合っている。永徳は、時間を超えたつながりを表現したのだ。
夏と秋の絵にも、巨大な松の木を通したつながりがある。では、秋からつながる冬はどこへいったのか。冬に当たる場所には、真っ白な石が並べられた庭があるのである。その庭は、永徳が下絵を描いて千利休が仕立てをしたという、ちょっとにわかに信じがたい伝説の庭であり、まるで北アルプスの雪山のような景色になっている。つまりこの部屋にいれば、春、夏、秋、冬の季節のめぐりを感じられるのである。中世の人はめぐる四季の中で遊んだのだ。
めぐる四季というのは、日本人にとってみれば永遠である。故・加藤周一氏によれば、同じ春がやってくるというのが日本人の考える永遠だ。時間が円環状になっているのである。
自然に囲まれた座敷の中で、人々はみな平等
前回、私は、座敷は平等を実現する空間だと説明した。この時間軸もまた、日本の平等を示すものだ。
ご存知のように、平等や民主主義というものは、ギリシアが世界に先駆けて確立した価値観だ。しかし、ギリシアの代表的な建築であるパルテノン神殿は雄々しく地上にそそり立つ建築であり、これこそがギリシア人の世界に対する態度の表れであるように思う。一方で日本の建築は、自然に囲まれた座敷の中では集まった人々はみな平等だ、という趣なのである。
これは一体何に由来するのかを考えると、まずは人間の感覚について述べなければならない。養老孟司氏の説によれば、人間の感覚というのは、基本的に外の世界にある「違い」を認識するための機能である。一方で意識、特に理性は、その違いを似たもの同士でグループ化する。例えば、目の前にある5つのミカンの色や形が多少違っても、ミカンだということで同一化し、さらには5つという数にして「ミカン」という言葉を与える。人間が扱いやすい形に変えるために、本来は絶対的には違うものを同一化していく機能、これが理性の機能なのであるという。
感性はこれとは異なり、感覚と意識をつなぐところに存在する。感覚を通じて知覚したものをどう思うか、という感じ方のことを感性というのだ。これは個人や文化で異なる。つまり、ギリシアと日本では他者に対してどう思うのか、空間をどのように捉えているのかが異なる。感性が違うのだ。その違いの結果が建築やあるいは音楽や言語や、さまざまなものになって表れているのである。
時空間の性質の違いが、表現の違いになる
意識は、感性を通じて環境を理解する。そして、その中で人は体験を積み重ねていく。積み重ねていくと、体験の中で知覚と行為が体制化される。これは認知科学者のウルリック・ナイサー氏の言葉だが、例えば和室で勝負事を繰り広げる、あるいは宴会を繰り広げるという体験を積むと、人を平等に扱う行為と人は同等だと知覚の体制化が行われて平等という感性が育っていき、それはやがて概念、思想になって、自由や平等といった言葉が生まれてくるという。物事への理解を、人間の知覚の仕方というものをベースにして考えているのだ。
環境によって人が感じる時間と空間は異なるが、それは体験を通じて体制化され、個人や文化の感性や型になる。加藤周一氏も『日本文化における時間と空間』(岩波書店 2007年)のあとがきで、様々な国で暮らした経験から「文化的環境が違えば異なる時間や空間の概念を経験し、観察することができる」と述べている。
あるいは、言語学者の大野普(すすむ)氏は、「文化の中核は地域の自然環境に対する人間の対し方にあるが、文明の中核は人間のつくりだした一般性のある思考と技術にある。だから、文化は他の地域へ持ち出せないけれども、文明はできる」と『日本語の起源』(岩波新書 1994年)のあとがきに書いている。
私もそれらには賛成しており、日本であればどんどん変わっていく葉の色などの視覚情報が、空間や時間に対する感性をつくっていると思う。時は移ろい、四季となり、変わらぬ四季の巡りが永遠を意味するから、今の瞬間こそが永遠の実在である。こうして俳句や絵巻物の形式が生まれたと加藤氏は説明する。
ただし、文化的と言いつつも、カントが『純粋理性批判』で著しているように、時間と空間というのは、感覚を通じて世界を知るときのあらゆる感性の基本的な形式である。時間と空間がなければ、人は何も認識できないことをカントは論証している。だから時間と空間の性質が違うということは、文化によってありとあらゆる認識と表現が違ってくるということなのである。それが現れる1つが、パルテノン神殿と栗林公園の掬月亭の違いにもなってくる。ギリシャのように外に対する平等ではなく、今ここにある全てのものは平等であるという感性が和室を生みだしたのである。
自然環境が時空間への概念をつくりだす
文化によって時間と空間の概念がどのように異なるのかについては、もう半世紀以上も 前にウイーンの美術史学者だったダゴベルト・フライが『比較芸術学』という本に書いている。本書によれば、西ヨーロッパの人々は現在生きている世界が亜寒帯地方で非常に厳しいので、死後救われることを望む。この考え方に適応した空間概念と時間概念を持っている。
例えば、東欧は大平原でどこに行っても景色が変わらないので、天にいる神と直接つながるという、垂直的な時間、空間構造を持っている。ギリシアはパルテノン神殿のように、四方に対して対等に向かい合うという空間性や時間性を持っている。エジプトはナイル川が季節的に氾濫するので、一定の時間が流れているという時間感覚を持っている。その一方で、周りの砂漠には人が住んでいないので、空間感覚はあまりないという。他にも、メソポタミアやインドの空間や時間に関する概念について分析しているので、興味のある方はぜひ読んでいただきたい。
空間よりも時間を重視する東アジアの人々
ダゴベルト・フライが言ったように、東アジア全体は温帯性モンスーン気候なので、季節が明確にある。だから、空間よりも時間を重視する文化になっている。例えば、中国も日本も共通することとして、行事にとても熱心であることがあげられる。正月が来た、お盆が来た、といったように。時間を中心に世界を見ているから、時間の流れに自分の生活を合わせるために行事を行っているのだ。世界に自分の人生をピタッとフィットさせているほうが心地よいのである。
中国人の考える世界が映し出されたものの一例として、漢の貴族の柩の横に書いてある模様を挙げてみよう。時間的な空間は流動する。流動する世界はこのように流れている。そのことを中国人は“気”と呼ぶ。気は、例えば東アジアの仏教では、命あるものを縁起の結果と見るように、どこかで何かの縁でもって気がある形をなすと、11匹の動物や人間に近いものが生まれると考える。気が縁起をもとにある形をなしたものが生命なのだ。
実はこのことは、分子生物学者の福岡伸一氏が「命は動的平衡だ」と言っていることに、ほぼそのままあてはまる。動的平衡とは、80年くらい前にユダヤ人の生物学者が言い出した生命観で、すべてのものは分子レベルで外も内もなく流動してつながっており、流動する分子が一定状態に集まった状態が命なのだ、というものだ。
そう考えると、人間は文化的に形成された幾つかのパターンでしかものを見られないのかなと思う。
東アジアの人々が字を重視するのも、ここに起因するのかもしれない。生命活動、動きが自然に筆に表れる、筆の勢いなどに表れるように感じる。だから「筆 意」というように、字を書いた人の命、気が込められると思うのである。
例えば、九州の旧家へ行くと、西郷隆盛の字が飾られていることがよくある。それは、西郷隆盛の命の気がその字に表れていて、その気の影響を受けようと考えているのではないだろうか。このあたりは、中国と日本の文化は共通しているといえよう。
しかしながら、住宅を見たときには、中国と日本が似ているとは到底いえない。中国の邸宅は四合院家宅といって、左右対象でガチッと固まったようなデザインだ。一方で、日本の邸宅は生け垣を周りに構えて、家の周りに「自然」を演出しようとする。自然を取り入れようとする点は日本の住宅の特徴で、枯山水の庭にしても、襖に描かれる絵のような自然が映し出されている(とはいえ、それは演出された、つまり作り込んだ自然でなくてはならず、草木は剪定して刈り込んだものでなくてはならない。そこに求められているのは生の自然ではなく、襖絵の代わりの象徴化された自然である)。
残念なことに、ダゴベルト・フライは「東アジア」への理解は不十分で、中国と日本の例を一緒くたにしてしまっている。しかしウィーンのフライから見ると、どうしても同じに思えるらしい。だから、私が建築における中国と日本の違いを明確にしてみようと考えた。
おそらく建築において、日本は中国とは違う国から深い影響を受けている。私はこれを言葉の来た道から考察している。詳細は次回、「上座とは、時間を流す装置である」で述べることとする。
参考文献
『日本文化における時間と空間』 加藤周一(岩波書店 2007年)
『日本語の起源』大野普(岩波書店 1994年)
『純粋理性批判』イマヌエル・カント著
『比較芸術学』ダゴベルト・フライ著